379話 水理王の気配

 走りながらベルさまの気配を探した。大丈夫だ。ちゃんと水の王館にいる。その気配は力強くて僕を安心させるものだ。

 

 何故か、水流移動でベルさまの側にいけない。気配は辿れるのにベルさまに近づくことが出来ない。まるでベルさまを四方から壁で覆っているみたいだ。その壁を越えることが出来ない。

 

 ベルさまの気配は謁見の間にあった。

 

 なーんだ。

 

 ベルさまは回復してるじゃないか。もう謁見を再開している。意識が戻らないなんて、潟も添さんも悪い冗談を言うものだ。夫婦揃ってたちが悪い。

 

 大体、ベルさまがそう簡単に倒れるわけがないんだ。すっかり騙されてしまった。

 

「ベルさま……良かった」

 

 謁見の間の扉に手をついた。チリッとした痛みが手のひらに走った。けど、気にしないことにした。

 

 ベルさまの顔を見たい。でも太子とはいえ、謁見の途中で出入りするのは無礼だ。最初から同席していたり、予め途中からの参加を伝えてるならともかく、いきなり入るのは理王にも謁見中の精霊にも礼を欠く行為だ。

 

 重厚な扉の前でウロウロすることしか出来ない。早く扉が開かないかと地団駄を踏んでしまいそうだ。

 

 こんなにもどかしいことがあるだろうか。ベルさまの無事を確かめたくて、気配がすぐ近くにあるのに会いに行けない。

 

 非難される覚悟で開けてしまうか……。

 

「坊っちゃん、こないなとこで何してるん?」

「え? ……あ、漕さん」


 右後ろから漕さんが呼び掛けてきた。気配を感じなかった。ベルさまの気配を感じ取るのに必死になっていたようだ。

 

「何や、その顔。ウチでがっかりぃみたいな顔せんといてや」


 漕さんの明るい声を聞いてほっとした。ベルさまが無事でなければ、漕さんがこんなに陽気なはずがない。

 

「謁見が終わるのを待ってるんだ」

「謁見?」

 

 漕さんがチラッと謁見の間の扉に目を向けた。でもそれは一瞬で、すぐに僕へ視線を戻した。

 

「漕さんこそ、何でここにいるの?ひょうさんは良いの?」

「あぁ、ひょうの処分はしばらく後やな。火精は今それどころやないんよ」

 

 意味もなく首の後ろに手を置いて、漕さんはダルそうに言った。


「火理皇上が頑張ってはるから、ここよりは寒くないんやけど……それでも颷のいる牢はウチでも寒さを感じるレベルやったわ」

 

 ひょうさん、大丈夫だろうか。裏切者とはいえ心配になってくる。

 

「どうして急に寒いんだろうね。湿度も高いし……」

「…………坊っちゃん」

 

 漕さんが心配そうな目で僕を見ている。潟と同じ目だ。

 

「漕さん、どうしたの?」

「坊っちゃん。ここに御上はおらへんよ」


 漕さんは謁見の間を指差してから、僕の肩に手を置いた。

 

「そ……んなはずはないよ。だってベルさまの気配が……ベルさまの理力を感じるよ」

「他は?」

「えっ?」 

「謁見相手の気配は? 感じへんやろ?」

 

 漕さんにしては珍しく、畳み掛けるような言い方だった。でもそう言われて初めて気づいた。

 

 謁見の間からはベルさまの気配しか感じない。いくらベルさまの理力が強いからといって、謁見が可能な高位精霊の気配が読み取れないほど褪せることはない。

 

「坊っちゃん。さっき、うちが何でここにいるか聞いたな? 御上に何かあった時はな、うちにはここを守る義務があるんや」

「何かって……?」

「ハハッ……うちに全部言わす気なん?」

 

 漕さんは不自然な笑い声を上げた。自虐的な笑いに聞こえたのは気のせいだろうか。

 

 明るいと思っていた声も作っていたものだと分かってしまった。


「御上が譲位前に身罷ったら、の話や。御役が御上に変わって太子の即位を見届けるんよ。その時に備えてうちは玉座を守らな」

 

 漕さんは僕の肩をグッと押して、扉から引き離した。僕の肩から手を下ろすと、自分が扉の前に陣取った。

 

「ここにはな、御上が王館から離れる時に、魂の一部を切り離しておいていったんや。その魂に含まれる理力を御上の気配やと感じたんやね」 

  

 理王なのに外出できてズルいと父上に言わしめた方法だ。並の精霊がやったらうっかり魄失になってしまうという。


「誰も教えてくれへんかったんやな?」

 

 漕さんは扉を塞ぐように寄りかかった。漕さんはいざとなれば巨大化できる。侵入しようとするものがいれば、間違いなく無傷では済まない。


「何を?」

「御上がどこにいるか、潟も添も言わんかったやろ?」

「漕さん、知ってるの?」

 

 知っているなら是非教えてほしい。いやに勿体ぶっている。僕をからかっているならともかく、とても真面目な顔をしている。

 

「知ってるけど教えたら怒られるわ。でもそうやな、ヒントあげるわ。……その代わりひとつ約束してや」

「内容によるよ」

 

 もしベルさまと別れろ、なんて言われたら……この場で漕さんの頭とからだを別れさせるかもしれない。

 

「そないにかしこまらんでええよ」

 

 続きを促すと漕さんは手をヒラヒラさせながら明るく笑った。

 

「太子として為すべきこと。それから坊っちゃんがやりたいこと。……この二つが一致したら迷わずに実行することや。うちに遠慮したらあかんよ」

 

 小刻みにまばたきをしているのが自分でも分かった。何を言われているのか分からない。

 

 いや、内容は分かった。でも意図が分からない。漕さんに遠慮して、『やるべきこと』と『やりたいこと』が出来ない可能性があるみたいな言い方だ。


「どういうこと?」

「そういうことや。御上は『水の王館で最も守りの固いところ』におるよ。あとは自分で考えや」

 

 シッシッと邪魔者を追い払うような仕草をして、漕さんは人型を崩した。いつもの透明な魚の姿になると扉の存在を無視して謁見の間へ入っていった。

 

 色々気になることはあるけど、まずはベルさまだ。


 水の王館で最も守りの固いところ。


 謁見の間ではないとすると……ベルさまの私室、あるいは執務室。

 

 ……いや、強者つわもののベルさまに、固い守りなど不要だ。ベルさまならわざと侵入させた上で討ち取ることを選ぶだろう。

 

 そもそも守るというのだから、自分の身を守る力を持たない者が対象だ。王館には高位精霊しかいない。今、水の王館には潟や添さんしかいないけど、元侍従の泥と汢だって仲位ヴェルだ。

 

 他の王館にはもっとたくさんの精霊がいるけど、全員が仲位ヴェル伯位アルの高位精霊だ。高位精霊は低位精霊を守る存在だ。守られる側ではない。

 

 その高位精霊がいるべき王館で守るものなんて…………。

 

 …………。

 ………………。 

 ……………………待て。

 

 そう遠くない昔、水の王館には低位精霊がいた時期があった。


 王館には縁のない最低位の季位ディルな上、身内からも虐げられていた精霊。

 本体がたった一滴しかなく、いつ消えてもおかしくない状態だった弱小精霊。

 理術も使えなくていちどころかゼロから教えてもらった無知な精霊。

 

 

 ……離れあそこだ。

 

 何度も往復した場所へ向かって駆け出した。

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