377話 水理王仆偃
可能な限り上昇して空を広く見渡した。太陽が近くてとても暑い。
ベルさまの作戦は順調だった。でも東の方に怪しげな動きがあった。
恒山へ向かう魂を引き抜いている者がいる、と湿った風から報告があった。僕が大気中の全水分を使役して、人間の魂を監視していることに気づいていないのだろう。
世界が危機に瀕しても己のことしか考えない愚か者がいるらしい。恒山の上空を離れ、蒸気の誘導に従った。
ひとつたりとも残してはならないと、ベルさまから命じられている。回収に向かわなければならない。
不届き者を探して雲を走らせた。自分の意思で雲を飛ばしてはいるものの、空気中の水分が道を作って雲を押し流す。自然に速度が上がって、急げ急げと言われているようだ。
白く連なった魂の珠が目の前で不自然な落ち方をした。二つ三つと数えるほどだけど後を追う。
その先には沢があり、更には大きな岩場があって、その陰に精霊が
理力の塊みたいな人間の魂は、魅力的に見えるに違いない。特に昇格までもう一歩みたいな精霊にとっては禁断の果実みたいなものだろう。
上昇意欲があるのは悪いことではないけど、使いどころを間違えている。僕から確認できた魂の白い珠は五つだ。引き抜いた魂を皆で囲み、取り合っている。
こう言ってはなんだけど、ひとつずつ分けるということはしないようだ。口論から小突きあいに発展し、遂には理術を使い出した。
まず水精が火精に手を出した。簡易な水刃で人間の魂を持つ火精の腕ごと切り取った。火精が倒れると今度は水精が土精に襲われた。隠れていた岩の下敷きにされ、人間の魂は全て土精の手に渡った。
すると今度はその真下から芽が生えて、避難が間に合わなかった土精は木に突き破られた。
残った金精は木精に、魂を分けようと提案していた。自分に対して有利な金精からその提案をされ、木精は渋々受け入れた。
五個全て手に入らなくても、金精に倒されて全て失うよりは、確実に半分を手に出来る方を選んだようだ。
しかし木精が二個、金精が三個という案までは飲めなかったらしい。また言い争いが始まり、結局木精は切り刻まれた。
金精が満足したように五個全ての魂を手にした。一部始終を見ていて虚しい気持ちになってきた。でも悠長にはしていられない。
金精から魂を取り戻すため下りようとすると、金精の
僕が手を出す前に勝手に自滅した。
世界の危機に及んで、まだ自己の利益を優先しようとした悲しい結果だ。
金精の
空を見上げる。
あれだけ連なっていた白い珠は、もう見えなくなっていた。
急がないと。
雲よりもベルさまの元へ水流移動した方が早い。立入禁止に備えて、屈んでからベルさまの隣を念じた。
水流が晴れると無事に恒山に着いていた。離れる前と様子が異なる。
ベルさまの真下に巨大な穴が空いていた。恒山の口だ。そこへ白い珠が飛び込むと、その度に虹色の水が跳ね上がった。
次々と魂が帰っていく。恒山の穴から虹色の水が噴水のように休む間もなく噴出された。
ベルさまの言っていた反動とはこの虹色の水のことかもしれない。意外と大したことはなさそうに見える。
ベルさまは恒山の口を見下ろすように、ちょうど真上に浮いていた。噴出した虹色の水を全て受け止めるように被っている。それこそ一滴も残さずに。
ベルさまは虹色に汚れることはおろか、濡れる気配もない。流石、ベルさまだ。
取り戻した五つの魂を恒山の口に向けて放った。仲間の魂に引き寄せられるように、五つともすぐに去っていった。
無事に二度目の生を迎えてほしいとは思うけど、出来れば精霊界に来ることはやめてもらいたい。
最後の一個が恒山の口へ吸い込まれた。それを見届けて、もう一度空へ上がる。精霊界に残った魂がいないか……。水に属する理力を全て使って世界の隅々まで確かめた。
土の王館の水場が異質な魂がいると報告してくれた。ひとつに満たない異質な魂……
「ベルさま、終わりました」
『……た』
水が噴出する音に邪魔されて、ベルさまの声が聞き取りにくい。今まで水に邪魔されることなどなかったような気がするけど……。
再びベルさまの元へ降りた。
ベルさまが恒山の口を閉じている最中だった。小さくなる口にしがみつくように、虹色の水がまだ細々と飛び出していた。
大したことはない反動だと思ったけど、しぶとい。寧ろ水が飛び出してこなくなったことで、口が完全に閉じたのだと分かった。
静けさが戻った。
普段は水の音が五月蝿いなどとは思わない。僕たちの鼓動のようなものだから。
でも今は、この静けさにほっとする。
終わった。
まだ
「ベルさま、終わりましたね」
同意を求めてベルさまを見る。
ベルさまは、まだ足下を見つめていた。
そこにあった穴は、すでにベルさまに閉じられていて何もない。開いたことさえ信じられない。辛うじて石碑の跡が残っていることで、恒山の口があるのだと分かる程度だ。
「ベルさま? どうしました? まだ何かありますか?」
ベルさまから返事がない。
ベルさまの腕に軽く触れる。
「ベ……」
銀の煌めきが目の前を通り過ぎていった。
今のは何だ?
恒山に倒れたベルさまの姿を見ても、何が起きたのか理解できなかった。
ベルさまの背中に触れた。手に激痛が走って思わず引っ込めた。自分の手のひらが真っ赤に腫れ上がっていた。
理力が痛い。
ベルさまの
息が白い。指が
恒山についた服が凍りついていく。
全部、悪い夢だ。
そうに違いない。
声が涸れるまでベルさまの名を叫んでも
両手が腫れるまでベルさまの背を揺すっても
目の前のことが現実だと信じられなかった。
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