335話 養父と子

 開戦前日。

 

 流石に緊張してきた。明日になれば免が攻めてくる。

 

 免が配下を連れてくるか。それとも人間を使ってくるか。可能性は低いけど一人で来るか。

 

 何の情報もない。

 

 向こうには王館の構造や内部事情などが渡っている。王館に侵入を許せば、危機的状況に陥ることは目に見えている。侵入は食い止めたいところだ。

 

 合成理術に対抗するため、他の太子は佐と共闘する訓練をしているらしい。でも僕は菳がいない以上、それは出来ない。理術がダメなら体力勝負だけど、今から体力をつけようとしても遅い。


「雫ー。こんなところで何をしているのであるかー?」

 

 免の一味が現れていないか、外を確認していたところだ。廊下の窓から空を眺めていると、腰をぎゅっと締め付けられた。

 

養父上ちちうえ、元に戻ったんですね」


 完全に後ろから抱きつかれていて、顔は見えないけど、養父上の声と理力で間違いない。

 

「戻ったのだ。理力の回復が若干追い付いていないが、この通り問題ないのだ。」

「いたたた。あはは、元気ですね」

 

 養父上は両腕にぎゅーっと力を込めて僕を締め上げた。そのせいで腰骨が軋む。

 

 冗談でもこれだけの力が出せるのだから、ほとんど回復したといって良いだろう。

 

「他の者もほとんど復帰したのだ。厨房と庭の者が数人戻っていないが、戻る兆しはある。心配は無用なのだ」

「そっか。良かったです」

 

 雨伯一族自体は復帰できたらしい。理力量の多くない使用人たちは、回収に時間がかかるかもしれない。でも心配ないと雨伯が言うなら安心だ。任せるしかない。

 

 養父上は僕の腰から離れて正面に回ってきた。僕の顔をじっと見上げているので、目線をあわせるために膝をついた。


「そなたは吹っ切れた顔をしているな。何か良いことでもあったのか?」

「いや、特には……」

 

 ベルさまと想いが通じあったことは、まだ言わない。明日の戦いが終わってから、きちんと報告するつもりだ。


「何をにやけておるのだ」

「にやけてにゃ……にゃにしゅるんでしゅひゃ」

 

 養父上は僕の両頬に手を当てたかと思うと左右に引っ張った。痛くはない。痛くはないけど顔が伸びそうだ。

 

「楽しいことなら我輩にも教えて欲しいのだ」

「あー……えっとー」

 

 解放された頬を擦りながら言い訳を考える。

 

「そうだ!先代水理王さまと会ったんですよ」

「おぉ!漣が封印した先代さまであるか」

 

 咄嗟に出た先代さまの話は、養父上の興味を引くには十分だった。


 流石に雨伯だ。ベルさまも潟も知らなかった先代さまの部屋のことを知っている。

 

「でもまだお部屋から出ていらっしゃらなくて、船への避難を検討中なんです」

「なるほど。しかし腐っても元理王なのだ。ここで手を貸すのは不名誉というもの」

 

 養父上は顎に手を当てて思案し始めた。

 

「御上に伝えるが良い。守護するつもりならば、先代さまの執務室を強めに結界を張っておけば良い、と」

「でも養父上、免が先代さまを狙ったら……」

「自業自得じゃ!」

 

 養父上は強い口調で言い切った。

 

「……と漣ならば言うだろう」


 養父上は目を思い切り細めて先生の顔を真似た。あまり似ていないはずなのに、雰囲気がそっくりで思わず笑ってしまった。

 

「結界を強くする必要もないとは思うぞ。そもそも強くなるまで部屋から出られない、というのも、あくまで約束であって理術ではないのだ」

「え、そうなんですか?」


 ということは漣先生の結界は何だったんだ。

 

「漣の結界は先代さまを守るためだが、先代さまが出ようとすれば出られたのだ。漣は先代さまを半死半生にし、犯した罪を償う機会と時間を与えたのだ」 

「あぁ、そういえば『したこともしなかったこともどちらも罪だ』と仰っていましたね」

 

 養父上はうんうんと頷きながら、両手を腰に当てて背筋を伸ばした。

 

「先代さまも分かっているのだな。成長なさったものだ。自分で決断しなかったことが罪であり、それを放棄して自害したこともまた罪である。いずれも先代の意思の弱さによるものだ」

「理力の弱さは関係なかったのですね」

 

 関係ないと言い切ってしまうのは……王館の世界では難しいかもしれない。でも『強くなるまで出られない』というその強さは理力ではない。理力などそう簡単に強化できない。


「先代さまのことは本人に任せるほかないのだ」

「分かりました」

 

 免が先代さまを狙ったらその時はその時だ。


「妙にスッキリした顔をしているな」

「免との戦いを前に高ぶっているのかも知れません」

 

 もやもやしていたものが晴れてスッキリしたのかもしれない。


「そうか。それは我輩も同じなのだ」

 

 養父上は廊下の窓枠に手をかけて外に身を乗り出した。落ちないかヒヤヒヤする。でも落ちたところで雨伯は飛べるから大丈夫だろう。


「此度の戦いでは遅れをおらんのだ。前回は大敗したが、二度と同じ過ちはしないのだ」

「養父上」

 

 今までに見たことがないくらい悔しそうな顔をしている。子供っぽさは全くなかった。

 

「隼どのに免の座標を推測してもらったのだ。御上の言うとおり、泰山にいるようなのだ」

 

 すごい。仕事が早い。

 

 復帰して早々、次のステップに移っている。これはなかなか真似できない。


「免が来れば良いが、配下だけの場合、形勢が不利になったとすれば人間界に逃げることも可能なのだ」

「なるほど」

 

 そうか。それは迂闊だった。その可能性を全く考えていなかった。


「あくまで理論上の話である」


 人間界に渡るには大きな力が動かないといけない。でも戦闘中ならあちこちで理術を使うだろう。可能性は高い。


「竜宮はもう飛べるのですか?」

「問題ないのだ。先頃の加重力装置とやらにも対応済みなのだ」

 

 どうやって!?

 

 詳しく聞きたいけど、多分聞いても僕には理解できない。漣先生の日記で雨伯の天才ぶりは良く分かっている。


「養父上、お願いがあります」

「何であるか?雫の頼みなら聞いてやるのだ」

 

 養父上は急に子供っぽい顔に戻って目をキラキラさせ始めた。 


「泰山に飛んでくれませんか?」

「免の退路を断つのだな。それは構わないが、しかし王館の方はどうなるのだ?」

 

 養父上はコロコロと表情を変えながら僕の手を取った。心配そうな目が僕を見上げてくる。

 

 身長は僕の方がかなり大きいのに、かなり上空から見下ろされている気分になるから不思議だ。

 

「やっぱり僕だけでは力不足ですよね」

「いや、雫は強くなったのだ。しかし、何を仕掛けてくるか分からないぞ?」

 

 養父上に強くなったと言われると少しだけ自信が湧いてくる。あまりお世辞をいうタイプではないから尚更だ。

 

「頑張ります。もう負けません」

 

 雨伯の視線に負けないように、まっすぐに見つめ返した。

 

「わははは!流石、我輩の養息子むすこなのだ!」

 

 バシバシと背中を叩かれる。

 満足そうな養父上の様子に痛いと言い出せなかった。


「では正式な命令を出すいただきたいのだ」

「命令?」

「そうである。我輩に泰山の監視を命令を出すのだ」

 

 御上も一目置く雨伯に僕が命令を出すなんて……。

 

「御上の命令と相反しないなら、淼さまの命令が欲しいのだ。さっ、早くするのだ。出立の準備をせねば」

 

 僕は命令したかったわけではなくて、ただお願いしただけなのに……。早く早くと養父に急かされる。

 

「じゃ、じゃあ、雨伯に泰山の監視を……命ずる」

「必要に応じて攻撃の許可をいただきたいのだ」

「きょ、許可します」

 

 これではどっちか命令を出す方だか分からない。

 

「承ったのだ、淼さま!」


 養父上の背中はやや反り気味で尊大という言葉がよく似合った。

 

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