407話 沈黙の再会
渋る潟を説得して火の王館へ行かせた。潟が去ってから更に水嵩が増している。
それはそうだ。水の発生源は目の前だ。開かない扉から、壁から、柱から……至るところから水が湧いていた。まるで壊れてしまった水場のようだ。
両手で水を掬った。溜まった水はとても澄んでいて、辺り一面の惨状をもたらしているとは思い難かった。
顔をつけてみると、当然ながらかなり冷たい。心地よさを通り越して痛さを覚えるほどだ。深いところを流れる地下水に肌を直に浸けたみたいだった。
おかげで気持ちが引き締まった。緩めていたつもりはないけど覚悟はできた。ベルさまの理力を半分引き受ける。
顔をあげると前髪からポタポタと雫が落ちた。
「ベルさま、聞こえますか? 僕です。雫です」
返事はない。それは分かっている。でもそこに愛する方がいることを分かっていて、声を掛けずにはいられない。
「
ジャバジャバという音で自分の声すら聞き取りにくい。ベルさまに僕の声は届いていないだろう。
話したいことはいっぱいある。
氷之大陸に着いた途端、潤さんが戦いを挑んできたこと。
玄武伯に監禁されたこと。
澗さんが色々と協力してくれたこと。
全部聞いてほしい。それから話してほしい。ベルさまが氷之大陸でどんな風に過ごしていたのか。
「色々あって帰りが遅くなってしまいました。長いこと待たせてしまってすみません」
足が冷えてきた。冷たい水に浸かっているせいか、それとも、極度の緊張のためだろうか。
ベルさまは寒くないだろうか。
「ベルさま」
息を吸い込んだ。このあと、何が起こるか分からない。正直、僕がどうなるか分からない。でもきっと耐えてみせる。絶対にちゃんと二人で生き延びる。
「
その瞬間、世界が止まった。
暴れる水は止まり、飛沫が宙で固まった。
息を吸うことも吐き出すことも出来ない。
けれどそれはほんの一瞬で、苦しさを感じる前に、世界は動きを取り戻した。ほんの短い時間だったけど、それで流れが変わった。
噴き出していた水が逆流を始めた。壁から湧いていた水は壁に。家具から流れてた水は家具へ。それぞれ戻っていく。
足元に溜まっていた水は部屋の中へ飛び込んでいった。
外からも大量の水が部屋に集まり始めていた。急に流れの変わった水のせいで、歪んだ扉に亀裂が入り、手を掛けたところから簡単に壊れた。
部屋の中に銀色の塊が見えた。
「っ!」
駆け寄る必要はなかった。背中から水に押され、銀色の
僕が小さな音に耳を傾けている間にも、外から水が入ってくる。僕の存在を無視するように、迷うことなく寅に集まっていった。大量の水がみるみる寅の体内に吸い込まれていく。
「の、べ……」
顔が見たいのに、どこにあるのか分からない。手探りで銀色の毛を辿る。
魂繋は成功したのか?
理力の交換はどうなったんだ?
魂繋経験者である潟を残すべきだったと、少しだけ後悔した。
疑問も不安も湧き出したら止まらない。毛を撫でる手につい力が入ってしまった。すると、最初はチクチクと痛かった毛の手触りが変わっていることに気づいた。
見た目より固い銀毛だったはずなのに、柔らかい手触りに変化していた。一方で銀毛が柔らかくなればなるほど、代わりに長さが増していった。
僕の手が隠れるくらいの長さだった銀毛は、今は……僕の腰くらいまであるだろうか。羽の先みたいな繊細さを感じる頃には、銀毛は更に伸びて床を這っていた。
銀毛の変化が止まったとき、暴れる水もすっかり落ち着いていた。破れた壁はまだ濡れていて、倒れた家具からは水が滴っている。今の今まで水に遣っていたことがよく分かる惨状だった。
静まり返った室内で寅の
鋭い爪が見えなくなり、寅特有の黒い縞が消えていった。
部屋一面に伸びきった銀毛は、天の川を思わせる銀髪に変わっていった。
美しい銀髪に、心配になるほどの白い肌。
そして、重苦しい水理王の装束。
ようやく顔が見られた。目を閉じていて、瞳は見えないけど、やっと会えた感じがした。涙が出そうになった。
でも情けない顔を見られたくなくて、必死に堪えた。目覚めたときに僕が泣き顔だったら、心配させてしまう。
「
声をかけても反応がない。
軽く揺すってもう一度声を掛ける。
「
急に不安な気持ちに襲われる。ホッとしたのは間違いだったか。最悪の事態が頭に浮かぶ。
もしかして間に合わなかったのか?
僕の帰りが遅くて理力に
いや、でもそれなら……理王が不在なら王館が無事なはずがない。まだ大丈夫なはずだ。
恐る恐る呼吸を確かめようと口許に手を当てようとした。そこで下から突き上げられるような衝撃が全身に走った。
「……くっ!」
胸が苦しい。息が出来ないどころではない。呼吸気管を鷲掴みにされたのかと思うような苦しさだ。
「ぅっ……ぁぐ」
胸が痛い。経験したことのない痛さだ。何だ、この痛みは……心臓が
床に座っていて良かった。そうでなければ、愛する方を床に落としてしまったかもしれない。前屈みになりながら床に手を着いた。これなら、抱えた
そう思ったところで意識が途切れた。
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