334話 侍従との攻防

 開戦まで二日。

 

 とは思えないほど浮かれている自覚はある。

 

 誰かに言いふらしてくてたまらない。けど、今は我慢だ。戦いが終わるまで。無事に免を倒すまでは……。

 

 そして、開戦前にやらなくてはいけないことがある。

 

「潟、あと二日しかないんだ。添さんを連れて塩湖に帰って!」

「お断りします。例え退出命令が出ようとも王館ここに居座ります」

 

 でも命令を出す前に、命令の拒絶宣言をされてしまっては意味がない。

 

 このやり取りを早朝から続けている。既に日は高い。流石に喉が嗄れてきた。


 潟夫妻の避難をさせたいのに、潟がいうことを聞かない。潟からは、僕に危険が及ぶ命令は聞けないと以前にも宣言されているから、そのせいだろう。

 

 免の狙いは高位精霊の理力あるいは魂だ。潟がいてもいなくても、僕への危険の度合いは変わらない。

 

 潟夫妻がいなくなれば水の王館にはベルさまと僕だけだ。泥と汢も金の王館の防御にあたるから戻っては来ない。

 

 僕の佐であるごんは木の王館で療養中だ。水の王館には来ないだろう。僕は出掛ける予定もないしそれで良い。

 

 でも潟たちはここから離れさえすれば危険を回避できる。

 

「私も雫さまと共に戦います。ひくさんにやられっぱなしはしょうに合いませんので」 


 潟の実力が高いのは認める。くやしいのも分かる。特に搀と直接戦っていた潟は尚更だろう。搀はもう少しで倒せたところだ。

 

 それでも実際に免の配下と戦って、一筋縄では勝てないと分かっているはずだ。

 

「他の王館では兵を集めたり、訓練したりしていると聞きました。水の王館には雫さまと御上しかいらっしゃいません。ここで逃げたら亡き父になんと言われるか」

 

 確かに先生なら避難しろとは言わないだろう。

 

「気持ちは嬉しい」

「では、問題ないではないですか?」

「でも添さんは? 添さんに危険が及んでも良いの?」 

 

 数日前、添さんからも帰らないと言う返事は一応もらっている。でも配偶者を守りたいという気持ちはないのだろうか。

 

「添には帰って良いと私からも言いましたが、残ると言うので彼女の意思を尊重しました」


 どうして添さんまで、と本当に思う。潟がいるせいだとしたら余計に出ていけと言いたくもなる。


「解任するって言ったら?」

 

 ベルさまも数日前に言っていたけど、潟は予想通り動かない。ベルさまだけでなく、僕も予想はしていた。

 

「何と言われようと残ります。滞在出来なければ、ゆたかの私室にでも間借りいたしますので」

「待って。勝手に土の太子を巻き込まないで」

 

 垚さんを敢えてゆたかと真名呼びするあたりに潟のズルさを感じる。

 

 二人は仲が良い……多分、いや、恐らく仲が良い。それは知っているけど、僕の侍従という立場で他所を巻き込むのはやめて欲しい。

 

「では、架の……」

「木理王さまはもっとダメだから!」

 

 他属性の理王の私室に泊まり込もうとする輩なんて初めて見た。

 

 勿論、潟は冗談のつもりだとは思うけど、僕が追い出したら本当にやりそうな気がする。木理王さまはともかく、垚さんのところへは行きそうだ。


「ベルさまも何とか言ってください」

「私?」

 

 ベルさまは、ぎゃーぎゃー騒いでいる僕たちの雑音を綺麗に無視していた。突然話を振ったせいか、すぐに返事がこない。僕と潟の間で視線を往復させたあと、僕に視線を固定した。


「私はどっちでも良い。潟の好きにしたらどうだ?」

「そんな……」

 

 潟が勝ち誇った顔をしている。

 

 ベルさまなら潟を帰すことに賛成してくれると思ったのに。ベルさまなら僕よりも強い命令が出せる。潟と添さんを王館から退出させられると期待していた。

 

「私は潟がいようがいまいが、雫がいてくれれば良いから」

「そ、そんな冗談言わないでください」

 

 思惑が外れてガッカリしているところへ、カッと熱くなることを言われた。心が忙しい。

 

「見せつけてくれますね」

 

 想いが通じ合ってからというもの、ベルさまはストレートに気持ちを述べるようになった。

 

 潟が言うには、僕が受け止められていなかっただけだと言う。ベルさまの気持ちは誰が見ても明らかだったそうだ。

 

 ……ということは焱さんも架さんも、鑫さんとか垚さんとかも皆、ベルさまの気持ちを知っているのか。そう潟に尋ねたら、今更だと鼻で笑われた。

 

 知らなかったのは僕だけだ。勿体ない歳月を過ごしてしまったようだ。


「執務室の空気が甘いですね。渋めのお茶でもおいれしましょうか?」

「いらないよ!」

「私はいる」


 ベルさまの返答に潟が動いた。誰の侍従だと突っ込みをいれそうになったけど、それは別に良い。ベルさまなら良い。

 

 僕が少し冷静にならないとダメだ。完全にからかわれている。

 

 あっという間に一人分の茶器を手に潟が戻ってきた。

 

「ベルさまが良いって言ってもダメだ! 明日中に出てって!」

 

 前後の話はもう無視だ。強引に話を進める。こうなったら引き摺ってでも追い出すしかない。


「出来ません。今日の夜から添と空き部屋に籠りますので、明日はお休みをいただきます」 

「はぁ?」

「……わーぉ」

 

 ベルさまの相づちが寒々しい。何の感情も籠っていないのが余計に寒気を催した。

 

「籠ってどうするの? 二人で過ごすなら離れがあるでしょ」

 

 離れ以前の問題だ。それこそ塩湖に帰れば、誰にも邪魔されずゆっくり過ごせる。僕の返答も間違っていた。 

 

「せっかくですが、離れは寝台が狭くゆっくり語り合えないのです」

「何で語り合うのに寝台が必要なの?」 

「……やはり手取り足取りお教えしておくべきでしたか。御上はご苦労なさいますね」

 

 何故か潟が残念そうな目で僕を眺めた。そういう顔をすると、先生によく似ている。その顔のまま僕の肩に片手を乗せた。


「御上、今からでも遅くはありません。魂繋たまつな前に、雫さまを私に一晩お預けいただければもっと……ふぶぐっ!」

 

 潟は最後まで言葉を紡げなかった。

 

 潟の口の中から拳大の氷球アイスボールがはみ出していた。歯は折れていないだろうか。


「それ以上雫に触れるな。魂魄こんぱく全部没収だ」

 

 よく見たら僕の肩に乗っている潟の手も真っ白に凍っていた。反対の手で氷球を取ろうと試みているけど、かえって口の中へ押し込んでいるようだ。


「あ、ベルさま。良いことを思い付きました」

「どうした?」

 

 潟の側から離れると、不自然な形で手が宙に浮いていた。潟は氷球を取るのを諦めて、溶かしにかかっている。流石に潟と言えど、ベルさまの氷はそんなに簡単に溶けはしない。

 

からだを没収しちゃえば、潟たちを狙われる可能性はなくなるのではないですか?」

「おぇっぷ」

 

 潟が嗚咽を漏らした。氷を飲み込んだようだ。よく喉を詰まらせなかったものだ。


「雫さま、何を仰るのですか。冗談はお止めください!」


 ついさっき、潟が言ったキツい冗談へのお返しだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る