356話 無理

 西日に照らされた免の額は綺麗に修復されて、穴も残っていない。その狭い額から竹がはえていたと言ったら、誰が信じるだろう。

 

「やってくれましたね。久しぶりの激痛でしたよ」

 

 免が落ちていた帽子を拾い上げる。

 

 その動きに合わせて、僕も玉鋼を拾った。氷刀を解除し鞘に戻す。手を握りしめ、ナックルダスターの感触を確かめた。何故か僕の指にぴったりと収まっている。

 

 使いこなせるだろうか。僕の不安などお構いなしに、ナックル自体がウズウズしているのを感じた。戦いたくて仕方がないといった感じだ。


 免はゆっくりと時間を掛けて、馬鹿丁寧に被り直した。やや俯いて顔が見えなくなったと思ったら、瞬きをしている間に……竹伯の目の前に姿があった。

 

 僕を通り過ぎて行ったことに気付かなかった。遅れて空気の動きを感じる。

 

 竹伯に声を掛けるのも間に合わなかった。竹伯はすでに両手を顔の前で交差させて、防御の姿勢を取っていた。


「くっ……!」

「私に痛みを与えたお返しです」

 

 竹伯から小さく呻き声が上がる。衝撃に圧されたのか、少し後ろによろめいた。

 

 少し遅れて竹伯の両腕が……落ちた。

 

「竹伯っ!」

 

 さっきまで免は武器を持っていなかった。まさか隠し持っていたのか?

 

 免は少し腕を引いて、続けて竹伯を襲おうとしている。その手には何も握られていない。

 

 咄嗟に、折れた玉鋼を抜いて免に投げつけた。肩が痛くなるほど思い切り、全身の力を込めた。玉鋼はまっすぐに免の背中へ飛んでいき、首の付け根辺りに突き刺さった。

 

 このくらいの攻撃で倒せないことは分かっている。でも免の動きを一瞬でも止めることに成功した。

 

 免が振り向こうとしている隙に、死角へ走りこんだ。僕の気配が近いことに気づいた免が振り向こうとする。その前に、免の顔を軽く殴った。ナックルを嵌めている分、僕が軽く殴ったつもりでも、それなりのダメージがある。

 

 免の顔が向きを変えている内に、屈んで地に手をついた。腕に体重を乗せて、勢いよく足を上げ……免の顔を蹴り飛ばした。

 

 視界には入らなかったけれど、ザザザッと地面を滑る音が聞こえた。僕が足を下ろす頃には、免は少し離れた石柱に背中を打ち付けていた。


「竹伯! 竹伯っ! しっかりしてください」

 

 竹伯を支える。両腕を失った竹伯は片膝をついてしまった。両方とも肘を残してその先がない。顔を庇ったときに両腕を一気に斬られたのだろう。

 

 止血が必要かと思ったけど、不思議と血は一滴も流れていない。

 

「うーん……大丈夫。意識はしっかりしてるよ。でも地味に痛いね」

 

 竹伯が薄く笑いながら、斬られた腕を僕に見せた。一瞬、ギョッとしたけど切り口は空洞だった。竹伯の腕は竹そのものだった。

 

「素手で切られたよ。すごいね」

「素手?」

 

 武器を隠し持っていたわけではないのか。素手でこんなにスパッと切れるものだろうか。


「いたたた……でも大丈夫。流石にね。僕だって本体ごと敵陣に乗り込まないよ。淼さまだって泉は持ってこられないでしょ?」


 水精と木精の本体を種類のものとして考えて良いのか?

 

 その疑問はひとまず置いて、立ち上がろうとする竹伯に手を貸した。本体ではないから大丈夫とは言え、動こうとすると眉間にシワが寄る。痛いことは痛いのだろう。

 

「でも駄目だ。これはもう使い物にならない。淼さま、あ痛たた……悪いけど僕は退場するよ」

「無理しないでください、竹伯」

 

 黄龍閣下の地獄タルタロスか、それとも青龍伯のところか。尋ねようかと思ったけど止めた。

 

 免が石柱の間で立ち上がっていた。悠長にそんなことを質問している時間はない。胸を抑えているから、まだ少しの時間はある。今の内に竹伯を避難させてあげたい。 


「淼さま。今、何て言った?」

「無理しないでください、と」

「……無理?」

 

 竹伯の顔色が変わった。

 

 急に体調が悪くなって……ということではない。目から鱗が落ちた、みたいな顔をしている。

 

「そうか。無理……か」

「だ、ダメですよ。早く避難してください」

 

 この期に及んでどんな無理をしようとしているのか。

 

「いや、そうじゃなくて……」 

 

 竹伯は途中までしかない腕を器用に組んで、何かを思い出そうとしているみたいだった。


「ずっと昔、いたんだよ。無理・・を謳った奴が」

「は?」

「まだ木訥アートレスが活躍していた頃だから……えーっと、二代目? いや、三代目かな? まぁ時代は良いか」


 木訥は竹伯の一族だ。でも、木訥アートレスが活躍していたのは大昔と言って良いだろう。竹伯でさえ時間を考えることを放棄した。

 

「新しいルールが次々と生まれた頃だろうね。奴はルールで世界を固めることに反対していたんだ」


 無理……つまりルールが無いということ。

 ルールがなかったら生活が……ひいては世界が成り立たない。

 

「確か木精だったよ。名前は忘れちゃったけど……」


 竹伯が顔を上げた。その視線の先で、免が完全に起き上がっていた。遠目ではあるけど、喉の少し下あたりから折れた刃が突き出していた。

 

御柳梅マヌカっていう木でね」

「マヌカ……って」

 

 そのままじゃないか。

 まさかその御柳梅マヌカが免本人なのか?

 

 でもそれでは、免が水の星から来た人間であるという説が成り立たなくなる。


「地位は伯位アルだったけど、それすらも拒絶していた」

「地位も拒絶?」

 

 免は右腕を後ろに回した。玉鋼の柄を確認しているようだった。いつ来ても良いようにナックルを握りしめる。

 

ことごとく理に縛られることを嫌っていたらしい。けどある時、急に姿を消したんだ」

「どこへ?」

「……何言ってるの、淼さま。それがわかったら姿を消したって言わないでしょ」

 

 ソウデスネと小さく返事をした。浅はかな質問をしてしまった。

 

 免は再び逸を呼び出していた。恐らく傷を治させるのだろう。僕の見える範囲で、残りの玉鋼が免の手で砕かれているのが分かった。

 

「それから存在は忘れられていた。でも、もしかしたら関係あるのかもね」


 分からなくなってきた。

 

 免が御柳梅マヌカだとしたら、雲泥子ウンディーネとの関わりに説明がつかなくなる。ベルさまの話だと雲泥子ウンディーネは精霊界が出来て間もなく、亡くなっている。だから、御柳梅マヌカ雲泥子ウンディーネと接触してはいないはずだ。

 

「まぁ、別に良いか。じゃあ、僕は退却前にひと暴れしていくよ」

「はい、そうし……え?」

 

 竹伯が退却と口にしたので、うっかり返事をしてしまった。物騒な単語を聞き逃した気がする。

 

 竹伯は腰にぶら下げた袋を外した。言ってくれれば手伝ったものを、器用に腕の切り口を使ったみたいだ。


「これね。森さまがくれたの」

 

 竹伯はそう言いながら、袋の中身をザーッと口に運んだ。中身は薬だろう。

 

 あらいさんの薬は効果抜群だ。もしかしたらこれで腕が治るのか?

 

 竹伯は口いっぱいに薬を含んで、空になった袋を投げ捨てた。ちょっと頬張りすぎだ。水を差し出したら押し返された。別れを告げるように腕を振ると、免の元へ駆け出してしまった。

 

「竹伯!」

 

 すでに免は傷を治し終えて、待ち構えている。そこへ竹伯が駆け込み、免の懐へ飛び込んだ。

 

 その直後、激しい光と音を立てて……竹伯は爆発してしまった。

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