307話 現実の未来
紙を捲る音が響く。照れている場合ではなかった。僕も本を一冊手に取り、慌ただしく捲った。
添さんは『人間』というキーワードが入っている資料を全て集めたらしい。詳しく書いてあるものはほとんどなかった。あっても読んだことのある本や記録ばかりで、新しい情報は得られなかった。
「ベルさま。何か分かりましたか?」
「いや、人間の来訪記録なんてあるわけないか」
やはり始祖の精霊の力を借りたい。人間のことを知っているはずだ。初代理王である父上も詳しくは教えてくれなかった。他に頼れるのは大精霊しかいない。
「ベルさま。やっぱり玄武伯に頼みましょうか? それか
「駄目だ。父は
ベルさまとの、このやり取りを……この場面を、客観的に見たことがある気がする。
「でも、人間のことを知っているのは始祖の精霊しかいないですし、それに人間が攻めてくるとなれば、流石に玄武伯も手を貸してくれるのではないですか」
自分の口から出た
これは……
現実になってしまった。
芋づる式に黄龍に見せてもらったもうひとつの光景を思い出してしまう。ベルさまが免の元へ行こうとする胸糞悪い場面だ。
そんなことあり得ないと思いたい。でも、あの時見たことが今、現実になった。もうひとつの未来も可能性が……いや、何としても避けなければならない。
「例えば、それで精霊界が滅びそうになったら動くかもしれないね。でもそうだな……例え、私がこの戦いで死んだとしても、弔問にすら来ないよ」
「やっ、止めてください!なんてこと言うんですか!」
ベルさまの肩を掴んで思い切り揺すってしまった。ベルさまは頭をそっと手で抑え、苦笑いをしている。
「雫も力が強くなったね。頭がぐらぐらしたよ」
「すみません、つい」
ベルさまの肩から手を離した。もうちょっと触れていたいと思ったのは気のせいだ。今はそんなことをしている場合ではない。
じゃあ、いつならベルさまに触れて良いのかと、自分の中でおかしな疑問が生まれたのを即殺した。
「私も戦いに向けて体力をつけるべきかな」
ベルさまが冗談っぽく笑った。ベルさまは決して体力がないわけではない。今は相手が僕だったから、揺すっても無抵抗でいてくれただけだ。
「ベルさまはそのままでいてください」
「そう?雫がそう言うなら良いか」
穏やかな時間が流れていく。宣戦布告されたとは思えないほど、幸せな時間だ。ベルさまと二人で、ゆっくり食事を取っていた時間はもうかえってこない。
あの頃に戻りたいかと言われたら即答は出来ない。ベルさまの苦労を知らずに、ただ掃除や食事の支度をしているだけで、ベルさまに恩返し出来ると思っていた。
だったら……大変なことは多いけど、二人で悩みを共有できた方が良い。その方がベルさまの負担を減らせることが出来る気がする。
それに……今の僕なら、ベルさまを守ることが出来るかもしれない。烏滸がましいのは分かっているけど、ベルさまを戦わせたくない。
「どうした?私の顔に何か付いてる?」
「いいえ、別に……」
じっとベルさまを見ていたらしい。ベルさまと交差した視線を逸らすことが惜しくて動けない。
意思の強そうな濃い色の瞳も、天ノ川のような銀髪も、紙を捲るしなやかな指も、全部……
「……好きだなぁ」
「何が?」
「何って、ベ……」
僕は今、何を言おうとした?
ベルさまには僕の気持ちを伝えるつもりはない。そんなことをしたら、ベルさまに迷惑がかかる。
ベルさまは不思議そうな顔で僕の返答を待っている。
「ベ?」
「ベ……紅鮭が好きで」
我ながら苦しい。
次の言葉が出てこない。微妙な空気が流れ始めたその時……
「雫さま!御上!ただいま戻りました!」
「おぉぉお帰り、潟!」
助かった!
タイミング良く潟が帰ってきた。流石だ!
……何が流石なのかは僕にも分からない。
「潟、帰ったか。お父上のことは……誠に気の毒だ」
「恐れ入ります、御上」
潟はボロボロの服のままだ。実家に帰ったのに、着替えもせずに戻ったのか。相当急いで来たのだろう。
「落ち着いたら正式な弔いをしようと思う。悪いが少し待ってもらえるか?」
「勿体ないお言葉です。その件は免を片付けてからに致しましょう」
片付けて、か。
最期に先生が潟に残した言葉だ。片付けを頼んだと潟に告げていた。僕も聞いている。
先生の遺言だ。絶対に、何としても勝たなければならない。勿論、先生の言葉がなくても勝たなければならないけど、僕の中で沸々と気合いが満ちてきた。
絶対に勝つ。
「それより雫さま、御上。こちらをご覧ください!遂に見つけました!」
「「何を?」」
ベルさまと声がピッタリ重なった。ちょっと嬉しい余韻に浸る暇もなく、潟が雑に机の上を片付けた。何冊か資料が残っているけど、その上に古くて分厚い本を乗せてしまった。
「父の日記です」
潟の鼻息が少し荒い。とてつもなく自信に溢れた顔をしているけど、その理由が分からない。
「待って、潟。いくら息子でも
もしかしたら、先生は凍結してほしいと思っているかもしれない。先生の黒歴史が見つかってしまったら、潟としても気まずいことになると思う。
「ご心配には及びません。すでに子供の頃、開いたことがありますので」
それはそれでどうなんだろう。
「それで思い出したのです。当時は何のことか分かりませんでしたが、父の日記には人間の記録があります」
「何だって!?」
「待て。潟、師匠は確かに長命だったが、人間の世界にいた頃から生きてはいないだろう?」
潟がパラパラと該当する
「それが……父は水の星へ行ったことがあるらしいのです」
「何だ……って?」
「そんな話は今まで聞いたことがない」
潟の手が止まった。本の上下を入れ換えて、僕とベルさまの方を向けてくれた。
「私も直接聞いたことはございませんが、水の星で人間に接触しているようです」
「何だって?」
さっきから同じ言葉しか出てこない。ベルさまが僕を宥めるように肩を叩いてきた。
「……ここからです」
先生の字が綺麗に並んでいる。どことなく力強さを感じる。先生もまだ若そうだ。
「読んでも良いのかな」
「まぁ、他人の日記を読むのは抵抗があるけど、もはやこれは資料だよ」
「た、確かに」
貴重な情報だ。使わない手はない。
潟だって身体的にも精神的にも疲れているのに、休まずにこれを探して持ってきてくれた。
心の中で先生に謝罪しつつ、日記に視線を落とした。
~~~~
~水の第二月二十一日~
本格的な雨季に入った。
霽は強い。循環型の精霊だけあって無駄に強い。認めたくはないが強い。簡単な理術では弾かれてしまう。
だが、私も祖母上・香伯より木の理力を受け継いでいる。波の力では他の海の精霊に負けることはない。
霽も波に沈めてやる。明日こそ、決着をつけてやる。
~~~~
「……
「いや、この時点では仲良くはないよね」
ベルさまは否定的だけど、僕は漣先生と雨伯の仲が良いように思う。
先生は認めたくはないと言いつつ、雨伯の強さを認めているし、雨伯だって毎日先生のところに通っているようだ。この短い文章で二人が互いにプライドを持って、敵意のない戦いをしていることが分かる。
「お二人とも盛り上がっているところ、申し訳ありませんが、こちらの
潟は反対の
~~~~
~水の第二月二十二日~
互いの理術がぶつかって、制御不能の竜巻が発生した。不様にも巻き込まれ、霽と二人で海中に落ちた。
固い何かに頭を打ち付けたのは覚えている。そのせいで、しばらく気を失っていたようだ。目が覚めると見知らぬ景色が広がっており、多くの人型が闊歩していた。
霽はそれを人間だと言った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます