313話 長い一日

「何故、それを知っているのだ」

 

 養父上の目が怖い。小さな目から威圧の光がギラギラと輝いている。

 

 いつもの声とは全く異なる低い声で、いつもの養父上の様子からは想像できない。立太子の儀の時も雰囲気が違ったけど、それともまた違う。

 

 怒るでもなく、慌てるでもなく、ただ見つめてくるだけ。それだけなのに心臓が忙しい。

 

 答え方を間違えればこの場が危ない。

 

「漣どのの日記ですよ」

 

 ベルさまは養父上の目の前に、先生の日記を置いた。

 

 養父上の様子を感じ取っているはずなのに、敢えて無視しているようだ。養父上の威圧など、ベルさまに取っては何ともないのだろう。

 

 毅然とした態度も理王らしい。雨伯の威圧に怯んでいるようでは、僕は太子としてまだまだだ。

 

 でもベルさまの言葉を聞いて、養父上の態度が少し軟化した。それでホッとしたのも事実だ。我ながら情けない。

 

 ふと視線を上げると、潟は長く息を吐き出していた。潟にとっても緊張感のある空気だったに違いない。

 

「先々代の日記……であるか。ふん、勝手に開いて先々代の怒りを買うのではないか?」

 

 養父上はチラッと潟を見た。その視線から威圧の光は消えている。

 

養父上ちちうえ、漣先生は……亡くなりました」

 

 養父上は潟からの返答を期待していたようだ。視線が潟に向いたままだった。

 

 でも潟に語らせるのは酷だ。養父上の視線を僕に引き付ける。

 

「なん……だ、と?」

「恒山を抑えていたところに、免の配下と戦いになって、それで……」

 

 潟が先生のからだを刺したことは、言う必要のないことだ。そう自分に言い訳をして言葉を濁す。

 

「……最期は僕と潟で看取りました」

「私も別れの挨拶を受けました。助命も延命も望まず、精霊らしく散っていきました」

「そうであるか。我輩も別れが言いたかったのだ……」

 

 スンッと鼻を啜る音が一度だけ聞こえた。

 

「我輩の方が寿命は長いのだ。それは分かっていたのだ。だが、こんなに突然……別れを言う前に逝ってしまうなんて、ズルいのだ!」

 

 養父上は両手を振り下ろして机を叩いた。けれど、大した音は出なかった。

 

「仲良かったんですね」

 

 それは先生の日記からも分かる。先生の日記は水の星での出来事が中心だけど、はれるはれる……と養父上のことがたくさん書いてあった。 

 

「知らないのだ! 我輩に一言もなく逝く奴など!」

 

 本格的にズビズビという音が聞こえてきた。けれどハッとしたようにインク壺の蓋から飛び降りて、姿勢を正した。

 

「潟は誠に愁傷であろうな。お悔やみを申し上げるのだ」

「恐れ入ります」

 

 養父上の感情の変化が激しい。今度は目の前に置かれた先生の日記に両手を着いた。

 

「先々代との約束だったのだ。水の星へ行ったことは誰にも言わないと」

 

 家族にも、理王にも……と養父上は続けた。

 

 誰にも言わないつもりで、日記に記録しておいたのか。盗み見られることは想定外だったのだろう。

 

 でも先生のことだ。隠しておきたいなら、一度、潟に見られている時点で、厳重に保管しているはず……。

 

「なるほど。だから『水の箱』に入っていたのですね」

「潟。一般的に日記を盗むのは……え、水の箱、開けたの?」


 『水の箱』は初級理術とはいえ、本人以外の解錠は難しい。

 

「はい。私の理力に父の領域だった海の水を混ぜて補いました」

「器用であるな。理術を騙す『成りすまし』であるな。近親者しか出来ない方法なのだ。先々代も息子に読まれるとは想定していなかったのであるな」

 

 理術を騙す、か。親子の理力は似ている。それを活かして理術に術者本人だと錯覚させるわけか。

 

 なかなか使いどころの難しい理術だ。


「いいえ、昔父から課せられた術です。父が太子になったころ、成りすましの方法を考えろと」


 気になる言い方だった。まるで自分が隠した日記を、読んでほしいとでも言わんばかりだ。

 

 先生はいつか自分の日記が必要になる日が来ると分かっていたのかもしれない。

 

「分かっていたのだろうな。いずれ自分の記録が必要になると」

 

 ベルさまも同じことを思っていたらしい。多分、養父上も同感だったのだろう。

 

「漣は用意周到である……」

 

 他言しないという約束を破らない範囲で、僕たちに水の星のことを教えてくれた。先生に感謝だ。

 

「養父上。残念ながら先生は亡くなりました。約束を破ったと咎める方はもういません。人間と免のこと、もし知っていたら教えて下さい」


 養父上は少し溜め息をついてから机上を一蹴りした。養父上の足元に小さい雲が出来て、僕の肩まで昇ってきた。

 

 僕の肩に下りて、日記を捲るように言う。最後の頁を開くように指示された。

 

「先々代はどこまで記録していたのだ」

 

 僕たちが読んで把握している内容を要約して説明した。

 

 衡山を通って水の星に行ってしまったこと。

 水の星から戻ってくるために、隼の力を借りようとしたこと。

 長寿の精霊から雲泥子ウンディーネの話を聞かされたこと。

 

 養父上は、時々頷きながらそれを黙って聞いていた。

 

「ほぼ、殆んどであるな」

 

 養父上は僕の耳たぶに掴まりながら、日記を懐かしそうに眺めている。懐かしいのは日記と言うよりも、先生の筆跡かもしれない。

 

「先生の日記では『満月の日に隼を抱えて衡山に飛び込んだ』とありますけど、それって竜宮城の隼さんのことですよね?」

「それも知っているのであるか。その通り。隼どのをベースに、我輩が竜宮城を作ったのだ」

 

 てっきり隼さんを竜宮城に連れ帰ったのかと思ったけど逆だった。意外だ。隼さんを利用して竜宮城を作ったのか。

 

 ……ということはまだ当時は竜宮城なんてなくて、どこに住んでいたのだろう。

 

「隼どのは人間の命令プログラムで地球外の情報を得るため、使いに出されたそうだが、地球に戻ることなく、最期は燃え尽きる運命にあったのだ」

 

 先生の日記にもそんなことが書いてあった。どこの頁かすぐに見つからない。

 

「我輩はそれを哀れに思ったのだ。だからもし、我輩と漣の、いや失礼。先々代の帰還に協力してくれるなら、共に生きようではないかと提案したのだ」

 

 それで隼さんはそれを承諾して、一緒に精霊界にやって来たわけか。


「我輩……隼どのは今や竜宮の頭脳である。隼どのがいなければ竜宮は動かないと言っても過言ではない」

「雨伯一族の誰かがいないと動かないみたいでしたね」

 

 隼さんは常に誰かを探していた。最終的に僕を雨垂れのしずくと勘違いしたから動いてくれたけど、もし誰もいなかったらどうなったのだろう。

 

「それも隼どのとの約束プログラムなのだ。我輩の一族で隼どのを守る代わりに、隼どのは城を動かすのだ」

 

 養父上が先生の日記を捲るように言った。話しながらでもしっかり日記に目を通しているようだ。

 

「先々代が記していないことがあるのだ……」

「何ですか?」

 

 僕と養父上が話している間に、ベルさまが潟に灯りをつけるよう指示していた。

 

 気づけば部屋が暗い。もう夜と言っても良い。元々灯っていた明かりだけでは読み物には敵さない。免に宣戦布告されたのが、今日だなんて信じられない。

 

「人間の渡来について、である」


 僕たちの最も知りたかったことだ。知りたいのに知りたくないような気がする。腕に鳥肌をかいていた。

 

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