331話 雫の告白

「どこに行ってたのか、聞いても良いのかな?」

「えーっと……」

 

 どこから説明したものか。

 

 火の王館へ行って、牢へ入ってしまった話はベルさまも知っている。何故かベルさま自身が牢に入りに来たのだから。

 

「牢から出て、焱さんのところへ行って、それから火理王さまに、魄失の瓶を渡しに行きました」 

「あぁ、そうだったね。それは五日前の話だけど、ご苦労さま」

 

 五日前という言葉が胸にグサリと刺さる。ベルさまの言葉に少しだけトゲがある。


 先代の執務室だけ、時間の経過がおかしかったのか。それとも僕が時間を気にせず過ごしてしまったのか。

 

 いずれにしても五日も黙って先代さまと過ごしてしまったことに変わりはない。通信も出来ない環境だとは思わなかった。


 ベルさまに心配を掛けてしまった罪悪感でいっぱいだ。

 

「えっと」

「…………」

 

 ベルさまが黙っている。先程までは真っ青な顔で僕の心配をしてくれていた。いや、させてしまった。


 僕が現れて安心してくれたのだろうけど、心配がなくなった分、今度は怒っているのかもしれない。ベルさまからは何の感情も読み取れない。それが逆にとても怖い。

 

「火の王館から水の王館に戻って来て、館内の見回りをしていたんですけど、見慣れない扉があったので、その部屋に……」 

「その部屋に誰か連れ込んだ?」

 

 僕の話を遮ってベルさまが予想外の言葉を口にした。反応できずにいると、外を異質な風が吹いていった。高い湿度を纏ったぬるい空気の中に雪の気配を感じる。

 

 風花かと思ったけど違う。温かい風の中で雪が生まれては消え、消えては生まれを繰り返している。


 有り得ない現象に一種の不気味さを感じた。頑丈に造られたはずの執務室の窓が、不規則な音を立てている。


「つ、連れ込むって、誰を?」

「雫の気に入った精霊を」 

 

 突然何を言い出すのか。

 

 視線をあわせようと思って、ベルさまの顔を見る。でもベルさまは僕を見てはいなかった。その上、見とれるほどの無表情だ。


 無造作に組んだ指先は、机の上で所在なさげに遊んでいて、まるで一枚の絵画のようだ。この姿絵ブロマイドが出ていたら、僕は金貨を十枚でも二十枚でも払う。


「な、何を仰るんですか? 僕の気に入った精霊って……」

 

 仲の良い精霊ならともかく、気に入った精霊という言い方が、また引っ掛かる。 

 

「免との戦いの前だ。何があるか分からない。好きな精霊のひとりやふたり連れ込んでも文句は言わないよ」

 

 どうやらベルさまからの盛大な勘違いを受けているらしい。

 

 僕がいなかったのは、ベルさまに内緒で誰かを連れ込んでいたからだと思われているらしい。

 

「ベルさ……」 

「ただ、身元は明らかな精霊にしてほしい。焱の例もあるしね」

 

 それはまゆみの件だ。本来なら一般的な木精が、免の配下へ書き換えられていたことが原因だ。身元を調べれば名が変わっていることに気づいたかもしれない。

 

 けど、そもそも雨伯の紹介状があった時点で、身元は保証されていると思ってしまった。それが偽造されたものだと誰も思わなかったわけだ。油断があったと言って良い。

 

 ただし、僕は誰も紹介してもらっていないし、紹介される予定もない。ましてや誰かを連れ込んだこともない。


「ベルさま、ちょっと待ってください。僕は」

「本当に心配したよ。王館内にいるとは言っても気配はないし、呼び掛けにも応じないし……」

 

 誤解を解きたいのに、僕が口を開くとベルさまが言葉を重ねる。僕のタイミングにわざとぶつけているかのようだ。

 

「すみませんでした。心配掛けてしまって……」 


 でも心配させてしまったのは事実だ。素直に謝罪を口にすると、ベルさまはチラッと僕を見て、またすぐに視線を逸らしてしまった。

 

「貴燈の娘?」

「違っ……」

 

 わかちゃんは友だちだ。好きは好きだけど、無断で王館に連れてくるなんてあり得ない。もし何か理由があって招くとしても、必ずベルさまに許可をもらう。それに多分、招待するならたぎるさんも一緒だ。

 

「違う? じゃあ今指川か」

「え……っ違います!」 

 

 今指川って誰だっけと一瞬考えてしまった。澄さんのことだと思い出してから、全否定だ。澄さんは僕のことを好いてくれていたけど、僕にその気はない。

 

 あれを機に何故、低位が王館で働けないのかを本当の意味で学んだ。二度と軽率な真似はしないとベルさまにも約束した。

 

「そうか……私の知らない精霊か。出来れば紹介してほしかったな」

「だから違いますって!」

 

 僕の大きな声にもベルさまは動かない。ベルさまの中で、僕が誰かを連れ込んだことは確定しているらしい。


 さっきの僕の謝罪がベルさまの推測を肯定したと捉えられてしまったようだ。どんどん事態が悪い方へ進んでいく。 

 

「雫、隠す必要はないよ。雫も年頃だし、好きな精霊がいるのはおかしくない。ただ……」

「っ僕が好きなのはベルさまだけです!」

 

 言ってしまった。

 

 ベルさまは僕に一瞥をくれて、忙しなく動いていた指先が止まった。

 

 ベルさまの返事は怖いけど、意識を僕に向けさせることには成功した。


「……私も雫が好きだよ。だから、雫には幸せになってほしいと思っている」

 

 違う。

 

 そうじゃない。ベルさまに歩み寄って机に両手をついた。


「お互いが想い合っているなら、開戦前に魂繋をした方が良い。男性なら雫の寿命がある程度確保できる。女性なら今の内に次代を……」

「違う!」

 

 机に両手をついたまま、思い切り首を振った。失礼な言い方だったけど、そうでもしないとベルさまが勝手に話を進めていってしまう。こんなに僕の話を聞いてくれないのは珍しい。僕はそんなにベルさまの怒りを買ってしまったのか。

 

 ベルさまと僕を隔てる机が……この距離がもどかしい。

 

「僕はベルさまを愛しています!」

 

 机の上に置かれたベルさまの手を、いつの間にか握っていた。

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