332話 ベルの告白

 ベルさまの濃い色の瞳が僕を捕らえる。理力の流れに僅かな乱れを感じて、ベルさまがほんの少しでも動揺していることが分かった。不謹慎だけどちょっと嬉しい。


「ごめんなさい。本当は……言うつもりなんてなかったんです」

「何故、謝る?」


 ベルさまの声はちょっと掠れていて、いつもより少し高かった。


烏滸おこがましいのは分かってます。恩人であるベルさまに、僕がこんな感情を持っていいはずがありません」


 だから、ずっとしまっておくつもりだった。ベルさまが僕の気持ちに気づく必要などない。この関係が崩れてしまうかもしれないから。


「それは」

「でも!」

 

 今度は僕がベルさまの言葉を遮るように声を重ねた。語気を荒げたことで自然と力が入ってしまう。僕の手の中にあるベルさまの指に、キュッと力を込めてしまった。

 

「でも! もう黙っていられません。どうして、僕がベルさま以外の精霊を好きだなんて言うんですかぁ……」

 

 情けないことに半泣きだ。ベルさまの手は握ったままだけど、顔が見られなくなってしまった。

 

 ベルさまにみっともない姿を見せている自覚はある。でも今更だ。ベルさまには、僕の弱いところも情けないところも全部知られている。

 

「僕の気持ちに応えて欲しいなんて言いません。だけど、ベルさまのこと愛してるんです。このままの気持ちでいさせてください」 

「雫」

 

 ベルさまの反対の手が僕の手の上に乗った。ベルさまの手はいつも冷たくて心地よい。

 

 その冷たさに、自分の顔がいかに熱くなっているか、気づいてしまった。

 

「雫。顔上げて」

「……嫌です」

 

 鏡はないけど、赤い顔をしている自覚がある。これ以上、変な顔を見せたくない。

 

「じゃあ、そのままで良い」


 ベルさまはそう言って、手に力を込めた。まるで僕が逃げられないように。


「私も雫が好きだよ」

 

 心臓が一瞬跳ねて、全身にすごい勢いで血が巡る。でもすぐに冷めた。きっとベルさまの好意は僕と同じものではない。

 

「雫がここに来てからずっと……誠心誠意、私に尽くしてくれて、どれだけ救われたか分からない」

「救われたのは僕の方です」

 

 ちょっとくらい下を向いただけでは、座っているベルさまに僕の顔が見えてしまう。だから体にくっつくほど顎を引いて、完全に床を眺める体勢になった。

  

「まぁ、聞いて。最近思い出したことがあってね。雫が地獄から帰って来て、霈に会ったって言ってたね」

「はい。それがどうかしましたか?」

 

 返事をする過程で、つい顔をあげてしまった。下を向きすぎて首が痛くなっている。でも時間が経ったせいか、顔の熱さは幾分か収まっていた。

 

「昔、ひさめに言われたことがあってね。『相手が幸せなら、自分と結ばれなくても良いと思える』のは愛だって言うんだ」

「それは……」

 

 僕も言われた言葉だ。そう言いたかったのに、喉に声が引っ掛かってしまった。


「それで改めて考えた。私は雫のことを好きだけど、愛してはいないのだな……と」

 

 背中から氷山がぶつかってきたような衝撃だった。分かっていたことだ。ベルさまから心を貰おうなんて思っていない。

 

 思っていないはずなのに、改めてベルさまの口からハッキリ拒絶されると……何故だろう。涙が出そうだ。

 

「私は自分のことしか考えていなかったから。雫の気持ちを何一つ考えなかった」

「どういう……意味ですか?」 

 

 やっと絞り出した声は高低の調整がうまくいかず、更におかしな強弱がついていた。 

 

「雫の意思を確認せずに王館に連れてきた」

「それは僕を助けるためですよね?」

 

 それは季位ディルだった僕を助けるため。

 

「残って欲しくて、引き続き理術を学ばせた」

「それも僕のためですよね?」

 

 叔位カールに復位した際、用済みのはずなのに残してくれた。


「側にいて欲しくて、勝手に侍従にした」

「それは僕も嬉しかったです」

 

 仲位ヴェルになって、ようやく胸を張ってベルさまの側に仕えることが出来るようになった。


「隣に立って欲しくて、独断で太子の座に縛り付けた」

「ベルさまの側にいられるなら地位なんて何でも良いって言いましたよね?」

 

 一滴太子とか何とか色々言われたけど、今や最高位の伯位アルだ。最近は僕に関する悪い噂を聞くことはほとんどなくなった。

 

「私は自分の欲求ばかり優先して、雫の幸せを考えなかった。だから私は雫を愛しているとは言えない」


 それは少し違う。

 

 ベルさまは自分のためと言いつつも、僕のことを考えてくれている。


「雫がいると、どうしても近くにいて欲しくなってしまうからね」

 

 それは僕も同じだ。僕だっていつだってベルさまの側にいたい。顔を見られる距離にいたいし、理力を感じられる場所にいたい。

 

「ぼ、僕だって……ベルさまの側にいたいし……」


 自分が何を望んでいるのか、本当は知っている。でも自分の望みなんかよりもベルさまの幸せの方が遥かに上だ。

 

「私の望みは雫が側にずっといることだ。でもそんなことをしては雫のためにならない。雫の幸せを優先したい。だから……」

「それはっ……」

 

 小さな気配を感じて真後ろを振り向いた。誰かいる。

 

「……盗み聞きなんかしてないわよ」

 

 添さんが僕の机の下から這い出てきた。恐る恐るという感じで、顔を半分だけ出している。

 

そえるさん、そんなところで何してるんですか?」

「び、淼サマの机を直してるのよ!」

 

 添さんは真新しい机の足を掲げて見せてくれた。ぐらついているからと、潟が応急処置をしてくれたのだった。

 

「なんで添さんが? 潟は木の王館に修理を頼むって言ってたけど」

「はぁ? バカなの? この状況で木の王館に頼むなんて信じられない。部品だけ作ってもらったのよ」

 

 怒られてしまった。木の王館は他の王館よりも日常的に過ごしていた感じはあるけど、机の修理は場違いだったか。 

 

「ありがとう、添さん。潟は?」

「ご実家の片付けしてるわ。義父上ちちうえの遺品で何か役に立つものがないか見てくるって言ってたわよ」

 

 仕事熱心だ。僕がいない五日の間に皆、それぞれ出来ることを進めていたはずだ。何もしていないのは僕だけか。

 

「それより……さっきから聞いてれば」

「い、いつから聞いてたの?」

「添は雫が帰って来たときからいるよ」

 

 ベルさまは添さんがいるって知ってたのか!

 

 だったら言って欲しかった。


「全く、聞いてるこっちが恥ずかしくなるわ。結局、御上だってなんだかんだ言いながら淼サマのこと、愛してるんじゃない! ……デスか」

 

 添さんがベルさまのことをビシッと指差した。僕もつられてベルさまを見る。手を握ったままだった。………………まぁ、良いか。

 

「何よ今更、愛じゃないとか、側にいて欲しいとか。で、肝心なところで身を引こうとするのなんなの気持ち悪いんですけど。もう見てられないわ、早く魂繋たまつなしちゃいなさいよ!」

 

 魂繋たまつなという言葉にドキリとした。一方ベルさまは軽く笑いながら、僕の陰から添さんを覗き込んだ。

 

「貴女たちみたいにからだから繋ぐのも私はどうかと思う」

 

 ベルさまがからかうように添さんに返した。その一言が添さんを真っ赤にさせた。

 

「な、何よ、何ですか! 良いでしょ、結局、魂繋したんだから! もう知らない! 自分でやって!」

 

 ふんっと鼻息荒く、添さんは立ち上がった。机に取り付けるはずだった新しい足を僕に投げてきた。

 

「添さん、どこに行くんですか?」

「良いでしょ、どこだって!」


 添さんが鼻息荒く出ていってしまった。水流を使えば良いのにわざわざ徒歩で大股で歩いていった。

 

「……」

「……」

 

 沈黙が訪れる。気まずい。ちなみに手は握ったままだ。そろそろ汗をかいてきた気がする。

 

「雫」

「ひゃい!」

 

 何だ、この返事は。

 

 ひっくり返った声をベルさまに笑われてしまった。

 

「私は雫を愛しているのか?」

「し、知りませんよ。僕に聞かないでください」

 

 でも相手のことを想うのが愛だとしたら、多分ベルさまも僕と同じ気持ちだ。

 

「そうか。私は雫を愛してるのか……」

「しみじみ言わないでください。恥ずかしいじゃないですか」

 

 離れていた五日間を埋めるように、二人でずっと手を繋いでいた。

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