357話 時を操る

 竹伯の自爆で免の顔が醜く傷ついていた。皮膚が捲れ上がり、筋が見えている。髪が少し燃えたらしく、独特の不快な臭いが漂ってきた。

 

「はっ! 爆竹で退却とは私への祝砲ですか」

 

 免は痛がる様子もなく、当て付けのように高く笑った。顔の筋がひきつっている。見ているこっちが痛くなってしまう。

 

 免は剥き出しになった頬に右手で軽く触れた。痛々しい皮膚が綺麗な肌へと変わっていく。

 

 こんなにあっという間に修復されてしまっては、竹伯によって自爆が無意味なものに思えてしまう。

 

「頭の中に根を伸ばされたのは、かなりの苦痛でした。しかし、これくらいの爆発なら何ともありません」

 

 免の頭に刺したこうがいが、竹伯によって強力な武器になった。成長の早い竹の特性を限界まで活かした攻撃だ。僕には真似できない。

 

「何をやっても無駄です。どんなに深手を負ったとしても、体の時を戻せば済むことですから。怪我をする以前まで、ね」


 物理攻撃でダメージを与えても、時を戻される。理術だけではなく、物理攻撃も効かないと言っているようなものだ。まさに踏んだり蹴ったりだ。

 

いつに時を戻させるのか?」

 

 逸が僕に教えてくれたとは言わない。実際に目の前で見ていたのだから、これはただの事実確認だ。


「そう。ご覧になった通りですよ。勿論、私が死なない限りは、ですが」


 免は死なない限りという言葉を強調した。それが弱点であると、わざわざ教えてくることに余裕を感じる。

 

「愛する者を生き返らせるのが目的なんじゃないのか?」

「えぇ、そうですよ。覚えていたのですか」

 

 意外そうな顔はしているけど、本当に意外だとは思っていないのだろう。ただ僕を挑発したいだけだ。


「だったら、お前自身だって死から戻れるんじゃないのか」

「あははは。相変わらず素直な方だ。私が死ねば右腕のいつも死ぬのですよ?」

 

 つまり、いつがいなければ、肝心の時を戻す担い手がいなくなる、ということだ。

 

 いつは道連れか。脳裏に暮さんの顔がチラついた。胸の辺りにモヤモヤしたものが生まれる。


「だから私を倒すなら、ひと思いにるしかないのですよ?」


 思い切り煽ってくる。それが自信の証なのだろう。挑発には乗りたくないけど、戦わざるを得ない。

 

 無駄だとは思いつつも、石柱に手を置く免に向かって殴りかかってみた。地を蹴って、最大限のスピードで飛び込む。呼吸を止めている間に免と距離を詰めた。

 

 一瞬、免の灰色の瞳と視線が交錯する。免は避けることもできただろうに、大人しく僕に殴られた。

 

 免の体は吹き飛んで、また別の石柱にぶつかって止まった。その顔はナックルの跡がついている。骨まで影響したのだろうか……頬が凹んでいた。鼻もやや曲がっているような気がする。

 

 それも右手を当てるだけで、すぐに戻ってしまった。竹伯の自爆と言い、僕の攻撃と言い、何一つ効果がない。

 

 どうしたものか。

 

 免はぶつかった石柱を撫でながら、何かを思い出したような顔をした。

 

「そうそう。言っておきますが、この石柱にある人間の魂は熟成中です。もうすぐ理力に変換されます」

「だから何だ?」

 

 突然、話が変わって何が言いたいのか分からない。悠長に話していないで攻撃を仕掛けるべきなのだろうけど、下手をすれば今度は返り討ちにあうだろう。免はやられたらやり返してくる。

 

 免の最も厄介な部分は速さだ。動きを封じたくても手だてがない。

 

 加えるなら玉鋼もない。理術も効かない。僕ひとりで。

 

 せめて他属性の誰かがいれば、合成理術を使えたかもしれない。でも、皆自分の持ち場を守るのに必死だ。僕が免を何とかしなければならないならない。


「察しが悪いですね。この理力で逸の能力を最大限に利用できるのですよ。私の体を元に戻すことに限りません。世界の時を戻し、雲泥子ウンディーネを取り戻すことも出来ます」


 ベルさまが言った通りだ。雲泥子がいた頃まで時を戻そうとしているらしい。

 

「私の愛する雲泥子ウンディーネ……もうすぐ会える」 

 

 免は目を細めている。自分に酔っているようにも見えるし、思いが叶った未来を想像しているようにも見えた。


「お前は……水の星から雲泥子ウンディーネを追ってきたのか?」


 僕が声を掛けると、免は返事の代わりにニヤリと笑った。今までにない不気味な笑みに見えた。

 

 雲泥子ウンディーネと契約をしていたという人間。雲泥子ウンディーネを追うために精霊を食べたという。同胞が犠牲になったかと思うと許せない。


「お前は人間なのか?」

 

 免は返事をしないどころか、不気味な笑みをたたえたまま、くるりと体を反転させた。僕に背中を見せる形になる。

 

 僕の攻撃など恐れていない証拠だ。

 

 だとしたら免が恐れているものは何だ?

 

 免の気持ちなど考えたくもない。でも……自分だったらどうか?


 僕が一番恐ろしいことは何だ?

 この場で免に消されること?

 ……いや、それでベルさまが守れるなら怖くはない。

 僕が負けて、ベルさまを失うことの方が余程恐ろしい。

 

 ……もしかしたら免も同じなのか?


 免がここまでじっくりと時間を掛けて、理力を集めてきたのは、雲泥子を取り戻すためだ。それならば免にとって、その願いが叶わないことが……最も恐ろしいことのはずだ。


「残念だけど、雲泥子ウンディーネは復活しない」

 

 免は後ろに向いたままだったけど、動きがピタリと止まった。 

 

「御上がそう言っていた。雲泥子は世界を渡ってすぐに亡くなった。だから時を戻しても無駄だ」

 

 雲泥子が生きていた頃まで時を戻そうとすれば、精霊界そのものが出来上がる前まで戻らなくてはならない。

 

「だまれ」


 免は振り返ることなく、小さく声をあげた。

 

「それに……雲泥子ウンディーネは復活したいとお前に頼んだのか?」

「……」


 免が振り向いた。無表情すぎるほどの無表情。その顔を見た瞬間、免の気持ちが読み取れてしまった。僕に対する怒りと自分に対する焦り、そして寂しさ。

 

「だまれ!」

「黙るもんか。雲泥子ウンディーネを愛していると言いながら、雲泥子の気持ちなんか考えていないんだろう!」


 愛するということかどういうことか、今なら僕にも分かる。本当に愛しているなら、相手の気持ちを一番に考えるべきだ。

 

 免が動揺しているということは、きっと雲泥子ウンディーネの気持ちを考えての行動ではない。自分がただ雲泥子ウンディーネに会いたいという傲慢な欲求だ。

 

「お前は雲泥子ウンディーネを愛していない!」

「五月蝿い!」

 

 免の右拳が石柱を殴った。石柱が縦に割れて閃光が走る。

 

 あまりの眩しさに顔を腕で覆った。衝撃が来るかと思って構えていると、一瞬息が詰まりそうな苦しさがあった。頭がグラグラして、胸が苦しい。まるで魂が縮んでしまったみたいな衝撃だ。

 

 眩しさが収まって顔から腕を避ける。その時初めて自分のからだに違和感を覚えた。

 

 手が袖から出ていない。

 

 袖だけではない。下履きも踝あたりで布が余っていた。いつも首の後ろをくすぐる髪の束を感じない。


 まさか……。

 

 自分のからだを冷静に分析していると、免の高笑いが聞こえてきた。


「どうです? 久しぶりに……叔位カールに戻った気分は!」

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