311話 日記の中の知人

 ~火の第一月一日(一月三十日)~

 

 何人も人間が枯れた杉を囲み、話し合っている。樹齢百年越えの木は高い値がつくそうだ。売るために殺したのか。怒りでどうにかなりそうだった。

 

 にわかに曇ったと思ったら、豪雨に見舞われた。辺りが真っ白で何も見えない。

 

 近くにいる霽の顔さえよく見えない。ただ腕を上げているのは分かった。それを振り下ろすと、一筋の稲妻が目の前に落ちた。少し遅れて火が上がる。

 

 杉が燃えている。火が高く上るころ、雨が弱くなった。霽の顔は無表情でいつもの明るく無邪気な様子は窺えなかった。

 

 そんなに理術を使って大丈夫かと尋ねたら、いつもの調子で「問題ないのである」と返ってきた。

 

 それが少し怖く思えた。火を消そうとする人間の声はほとんど耳に入ってこなかった。

 

 

 ~~~~

 

 

 ~火の第一月三日(二月一日)~

 

 精霊界に戻るため、霽と一緒に衡山へ潜った。隼どのの魄は水に弱い構造だと言うので、泡で包んた。霽は電気の塊を携え、二人で火口に飛び込む。

 

 しかし、大して深く進めず、足が着いてしまった。死火山なのかと思うほど静かで、何も起こらなかった。

 

 ここを通るための力が足りないのか?

 

 来たときと同じように霽と理術をぶつけないと、通れないのかもしれない。

 

 しかし先日、私は初級理術の波乗板だけで動けなくなってしまった。霽はまだ大丈夫そうだが、強力な上級理術を放つには私の理力が足りない。

 

 

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 ~火の第一月六日(二月四日)~

 

 数日、衡山周辺を探索していたら、また紅海月どのに出会った。私の作った波乗板にまだ乗っていた。しかも乗りこなしている。

 

 衡山を通れないのだと言うと、満月か新月を待てと教えてくれた。確か、六日前は新月だった。満月を待った方が早い。九日後だ。

 

 海の力が強くなった時を狙えということらしい。理力はなくとも海にも力はあるらしい。

 

 まだこの世界のことは良く理解ができない。

 

 

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 ~火の第一月七日(二月五日)~

 

 あと八日ほど待たなくてはいけないので、紅海月どのと共に過ごすことにした。

 

 紅海月どのに色々と教えてもらおうと思っていたが、紅海月どのから雲泥子ウンディーネを知っているかと逆に問われてしまった。

 

 雲泥子は既に亡くなっていると、私の代わりに霽が答えた。

 

 紅海月どのは黙って漂っており、その内、波乗板を置いてどこかへ行ってしまった。

 

 

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 ~火の第一月八日(二月六日)~


 霽は隼どのを連れて、一度観測所に戻ってしまった。隼どののからだを改良するらしい。少し時間が出来た途端これだ。

 

 霽の頭はいったいどうなっているのか。

 

 一人で暇を持て余していたところに、別の精霊を連れて、紅海月どのが戻ってきた。

 

 ここより西の海に沈んでいる遺跡の精霊だという。名前は磊。かつて人間と契約し、石造りの神殿を守っていたのだという。

 

 

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 ~火の第一月九日(二月七日)~

 

 磊どのと紅海月どのの話は実に興味深かった。

 

 かつて精霊は人間と契約することが当たり前だったそうだ。


 磊どのは人間に祀られる代わりに、不可侵の加護を与えていたという。磊どのはその時精霊ではなく、神と呼ばれていたそうだ。

 

 しかし、磊どのへの情が薄れるにつれ、不可侵の加護が薄まり、他領域の海に沈められたという。

 

 更に時が経ち、人間は精霊の力を頼らなくなった。

 

 正確には頼っていないと誤解するようになった。全て自分達の力でこなしていると思い込んでいるらしい。

 

 その内に精霊の本体にまで手を出すようになってしまったそうだ。危機を感じた精霊が、精霊の安寧の地を求め、精霊界を作ったことは私でも知っている。

 

 その際、精霊界への入り口として作ったのが、衡山含めた五つの山なのだそうだ。

 

 ……雲泥子の話はどこへいったのか。

 

 

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 ~火の第一月十日(二月八日)~

 

 霽が帰ってきた。隼どのに防水措置を施したという。進んで他者に防水措置を施す水精がどこにいるのか、と突っ込みそうになった。

 

 霽が磊どの軽い挨拶を済ませたあと、雲泥子の話はどうなったのか、と聞いてくれた。

 

 紅海月どのも磊どのも少し黙っていたが、やがて口を開いた。

 

 雲泥子ウンディーネは最後まで人間と契約していた精霊だという。人間との契約を破棄し、新天地に渡れない精霊の魂を集め、一緒に精霊界へ移ったそうだ。

 

 契約していた人間は雲泥子を求めて、精霊界に渡ろうとしたが、人間が渡れるはずがない。

 

 

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「魂を集め……って免みたいですね」

 

 言ってから、しまったと思った。

 

 雲泥子というのはベルさまの母上だったはずだ。それなのに、免と比べるなんて無神経だった。潟が少し不安そうな顔で、僕とベルさまを交互に見ている。

 

「いや、私もそう思ってたところだよ」

 

 幸いベルさまは怒っていないようだけど、逆に気を使わせてしまったかもしれない。

 

「それで、予定通り満月の日に帰ってきたのか?」

 

 ベルさまが日記の頁を捲る。らいさんと紅海月さんの話も気にはなる。

 

 あとでじっくり読ませてもらいたい。他人の日記を見るのに賛同できなかったとは思えないほどの変貌ぶりだ。自分が情けない。

 

「はい。予定通り火の第一月十五日に帰宅とありますが、戻ったら日付がずれていたそうです」

 

 潟が頁の下の方を指差した。

 

 頁の上部には火の第一月十五日と記してあるけど、下の方には水の第二月二十三日と書いてある。

 

 先生と養父上が水の星へ行ってしまった次の日だ。先生の日記では何ヵ月も経っているのに、帰ってきたらたった一日……いや、時間帯によっては数時間の可能性もある。

 

「どういうこと?」

「恐らく、水の星にいる間、こちらではたいして時間が進んでいなかったのだろう」

 

 ベルさまはどういう気持ちでこの日記を見ているのだろう。

 

 自分の母親のことが書いてある他人の日記……純粋な資料として読めない気がする。

 

「『雲泥子に気を付けろ』か」

「はい?」

 

 ベルさまがポツリと漏らした。

 

「ここ、『雲泥子は精霊の多くの魂を持っている。その雲泥子を狙っている人間がいる。雲泥子の周りに気を付けろ』」


 ベルさまの白い指が文字の上を滑っていく。磊さんの言葉だろう。

 

「で、でも『雲泥子が生きていたら』とも書いてありますよ」

 

 失礼だけどベルさまの母上は亡くなっている。そこまで心配しなくても大丈夫だと思うけど……。 

 

「雫さま、雲泥子ウンディーネに執着している輩に心当たりはありませんか?」

 

 潟が優しく聞いてきた。額の前髪が二房になったままだ。

 

 潟の顔は答えが分かっていて、僕に気づかせようとする時の顔だ。

 

「私の持つコレを欲しがっていたこともあったらしいね」

 

 ベルさまが腰の物をトントンと軽く叩いた。

 

 雲泥子の水晶刀……ベルさまの母上の形見だ。その大事なものを貸してもらったことがある。

 

 理に従う者を守り、浄化する。今まで何度か助けられた。

 

 鉱毒に侵された滾さんの温泉に落ちたとき。

 月代で免に詰め寄られたとき。

 

「あ」

 

 免だ。

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