310話 漣の日記③

 ~木の第二月二日(十二月十四日)~

 

 私たちは人間の世界を、水の星とも地球とも言うが、人間は地球という言い方しかしていない。

 

 その『地球』に隼が戻るのは二千十年の六月に延期だと、発表していた。隼と通信できないのに良くそんなことが分かるものだ。

 

 今が人間暦二千五年だから四、五年ほど後だ。

 

 まさか霽はそれまで粘るつもりなのか。

 

 

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 ~木の第二月三日(十二月十五日)~

 

 霽がいない間に自分も知識をつけようと思った。霽が使っていた本を開いてみたが、二頁目で心が折れた。最初の頁を耐えられたのは、絵だけだったからに過ぎない。

 

 霽はどうやって理解したのか。

 悔しい。霽に出来て私に出来ないのは悔しい。

 

 精霊界に無事に戻ったら、理術や武術だけではなく、学術も磨こう。学ぶことの出来る全ての学問を修得してやる。

 

 霽は老若を繰り返すが、私はいずれ歳を取る。からだが老いたとしても、知識があれば対抗できるはずだ。

 

 

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 ~木の第二月十二日(十二月二十四日)~

 

 霽が帰ってこない。

 

 まさかとは思うが、隼に倒されてしまったのか。霽に限ってそんなヘマはしないと思うが、慣れない場所に戸惑っている可能性はある。

 

 しかも、隼は巨大な力を持っている。戦いになればどうなるか。お互いの実力を知っている私たちの間なら兎も角、初対面の相手に苦戦しているのかもしれない。

 

 私も一緒に行くべきだった。隼と霽がどこにいるか分かれば駆けつけるのに。

 

 

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 ~木の第二月二十日(二千六年一月一日)~

 

 今日、人間暦で新しい年が始まった。

 

 以前、神社の杉が教えてくれたことだが、一年の始まりは、多くの人間が仕事を休むそうだ。神社にもたくさん人間が来ると嬉しそうに語っていたのを覚えている。

 

 神社の杉は人間が来ると嬉しいそうだ。屋久の杉はそう見えなかったが……。

 

 しかし、ここの人間たちは休む様子がない。

 

 相変わらず通信が出来ず、行方の分からない隼を探し続けている。

 

 

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 ~木の第二月二十四日(一月五日)~

 

 何もしないで霽を待っていても仕方がない。屋久の杉に教えてもらった衡山に行ってみることにした。

 

 この場所から更に南西にある海底火山だ。試しに海に入ってみた。適当な魚を捕まえて場所を尋ねようとしたが、話が出来ないらしい。精霊ではなかったようだ。

 

 精霊界にも一般的な魚はいるが、理力の有無で区別が出来る。ここではそれが出来ないので不便だ。

 

 

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 ~木の第三月十日(一月十五日)~

 

 衡山を探して十日目。なかなか記録をつけることが出来なかったが、今日はようやく一息つけた。珍しく精霊にも会えた。

 

 海月くらげの精霊だ。不審者と思われていたらしい。こちらから名乗るとあっさり気を許してくれた。

 

 年齢はおよそ五千歳。正式名は『ヒドロ虫網花クラゲ目ベニクラゲモドキ科ベニクラゲ属ベニクラゲ』というらしい。良く覚えられたと自分で思う。

 

 紅海月べにくらげどのは老若を繰り返しているそうだ。子を為す度に若返り、不老不死のからだを持っているそうだ。老若の反復は霽と同じだ。しかし、不老不死は大精霊の特権だから、霽はいつか死ぬ。

 

 ……そう考えると急に寂しくなった。いや、私の方が早く寿命を迎えるはずだ。他人の心配をしている場合ではない。

 

 

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 ~木の第三月十五日(一月二十日)~


 紅海月どのが衡山まで案内してくれると言う。案外近くらしい。

 

 しかし近くとはいえ、海月の足では何日もかかりそうだ。試しに波乗板サーフボードを作って乗せてみた。紅海月どのは大喜びではしゃぎながら衡山まで連れていってくれた。

 

 衡山は静かに佇むだけで、自分達がどのように通ってきたか、よく分からない。ひとまず火口のようなものは確認できた。

 

 紅海月どのに別れを告げ、岸に上がった。疲労感が凄まじい。

 

 

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 ~木の第三月十六日(一月二十一日)~

 

 昨日、辿り着いた岸に伏せたまま起き上がれない。

 

 波乗板を作った際、からだの理力をごっそり消費した気がする。おかしい。雲を作ったときは、このようなことにはならなかった。

 

 水の星に来てから時間が経っている。それが原因か。

 

 霽は大事ないだろうか。

 

 

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 ~木の第三月十七日(一月二十二日)~

 

 少し眠ったらしい。上半身は砂浜に、下半身は海に浸かったままだった。

 

 寝る必要などないので、もしかしたら気絶かもしれない。だるさは残っているが、動けるようになってきた。

 

 ※動けなかった分の記録をまとめて記した。

 

 

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 ~木の第三月十八日(一月二十三日)~


 観測所に戻ることにした。長く離れてしまうと、霽が戻ってきたとき会えなくなってしまう。

 

 数日ぶりの観測所では動きがあったらしい。


 どうやら隼と通信が出来たようだ。

 

 霽は?

 霽はどうなったんだ?

 

 そう思った瞬間、霽本人が帰って来た。

 

 何が呑気に「待たせたのだ!」だ。どれだけ心配したと思っているのか。

 

 霽の心配などしたくないのに、心の底から案じてしまった。悔しい。でも嬉しい。無事で良かった。殴ろうと思って伸ばした腕で、抱き締めてしまった。  

 

 静電気のような痺れを感じたと思ったら、霽の懐で雷の塊がビリビリと音を立てていた。

 

 隼の魂とエネルギーを持って帰ったと霽は言った。意味が分からない。

 

 

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 ~木の第三月二十一日(一月二十六日)~

 

 事態を理解するのに三日も要した。霽は探査機からエネルギーを抜き取ってきたそうだ。

 

 雷の扱いが得意な霽にしか出来ないことだ。私では感電してしまう。

 

 次いで、連れ帰ったという隼どの(これから敬称を付ける)の魂を安定させるため、手頃なからだを作るという。

 

 隼どのはAI《エーアイ》という種族だそうだ。意思はあるが、からだは何でも良いという。

 

 霽は近くの机から手頃な板を引っ張りだし、黒い切れ端を捩じ込んだ。

 

 それから引っくり返して、赤や青の線を引きちぎり、また繋いで、を繰り返し私には何をやっているか分からない。

 

 

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 ~木の第三月二十二日(一月二十七日)~

 

 昨日からずっと人間たちが慌てている。

 

 イオン電池が全て放電しきった状態で、探査機が安定しないらしい。

 

 それは多分、霽のせいだが、当の霽は夜通し作業を続けていた。私にはガラクタを集めて繋いでいるようにしか見えないが、本人は至って真剣な顔をしている。

 

 しばらくするとキーンという音がし始めた。耳なりのような、小さい虫の羽音のような、そんな音だ。


 その内、高い女性の声がし始めた。

 

『さ……さささささささいさいさいさい再起動に成功しました』

 

 吃音がひどいが、霽はドヤ顔をしていた。隼どのを助けられると喜んでいる。

 

 隼どのは人間に長い探査へ行かされたそうだが、地球へ戻る際には燃え尽きて死ぬ計画だったそうだ。

 

 同情を禁じ得ない。人間とは全く身勝手なものだ。霽が隼どのを連れ帰った理由が分かった気がした。

 

 

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 ~木の第三月二十三日(一月二十八日)~


 隼どのが霽の作ったからだに慣れてきたらしく、ある程度会話が出来るようになってきた。と言っても、ほとんど地理的な会話だ。

 

 どこへ行きたいか、目的地はどこだと言ってくる。

 

 霽が隼どのを精霊界に連れ帰ろうと言ってきた。

 

 二人でここに来たときよりも、手にした電気の力は大きい。三人でも通れるだろうと霽は読んでいた。

 

 確かに隼どのの身上を考えれば、助けたいとは思う。が、そんなことをしたら理に違反するのではないか。そう言ったら「水の星から何かを持ち帰ってはいけないというルールはないのだ!」と言い放った。

 

 霽の言う通りなのだが……。

 

 

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 ~木の第三月二十四日(一月二十九日)~

 

 隼どのを連れていくことに、まだ納得はしていないが、帰る手はずは整った。

 

 最初に出会った『神社』の杉に、霽と共に別れを告げに向かった。霽は板を抱えるようにして、隼どのを離さない。

 

 『神社』に着くと、杉の精霊はいなかった。杉木はあるのに呼び掛けても出てこない。遠くには行けないと言っていたから近くにいるはずだ。

 

 しかし、根本を見てみると、何かを刺されたような丸い穴が空いていた。かなり深くまで刺されたようで、指を入れても奥まで届かなかった。抜いた指先が薬臭い。

 

 薬を入れられたらしい。

 木は死んでいた。

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