336話 静かな開戦

 朝霧で柔らかくなった光が王館を包み込んでいる。その優しい暖かさを堪能していると、自然と穏やかな気持ちになってくる。

 

 大きな戦いの前なのに、不思議と落ち着いている。

 

 開け放った執務室の窓からは心地よい風が入ってきた。

 

「いよいよですね」

 

 潟が緊張気味に呟いた。

 

「なんで潟は戦う気満々なのよ。戦いのは太子の仕事でしょ!」

 

 添さんが潟に食って掛かった。その手には針と糸が握られていて、目の前に大判の布を広げている。

  

「侍従たるものその名の通り、お側に侍るのが仕事です。添、今回は何と止めようが無駄です」

「『今回は』じゃなくて『今回も』でしょ!」


 一瞬、止めようと思ったけど、変に巻き込まれるのは嫌だったので無視することにした。

 

 二人とも結局避難してくれなかった。昨日は一日姿を見せなかったので、強引に連れ出すこともできなかった。

 

 それならせめて、皆で執務室にいた方が良いと思って呼んだのだけど、間違いだったかもしれない。


「そんなに構える必要はないよ」

「構えていませんよ」


 ベルさまはいつも通り執務席についている。その近くで漕さんがうろうろと宙をさ迷っている。

 

 漕さんはベルさまが昨夜の内に呼び寄せた。情勢を探らせるために市中に放っていたらしい。市中に異常はないらしいけど、各理王の命によりマーケットは閉鎖され、閑散としていたそうだ。

 

 更にベルさまは何もしないと言いつつも、ちゃっかり仕事をしていた。万が一、王館外の高位を狙うことを考え、全高位の領域に、避難場所として使えるシェルターを配した。高位しか狙わないことを考え、各所に一人ずつだ。

 

 貝舵シェルターから王館に直結することも可能だという。使い方を知りたいけど、使わないことが一番だ。何事もなく終わって欲しい。


「……静かですね」

 

 潟が誰にともなく呟いた。

 

 言われてみれば確かにそうだ。

 先程まで入ってきた風は止まり、鳥の声さえ聞こえない。

 

 不気味な静けさだ。誰もいない洞窟の方がまだマシかもしれない。いつでも飛び出せるように、と開けておいた窓だけど、不安で一旦閉めた。

 

 窓を閉めるのと同時に、カチャンッという音がして心臓が跳ねる。執務室の奥でベルさまが茶器をいじっていた。

 

「お茶でしたら僕が」

 

 ベルさまが自分でお茶をいれようとしていたらしい。実はベルさまも緊張しているとか、心を落ち着けたいとか……もしそうだったら親近感が湧く。


「緊張しているみたいだから、たまには私が雫に淹れてあげようかと思って」

「な、何を仰るんですか? 緊張はしてますけど、理王の仕事じゃないです」

 

 自分のためじゃなくて僕のためだったらしい。事実、その手には僕の茶器が収まっていた。

 

「太子の仕事でもないだろう。大丈夫だよ。雫が来る前は全部自分でやってたからね」

「僕の方がベルさまに淹れ慣れてます。貸してください」

 

 ベルさまが置いた給茶機サーバーを奪おうと手を伸ばしたら、ベルさまにサッと避けられてしまった。 

 

「愛する者にお茶の一杯でも淹れたいじゃないか」

「そ、それなら僕だって同じですよ。僕がやりますから、貸してくださいってば」

 

 ベルさまと給茶機サーバーの取り合いになった。一瞬、何でこんなことをしているのかと思ったけど、気づいたらベルさまの顔がすぐ近くにあって、一気に顔が熱くなった。

 

 その一瞬の隙をつかれて、給茶機を奪われる。でも奪ったのはベルさまではなかった。


「お二人とも、給茶これは私の仕事です。あと私の前でこれ以上、イチャイチャするのはお止めください」

「御上ー。婚姻旗の縁取り、これで良いー?」

 

 潟が現れたのと同じタイミングで添さんがベルさまを呼んだ。ベルさまが戻っていく。ベルさまと添さんの楽しそうな声が聞こえてくる。

 

 何を話しているのかまでは分からないけど、楽しそうだ。意外とあの二人は仲が良い。

  

 僕は執務室の奥に残って潟がお茶を淹れるのを黙ってみていた。

 

「免はいつ来るのかな?」

「あちらが指定したのは今日ですから、今日中には参るでしょう」

「いや、それは分かってるけど、さ。今日のいつ頃とかさ」 

 

 潟の答え方はぶっきらぼうだった。でも怒っているわけではない。潟も緊張しているみたいだ。


「免なら、もう来てるよ」

 

 執務席の方からベルさまの声が返ってきた。僕と潟の声が聞こえたとは地獄耳だ。潟を奥へ置いて急ぎ足で席へ戻る。

 

「もう来てるってどういう……いや、どこにいるんですか?」

 

 どういうことも何もない。来ているならどこにいて、どこを攻撃しようとしているのか。

 

「私の遠距離結界に何回か引っ掛かっているからね。水の王館には直接的な攻撃はまだ来ていないけど」

 

 見てみる? と言いながらベルさまは水晶を取り出した。透明な水晶の中で雲が流れているように見える。

 

 ベルさまが人差し指の爪先でコンッと水晶玉を弾くと、雲は消えて映像を写し出した。

 

「目立つのは金の王館だね」

「あ、あぁ穴あぁ穴が、穴だらけじゃないですか!?」

 

 外壁に無数の穴が開いていた。大きさは正確には分からないけど、砂に何度も指をさしたら、こんな感じになるかもしれない。

 

「落ち着きなさいよ。うるさくて集中できないわ」

 

 添さんにたしなめられた。添さんは糸を縫う……のではなく、ほどいていた。ベルさまにダメ出しされたらしい。不満そうだ。

 

 いやいやいや、今それどころではない。

 

「ベベベベルさまっ! 金の王館は大丈夫ですか!?」

「大丈夫。結界は機能していないみたいだけど、今のところ侵入された様子はないね。でも金の王館に金属の球を撃ち込むなんて、なかなかだよね」

 

 何が中々なのか、僕には理解できない。

 

ぬりぬたは大丈夫でしょうか」

 

 潟が盆を片手に戻ってきた。元侍従仲間である泥と汢のことが気になっているようだ。正直、僕も気になる。

 

「あ……直ってく」

 

 見ている内に外壁の穴があっという間に塞がった。音までは聞こえないので、何が起きているか余計に分からない。

 

「これは土の理術ですね。泥と汢が活躍しているのでしょう」

「土で埋めてるってこと?」

 

 その割りには外壁と同じ色で埋まっている。もうどこに穴が開いていたのか分からないくらいだ。

 

「正確には土ではなく、土の中に含まれる金属成分を取り出して固めているのです。土精が自らの健康を維持するため、身に付ける初級理術です」

「そっか」

 

 金の王館で土の初級理術といえばあの二人で間違いない。泥と汢がやったんだ。取り敢えず無事は確認できた。


「金理の可能性もあるけど、流石にまだ出てこないか」

 

 ベルさまがボソッと呟いた。金理王さまが土と金の混合精だということを忘れていた。いや、忘れていたというよりも、泥と汢が気になっていた方が強いというか……まぁ、いいか。

 

「金属弾を撃ち込んでくるということは……ひくでしょうか」

「かもしれないね」

 

 菳を質に取られた苦い思い出だ。来るなら僕たちのところだと思っていたけど、金の王館に行くとは意外だ。


「今のは開戦の合図みたいなものだろう。ここからどう反撃するかな」


 窓は開いている。

 にも関わらず、隣接する金の王館での騒動が聞こえてこない。

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