359話 救援

 耳元でグシャッという鈍い音がした。玉菜キャベツに包丁を突き刺した時の音に似ている。ぼんやりとそんなことを思っていると免の指から力が抜けた。

 

 そうか、今のは僕の頭が砕けた音か。どうやらここまでのようだ。

 

 死んでも離すまいと思ったのに、顎の力が抜けていく。免の腕に食い込んだ歯が離れてしまった。

 

 最期を待つために目を閉じた。消えるのか死ぬのか分からない。せめて理力を奪われる前に地獄タルタロスへ行ってやる。地獄へ行けなかったとしても、世界の理力に還ってやる!

 

 ベルさまが愉しく笑って過ごせる世界にするために、理力だけでも免に協力するわけにはいかない。

 

 

 ……ベルさま。

 

 愛しい方の銀髪が脳裏によぎる。ベルさまは後ろを向いていて、顔を見せてくれなかった。多分、怒っているのだろう。

 

 ベルさま、ごめんなさい。こんな頼りない太子で。

 どうか僕を許してください。あなたを置いていく、僕を。

 でも、あなたはもう独りじゃない。

 潟だって、添さんだって、それに雨伯だっている。広い王館で独りになることはない。


 だから、どうか悲しまないで……僕のことは忘れてください。


 

 僕の心の声は誰に届くわけでもない。自分の心にケリをつけるだけだ。まだ意識がある内に、心を強くもって最期を迎えたい。

 

「淼」

 

 脳内のベルさまは、遂に名前すら呼んでくれなくなった。それほどまでに怒っているのか。

 

「淼……余の声、聞こえないの?」

 

 よく聞いたら……ベルさまの声ではなかった。口調も違和感がある。思い切って目を開けた。

 

 目の前に飛び込んできた衣装に、息をするのを忘れた。黒地に薄い水色の衣装。胸には初代水理王である父上の紋章がある。

 

 見慣れた水理王の正装だ。一瞬、ベルさまが来たのかと思った。けれどベルさまでないことはすぐに分かった。背中の紋章に馴染みが薄い。これは、確か……。


「………………………………先代さま?」

 

 自信がなくてたっぷり間が空いてしまった。先代さまだと確信したのは、理力でも何でもなく、頭の骸骨を見たからだ。瞬きするのも忘れてしまったらしく、目が乾いていた。

 

 引きこもっていた先代さまが、何でここに出てくるのか。本当は昨日までに様子を見にいくつもりだった。忙しさにかまけて、遂に伺うことが出来ないままだったから、気になっていたのは事実だ。

 

「せ、先代さま。何でここに……」

「部屋に行っても、いなかったから」

 

 僕の部屋は教えたけど、戦地に来てほしいとは言っていない。

 

 先代は骨ばかりの指で僕を引っ張った。引かれるまま立ち上がってみてギョッとする。

 

 免が地に倒れていた。

 しかもその胸には鋭利な刃物が刺さっている。

 

 ベルさまの水晶刀だ。

 

「当代のところへ行ってきた」 

「……べ……いえ、御上と仲直りできたんですか?」

「どうかな。分からないよ。でもその武器を淼に渡すよう頼まれた。勝手に投げちゃったけど」

 

 先代さまが水晶刀を持っているということは……そういうことなのだろう。

 

 ということは玉菜キャベツに包丁が刺さったような音は、先代さまの投げた水晶刀が免に刺さった音だったのか。

 

 筋肉なんて皆無なのに、どうやったらこんなに深々と刺さるのだろう。水晶刀が自分で飛び込んでいったのではないかと疑ってしまう。

 

「来て」 


 免から水晶刀を引き抜こうとしていると、先代さまが免から離れようと僕の腕を引っ張った。免は目も口を開いたまま動かなくなっていた。

 

 水晶刀の傷は治りが遅いと、ずいぶん前に言っていた気がする。免か、それとも逸かどちらに言われたかは覚えていないけど。

 

 今の一撃で倒したのか?

 

「先代さま、ここは危ないです。王館にお戻りください」 

「戻らない」

 

 先代さまが退かない。そして口調が強い。あの弱々しかった先代さまに何があったんだ。

 

「当代の許可も貰った」

「何の許可ですか? 王館から出る許可ですか?」 

「雑魚が増えましたか」

 

 まだ先代さまと話が終わっていないのに、免が起き上がった。胸に穴が開いている。穴というよりは裂けていると言った方が良いかもしれない。

 

 水晶刀の傷はやはり逸でも治せないのか。

 

「ふん、その紋章……忌々しい。無様な姿になってお似合いですね」

「……」

 

 先代さまは瞳のない眼窩を免に向けていた。骨だけの顔を見ていると、どうしてもマリオさんのことを思い出す。

 

「余は、お前が……嫌い」

「奇遇ですね。私も貴方が嫌いですよ」

 

 先代さまの声は震えていて、免を恐れる気持ちが溢れていた。でも自分の意思を示している姿を見ると、少し頼もしく思えた。

 

「覚えていますか? 私が貴方の元を去る際、苦し紛れに私に刺した無機質ミネラル刀。そのお陰で治療に多くの年月を使いました」

無機質ミネラル刀……?」

 

 初めて聞く言葉だ。理術は網羅したはずなのに。水刀、氷刀など一般的な初級理術の武器なら僕もよく使う。

 

 特に小型の氷刀は果物の皮を剥くのに適し……ダメだ。思考まで低位に戻っている。

 

「水刀とか氷刀とか、他の精霊ひとに比べて粗悪品しか出来ないから。……無機質ミネラル刀はあまり使われないからよく使った」

 

 無機質ミネラル刀というくらいだ。川や湖よりも、温泉や海の方が無機質ミネラルは多いだろう。使う精霊が少ないのは無機質ミネラルを多く含む精霊がいなかったから、か。きっと媛ヶ浦は豊かな海だったのだろう。

 

「体の中で固まった無機質を取り除くために、王水まで用いる羽目になりました。体の肉を腐らせ、中に入り込んだ金属を溶かすのがどれほどの苦痛だったか分かりますか?」

 

 免が歪んだ顔を見せた。

 

 元理王と現太子。ただし二人とも低位精霊。このままでは勝ち目はない。

 

 手にした水晶刀だけがカタカタと武者震いのような音を立てている。

 

「分からない。余が知る必要はない」

「そうですか。慣れるとクセになる痛みだと教えて差し上げたいくらいですよ!」

 

 免の回りで石柱がビシビシと揺れ始めた。次第に無数の石柱が地面から抜け、高く持ち上がった。宙でくるりと向きを変え、僕たちを狙う。

 

 石柱が抜けた穴からは丸い光の塊が飛び出し、免に全て吸い込まれていった。

 

「熟成が終わりました。素晴らしい理力量です。あとは各王館に放った各々が持ち帰れば規定量に足るでしょう。その前に……」

 

 免の左腕が真上を指差す。石柱への指示をするのだろう。

 

 水壁を出してみたけど、防げるかどうか。思ったよりも薄い壁しか出来なかった。きっと無傷ではすまない。

 

「今度こそ消えてください」

 

 免が腕を下ろすと石柱が僕たちに向かって飛んできた。速度のついた物体が迫るのは思ったよりも早くて、あっという間に水壁の前に到達した。


 目の前で爆発が起こる。石が砕けた……にしては破片が飛んでこない。埃が舞っていて見えないけど水壁も綺麗なままだ。

 

「よぉ、雫。大分、縮んだな」

 

 粉塵が収まると慣れ親しんだ赤い髪が見えた。焱さんが水壁の前で、火球を片手に僕を見下ろしていた。

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