348話 逸と暮

 いつが下りてきた。天井も壁もあるはずなのに、彼女にとっては無意味だ。

 

 逸と暮さんの間に立つ。逸の視界から暮さんを消したかっただけだ。でも逸の目は僕を通り過ぎて、暮さんがいる位置に固定されたままだった。

 

ばん……いえ、くれるだったわね」

「渡すと思うのか?」

「貴方には聞いてないわ、雫」

 

 冷たい睨みあいが始まった。いつ花茨はないばらで会ったときよりも、痩せたように見える。顔色も悪い。見るからに体調が良くない。


「阪さん、暮さんと一緒に木の王館へ」

「へ? ど、どないするんです? あのべっぴんさん、免の手下なんやろ?」

「今から戦うから。だからここから離れて」 

 

 卑怯な考えだけど、今なら逸に勝てるかもしれない。

 

「けど、先導者ベルウェザーいつゆうたら、免の右腕やておとんが……」


 流石だ、垚さん。ちゃんと事前に情報を共有している。僕がひとりで敵う相手ではないと心配しているのだろう。

 

「暮さんを渡すつもりはないんだ。だからここから離れて……っ!?」


 逸がいない。

 

 僕と阪さんがコソコソと話をしている間に、逸が暮さんに近づいていた。


「暮さんから離れろ!」 

 

 逸に向かって氷柱を投げつけた。先の尖った氷柱は、壁に刺さって小刻みに揺れている。初めからそこに誰もいなかったかのようだ。

 

 逸が別の壁から出てきた。歩くことも飛ぶこともせずに、壁や床を通して自由に移動している。

 

 これでは暮さんとの間に入ったところで、すぐに位置を変えてしまう。

 

「さぁ、暮」

 

 逸が少し離れたところから、暮さんに手を伸ばしていた。僕はその白い手を目掛けて、玉鋼を振り下ろす。思い切り高い音を立てて、刃は床で止まった。固い岩の床にも負けず、玉鋼は欠けることなく、輝いている。

 

 床から引き抜いた刃に逸が写っていた。いつの間にか背後を取られている。

 

 逸の動きが速すぎる。今なら逸を倒せるかも、と思った少し前の自分が情けない。

 

 暮さんはからだを半分ほど影に埋めたまま、じっと逸を見上げている。

 

 暮さんは免から切り離している。でも、元同僚の言葉に…………どう反応する?


「あねうえ」

 

 暮さんの発言に場が凍りついた。ひとり逸だけが満悦そうに口角をあげている。

 

 まさか……。


「に、似てる」

 

 え、似てるだけ?

 そんな思わせ振りな……。

 

 暮さんの言葉に逸が少し固まった。その隙を狙って、阪くんが暮さんの元へ走った。

 

「行くで、木乃伊マミー!」

「おー」

 

 ズブズブと二人で影の中へ沈んでいく。逸はそれを追うこともなく、呆然と二人を見送っていた。

 

 いつ戦いになってもおかしくないように、身構えていたのに、逸はどこか諦めたような顔をしていた。

 

「……あの子に何をしたの?」

「名の上書きを行った。暮さんは免の支配は受けない」

「そう」


 逸はそう言って、僕に背を向けた。

 

 敵であるはずの僕に。

 罠かもしれない。

 

 抜いたままの剣を鞘に納めた。いつでも抜けるように指は掛けたままだ。

 

「……攻撃しないの?」


 まるで斬りつけて欲しいみたいな言い方に、余計に混乱する。手は剣に掛かっているけど、鞘から引き抜くのは躊躇われた。

 

「暮さんは弟なのか?」

 

 それだけを聞くのが精いっぱいだった。

 

 逸はため息をつきながら振り向いた。剥き出しの背中が見えなくなって、安心している自分がいる。斬らずに済んだとほっとしてしまった。


「そうよ」

 

 逸は短く答えただけで詳しく語ろうとはしない。

 

 でも僕は事情を知っている。暮さんは姉を助けるために、この世界にやって来た。記憶処理を受けたとは言え、一番大事なことは心の奥深くに残っていたのかもしれない。

 

「じゃあ、いつは……暮さんが探してた光の精霊なのか?」

「昔わね」


 僕が二人のことを知っていると気づいて、逸は複雑な表情を浮かべた。


「今は……免の一部でしかないわ。魂は免の支配下にあり、からだは免の右腕に過ぎない」

 

 その言い方から、逸が本心から免に従っているわけではないと分かった。

 

「私は現象系の精霊。居場所は決まっていない。反対に、一度固定されたら動けないわ」

「免の右腕に固定されてるのか」

「そうよ」

「暮さんもか?」

「あの子は……あの子も同じだけど少し違うわ。あの子は少し木の理力が混ざっているから」

 

 だから木乃伊マミーの役についている。それがなければこの王館で行き場がなかったかも知らない。

 

「それにあの子は、免の支配を受けていたとは言え、名付けられたわけではないから……」

「逸は、免に名付けられたのか?」

 

 さっきから質問してばかりだ。何故こんなことをしているのか自分でも分からない。

 

 質問するにしても、どうやって入ったか、とか免はどこにいるのか、とか聞くべきだ。

 

「そうね。だからまぬがと切り離すことはできないわ」


 ひくサンは免から生まれたと言っていた。上書きで配下になったベンまゆみを格下だと見下げてもいた。

 

 いつはどうなんだろう。免に敬称をつけないところを見ると、忠誠心は高くないように見える。


「暮さんを取り戻して、僕たちと戦わせるつもりだったのか?」

「逃がすつもりだったのよ。この世界を離れてしまえば、今の免に水の星へ渡る力はないわ。せめて暮だけでも……」

「どういうことだ? 免は理力を集めているんじゃないのか?」

 

 水の星へ逃げることを考えて、養父上に待機を頼んだけど……。無用だったか。


「今は目的を達成するために少しでも多くの理力を集めているわ。無駄に消費することは避けるはずよ。尤も……私がいなければ目的は達成しないけど」

「何を……するつもりなんだ?」

 

 逸は自分を守るように、胸の前で腕を組んだ。

 

「免から聞いたでしょ? 『愛する者を取り戻す』……それが免の目的よ」

「どうやって?」


 やや前のめりになると、逸は逆に僕から距離を取った。


「もう遅いわ。そろそろ免に気づかれるわ」


 免が来ている。

 それが、分かったのは収穫だ。


「私を斬れば免の計画は成功しなかったのに、残念だったわね」

 

 逸が髪を一本抜いて輪を作り、床に投げ捨てた。逸が輪の中に足を踏み入れると、ズブズブと沈んでいく。

 

 

「待て。何をするつもりなんだ!?」

「それを私に聞くの? 免の右腕である私に」

「右腕なら知ってるんだろ?」

 

 逸の自嘲じみた笑みが、挑戦的に見えた。 

 

「暮さんを……助けたいと思わないのか?」

「……ずるいわね」

 

 本当は追いかけて捕縛して……質として使うか、尋問するべきだ。でも少なくとも暮さんがいるところを、逸が攻撃することはないだろう。

 

「……時を戻すわ。せいぜい頑張って耐えることね」

 

 頭が見えなくなる直前、いつは小さな呟きを置いていった。

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