閑話 先代水理王~雫との出会い③

『これをもって流没闘争の完全終結を宣言する!!』

 

 半分意識を手離していたところに淼の声が聞こえてきた。漫然と過ごしていた頭が、淼の声で久しぶりに覚醒してしまった。

 

 いや、もう淼ではない。余の跡を継ぎ、第三十三代・水理王に就いたはず。

 

 久しぶりに部屋を見回した。

 

 脚を失くした机。折れて支えるものの失くなった燭台。中身の朽ちた書棚。大きな傷の入った壁。荒れた部屋は自分に似合っているように思えた。余のせいで乱れさせた世そのものだった。

 

 苦し紛れに刺した無機質ミネラル刀は、多少なりとも救済者メシアに傷を負わせた。救済者があれで倒れるとは思わないが、時間稼ぎは出来たはずだ。

 

 淼が王館に戻ってくるまで……即位するまでの時間を救済者から守れば良かった。

 

 今の声を聞く限り、無事に水理王をこなしているようだ。しかも流没闘争の終結と言っていた。余が招いた世界の乱れを全部、押し付ける形になってしまった。

 

 淼には悪いことをした。

 淼は自害を試みた余を治療しようとしていた。先代に諭され、即位のために側を離れていったとき、もっとしっかり淼と話せば良かったと思った。

 

 余を討伐するのではなく、治そうとするその姿を見て、それまで避けていたことを申し訳なく思った。

 

 薄れる意識の中で媛ヶ浦ひめがうらを滅ぼしてくれと、最期に頼んだのは先代だったか、それとも淼だったか。

 

 余が理王にならなければ、世の中がこんなに荒廃することはなかった。理に背いて媛ヶ浦を残そうとした結果だ。媛ヶ浦ひめがうらは滅びるべきだったのだ。


 先代は余を執務室に封印した。余を魄失化して、誰かに利用されないために。

 

 魄失は寿命を残した状態で、強い未練があると生まれるという。

 

 寿命はまだあったと思うが、未練などない。特に理王の地位には。

 

 魄失になるつもりなど全くなかった。けれど、気がつけば魂とからだがバラバラになっていた。

 

 半死半生骸骨姿の自分を魄失の自分が見つめるという無様な光景。これも自分に科された罰なのだろう。


 先代に言われた。

 強くなるまでこの部屋から出られない。

  

 来る日も来る日も自分のしたこと……しなかったことを思い出す。反省し、後悔し……でも涙が流せるからだはない。

 

 また朝が来て、夜になって……ただその繰り返しだ。

 

「失礼します」

 

 ある日突然、という表現がこの日ほどピッタリだった日はないだろう。

 

 男が扉を開けて入ってきた。先代の封印を破るなど、並の精霊とは思えない。縮こまって部屋の隅で息を潜める。

 

「あの、大丈夫ですか?」

 

 男が自分のからだに話しかけている。すぐさま骸骨だと気づき、少し引いているようだ。

 

 誰だ?

 

 そう聞きたかったのに、誰かに会うのが久しぶりすぎて声の出し方を忘れていた。 


『今度は何?』

 

 何度か声を出すのを失敗して、やっと話すことが出来た。びっくりして振り返った男は、矢鱈と紋章の多い衣装を纏っていた。

 

 初代水理王の紋章と雨伯の紋章があるのは分かる。見たことがないものは、おそらくこの男自身の紋章だろう。

 

 これだけの紋章を背負っているのは理王が太子しかいない。案の定、自分は淼だと名乗った。


 先代……いや、今となっては先々代が崩御したことを淼から知らされた。この部屋から出てみないかと言われたがとてもそんな気分にはなれなかった。

 

 余の罪は消えていない。余は弱いままだ。部屋から出ることは出来ない。

 

 それでも淼は帰ろうとしなかった。話を聞かせてほしいと言ってきた。

 

 そんなことを言われたのは初めてだった。話を聞くことはあっても、聞かれることはほとんどなかった。

 

 ゆっくりでいいと言われ、不思議とすべて話してしまった。余の犯した罪を、身内を食べて理力を高めた話を、根回しで理王になった話を、心が揺らいだせいで流没闘争を引き起こしてしまった話を、全部淼に話してしまった。

 

 これで討ち取られるならそれまでだ。どのみち生きているとは言い難い。

 

 ところが淼はおかしなことを言った。余が弱くないという。淼は本体が一滴しかなかったところから、ここまで上ってきたのだという。その自分がいうのだから、間違いなく余は強いと。

 

 理を守った余は強い理王だと淼は繰り返し言った。そしてまた部屋から出ないかと言ってきた。今度は自分の部屋に来ないかと誘われた。

 

 強いと言われたのも、部屋に招かれたのも初めてで、どう返事をすればいいのか分からなかった。

 

 返事を保留すると淼はまた来るといって去っていった。その時には魂とからだが再び結び付いていた。

 

 カラカラと音を立てる自分のからだを見下ろしていると、懐かしくて忌まわしい気配が王館に漂った。

 

 救済者メシアが来ている。

 

 からだが勝手に震えていた。カタカタという音はそれが原因か。

 

 あれほど信頼していた救済者メシアに今は恐怖しか感じない。最期に理王としての理力を奪われたことが脳裏に焼き付いている。

 

 そのせいで余は低位に戻り、王館を揺るがせた。

 

 そういえば淼は低位出身だと言っていた。きっと余と同じ目に合わされる。淼を助けなければ。

 

 どうしたらいいんだ。どうしたら淼を助けられる?

 

 視線を下げると初代水理王の紋章が目に入った。

 

 ……そうだ。理力分けだ。理王と太子間で許される唯一の方法。余に残った理力を全部、淼にあげよう。 

 

 でも余は引退した理王。勝手に理力分けは出来ない。

 

 それなら当代に会おう。ちゃんと話をして分かってもらおう。

 

 淼は余が強いと言った。ならば淼のために強くあろう。せめて淼の前だけでも強くいよう。

 

 久しぶりに部屋から出ると、王館の雰囲気は一変していた。精霊がいない。数人の気配しかない。その中でも一際強い理力を感じた。そこを目指せば当代に会える。

 

 余が封印されていたのは水理王の執務室だ。本来ならば、今頃当代がこの部屋を使っているはずだった。

 

 強い理力を辿っていくと、当代がいたのは太子の執務室だった。余のせいで理王の執務室が使えないから、太子の執務室をそのまま使っていたようだ。

 

 それなら淼はどこを使っているのかと思ったが、室内にある二つの机を見てすぐに納得した。

 

 淼は水理王を恐くないと言った。恩人であるとも言っていた。当代のことを語るその様子から、慕っていることはすぐに分かった。同じ部屋で過ごしていても不思議はない。

 

「先代水理王……?」

 

 高い声は当代ではなく、当代の後ろに控える小柄な女性だった。侍従か書記官だろう。

 

そえる。先代さまにお茶を」

 

 当代は余が来ても驚かなかった。来ることが分かっていたみたいだった。

 

「いらない。飲めないから」

 

 自分でも驚くほど、はっきり声が出た。当代も少し驚いているように見えた。でも恐くはない。淼が恐くないと言っていたから、恐くない。椅子を勧められたけどそれも断った。


「当代、淼を助けに行って良い?」

「はい?」

 

 当代は余の話を黙って、時折頷きながら聞いていた。当代としっかり話をしたのは初めてだ。淼の言う通り当代は恐くはなかった。ただ理力が恐ろしく強いだけだった。

 

「雫を助けに行くなら、水晶刀これを届けてもらえますか?」


 当代が差し出してきたのは机の上に置いてあった見事な刀だった。


「分かった」

「先代さま。雫を助けてあげてください」 

「うん、行ってくる」

 

 淼のことを真名で呼ぶ当代が少し羨ましかった。

 

 余が戻ることはない。やっとちゃんと死ぬことが出来る。誰かを傷つけてばかりだったけど、最期に誰かのために……淼のために死ぬことが出来る。

 

 やっとちゃんと死ぬばしょを見つけた。

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