312話 養父再会

「ま……免が人間ってことですか?」


 それはおかしい。人間なら精霊界に入った瞬間、体が崩れてしまうはずだ。

 

 実際に目の前でそれを見ている。

 

 免が人間であるはずはない。

 

「現実的に考えれば、それが妥当かと」

「でも免の名なんてどこにも……」

 

 先生の日記に嘘が書いているとは思えない。でも人間の名までは書かれていない。免と決まった訳ではない。

 

「免が真名とは限らないから、潟の意見は可能性が高いね」

 

 ベルさままで肯定的だ。確かに免は仮り名だと以前言っていた。

 

 ベルさまは指をピッと伸ばして、仮に、と話を続けた。

 

「もし、免が人間だとして雲泥子ウンディーネが免に加護を与えていたとしよう」

 

 雲泥子と他人事のように話すベルさま。

 少し不思議だ。会ったことはなくても母親のはずだ。

 

 それに雲泥子ウンディーネと呼び捨てにしているのも気になる。音の響きから察するに真名ではないだろうけど、母親に対する二人称とは思えなかった。

 

「その雲泥子ウンディーネが精霊界に移った。免はそれを諦められずに追いかけてきた。しかし、雲泥子はもういない。ならば雲泥子が亡くなる前に、時を戻せば良い……と考えた」

 

 ベルさまの予想はかなっていた。


 ならば何故、人間である免が精霊界にいて、体を保っていられるのか。

 

「だが、残念ながら雲泥子ウンディーネはこの世界に渡ってすぐに寿命を全うしたと聞いている。時を戻したところで、会えないだろう」 

 

 ベルさまの母上はベルさまが生まれる前に、亡くなったと聞いている。母上が残した理力に玄武伯が理力を加えて生まれたそうだ。

 

 僕が父上の残したら理力から生まれたのと同じだ。

 

 僕が生まれたとき、父上に既にいなかった。後々会えたことは別として、父上がいないと知っていても、それでも父上のことを知りたいと思った。

 

 ベルさまは母上のことを知りたいとか、会いたいとか、思わないのだろうか。

 

「人間はそこまで長生きなのでしょうか?」

「ん?」

 

 潟が新たな疑問を口にした。

 

「御上のお母上ですが……水の星から渡ったとすると、ご存命なら始祖の精霊に等しいご年齢のはず」

 

 始祖の精霊は寿命の概念がない。死というルールからも外れたところにいる。その代わり、まつりごとに関わらないという制限があるそうだ。

 

 人間がどのくらい生きるのか分からない。けど、一般的に長寿と言われる水精、土精、木精よりも何倍も長く生きなければ雲泥子のころまでは遡れない。

 

「人間の寿命はだいたい八十年くらいである」

「あ、やっぱり」

「と言っても体の寿命であって、魂の寿命ではないのだ」


 ん?

 

 この幼い声。この尊大な話し方。

 

 雨伯ちちうえだ!

 霖の兄上と焱さんの協力で、雨伯が復帰したんだ!

 

「人間は体の寿命が短い分、魂は循環されるのだ」

 

 声はするけど姿が見えない。三人で顔を見合わせてしまった。潟が扉を開けに行った。けど、そこにもいない。

 

 部屋の外ではなく、もっと近くから声がする。

 

養父上ちちうえ、ふざけてないで出て来てください!」

 

 雨伯に向かって、ふざけるなとは僕も大胆になったものだ。

 

 雨伯は僕の声を聞いて大笑いをした。そして、からかうように声を大きくする。


「わはははは!我輩はここである!捕まえてみるのだ!」

「もう……」

 

 ふざけるなと言ってしまったのが逆効果だったかもしれない。言った途端これだ。

 

 しかし何にせよ、雨伯が無事に復帰したのは良かった。少しくらいなら、おふざけに付き合うのも良いかもしれない。


 声は僕の周辺からだ。近くの窓も開けてみたけど、やっぱりいない。雲ひとつない青空で雨伯の気配はない。

 

 潟はソファのクッションをずらしている。雨伯は小さいから、クッションや座布団の下に隠れられるけど、そんなにくぐもった声ではなかった。

 

「ん? ……雫、動かないで」

「ベルさま?」

 

 ベルさまは急に僕に歩み寄り、僕の服のあわせに手を掛けた。そのまま服を引っ張り、脱がそうとしてくる。

 

「べべべべべべべべ、おおおおおおおお御上!」

 

 重ね着をしているので一枚くらい脱いでも寒くはない。寒くはない。むしろ熱い。顔が熱い。ベルさまの頭が目の前にあって、ベルさまの息づかいが聞こえる近さで、何が何やら。

 

 潟は息を潜めているつもりなのだろうけど、無駄な努力だ。「良いぞ、御上!もっとやれ」という心の声が無遠慮に僕へ流れてきた。

 

 ベルさまに何という口の聞き方をするんだ。口に出してないから良いという問題ではない。

 

 潟に対して少しずれた怒りが向き始めたところで、ベルさまが僕の服を一枚剥ぎ取った。僕の服を開いてバサバサと軽く払ったあと、何かを確かめるように、僕の服に手を突っ込んでいる。

 

「いた」

「え、どこが痛いんですか?」

 

 僕の服で怪我でもしたのか!

 

「見せてください! すぐに手当てを」

「雨伯。この非常事態に悪ふざけは止めていただきたい」

「む、申し訳ない。久方ぶりに雫の顔を見たもので、調子に乗ったのである」


 開いたベルさまの手に雨伯が乗っていた。

 手の平の上で倒れないように、ベルさまの親指に掴まっている。

 

 まさに親指サイズ。

 

 反省している雨伯の姿は珍しい。でも小さすぎる姿が衝撃過ぎて、大して心に響いてこない。 


「ち、養父上ちちうえ? そのお姿は」

 

 以前から小柄ではあったけど、もう小柄どころの話ではない。人型だけど、人型と言って良いのかどうか考えたくなる大きさだ。

 

からだを構成するのに、最低限必要な雨量が集まったのである」

「霖と焱は仕事が早いですね」

「我輩の息子と孫は優秀なのだ!わははは」 

 

 何故、ベルさまは動揺もせずに小さい雨伯と話すことができているのか不思議でならない。

 

「雫よ。今、戻ったのだ。心配掛けたのである」

 

 雨伯が急に真面目な声色になった。小さすぎて表情までは見えない。ベルさまの親指に片手で掴まりながら、僕に手を振ってくる。

 

「……養父上ちちうえ

「まだ霖と焱は粘って循環させているのだ。ひとまず顔を見せに参ったのだ」

 

 霖の義兄上と焱さんが頑張ってくれたおかげだ。

 

「雨伯。戻ったばかりで申し訳ないのですが、王館はまぬがに宣戦布告されています」


 潟が会話に戻ってきた。 

 

「左様か。竜宮城を襲った輩の元締めであるな。遂に王館にも来たか」

 

 ベルさまは養父上を安定した机の上に乗せた。養父上は腰掛ける場所を適当に探し、インク壺のキャップに落ち着いた。

 

養父上ちちうえ、免について何か知りませんか? 免が人間かもしれないんです」

「人間とな?」

「はい、養父上は水の星へ行ったことがあるんですよね? 何か知りませんか?」

 

 小さな顔がみるみる歪んでいった。

 

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