十章 無理往生編

306話 義兄・霖

 宣戦布告当日。

 

 ボロボロの竜宮城で帰館し、全ての王館に免の宣戦布告を伝達した。ハッキリと確認したわけではないけど、どの王館も急に慌ただしくなっている。

 

 日の傾く頃、水の王館では、会ったことのない水精がひとり呼ばれていた。

 

 場所は応接室。謁見の手続きをぶっ飛ばしたベルさまの私的な呼び出しだ。

 

 ながめと名乗ったその精霊は、すぐに雨伯の一族だということが分かった。全体的に白くて毛先だけ黒い髪。身長以外は雨伯にそっくりだ。

 

 霖さんは、たまたま木の王館に来ていたため、今回の事件に巻き込まれなかったらしい。ひとりでも無事な精霊がいて本当に良かった。

 

「悪ぃ、遅くなった!」

 

 焱さんが勢いよく入ってきた。勢いが良すぎて扉が壊れるかと思った。

 

 赤い髪に夕日が射して更に赤みを増している。でも顔色は夕日にも負けずに青い。

 

 目の下には相変わらず隈が出来ている。寝ていないのだろう。事情が分かるだけに、休んで……と軽く言えないのが辛い。

 

「焱さん、来てくれてありがとう」

「いや、おじーさまのためだ。最優先すべきなんだけどよ。こっちもテンヤワンヤでな」


 焱さんは頭をガリガリ掻きながら盛大な欠伸をした。そのせいで喉の奥の方までよく見えた。扁桃腺が腫れている。そろそろ本格的に休んだ方が良い気がする。

 

「御上、淼さま。焱さまも参りましたので……宜しいですか?」


 霖さんが静かに口を開いた。見た目は雨伯にそっくりなのに、賑やかな雨伯とは真逆だ。

 

 霖さんには、まだ呼び出した理由を説明していない。雨伯のことが伝わっているかどうか微妙だ。もしかしたら木の王館で話を聞いているかもしれない。


義兄上あにうえ、僕のことは雫と呼んでください」

「お断りします」

 

 心に一撃を受けた。雨伯の一族にハッキリ拒絶されたのは初めてだ。いつも暖かく迎えてくれるから、甘えていた自覚はある。

 

 勝手に身内だと思っていたけど、雨伯一族の中に僕のことを快く思っていない精霊がいてもおかしくない。

 

 いや、実家である竜宮城をボロボロにされて怒っていないはずがない。

 

「すみません……でした。ながめさん」

 

 図々しく義兄上あにうえと呼んでしまった己を殴りたい。一言の謝罪に色々な意味を込めた。

 

「いいえ、別に。淼さまが私のことをどうお呼びになろうと構いません。義兄上あにうえでも、なーちゃんでも、なんでも」 

「なーちゃん?」

 

 予想外の言葉に霖さんをじっと見つめてしまった。霖さんの目は淡い緑色で若葉を思わせる色をしていた。目付きはキツいのに、瞳の色は優しい。

 

「失礼。末弟の雨垂れが生前、私のことをなーと呼んでいたので」

「叔父上。それは喃語なんごだって何度言ったら分かるんだよ……」

 

 雨伯一族の片鱗が見えた。


「雫。ながめの叔父上は堅物だからよ。俺のこともいっつも焱さまって呼ぶんだぜ」 

 

 堅物は自分のことをなーちゃんとは言わないだろう。でも嫌われているわけではなさそうだ。自分のことは何と呼んでも構わない。けど、僕のことは太子として扱うという意味だろう。

 

 実の甥である焱さんにもその態度だとすると、他人に甘く、自分には厳しいのかもしれない。


「えーっと……じゃ、じゃあ僕は義兄上って呼んで良いですか?」

「…………どうぞ」

 

 どことなく寂しそうなのは何故だ。なーちゃんの方が良かったか。

 

「義兄上、聞いているかもしれないですけど……」

「父のことでしたら窺っております。しづらいお話は省いていただいて構いません」

 

 冷たい言い方だけど、気遣いを感じられる。もうさっきみたいに傷つくことはない。

 

「御上。お話とは父の再起の件でございますね」

「そうだ。話が早くて助かる」


 雨伯は循環型の現象が元になっている精霊だ。この世に雨が降る限り、何度でも再起可能だという。

 

 では死ぬことはないのかというと、そうではないらしい。大精霊以外は皆、寿命がある。雨伯の場合、それが恐ろしく長いらしい。

 

 からだの方が先に駄目になりそうだけど、そうならないように脱皮を繰り返しているという。

 

 何だか反則のような気もする。けどそれが雨伯の特性なら別にルール違反ではない。そう自分を納得させた。

 

「放っておいても水が世を循環すれば雨伯は帰ってくる。だが……」

「仰りたいことは分かります。この緊急時に雨伯ちちの不在は有り得ません。職務怠慢です」

 

 なかなか手厳しい。別に職務怠慢ではない。怠けていた結果ではなく、免の襲撃にあったせいなのだけど、それをわざわざ言う必要もないだろう。

 

「焱さまが私の水を沸かせば良いのですね?」

 

 本当に話が早い。霖さんの言うとおり、雨伯の理力を受け継いだ者同士で、水の循環を早めようという計画だ。

 

 霖さんの本体は長く静かに降る雨だ。雨伯一族の中では、雷伯や霓さんよりも雨伯に最も近い存在かもしれない。その霖さんの水を焱さんの力では蒸発させれば、雨伯の再起が早められるはず……だとベルさまは言った。

 

 誰もやったことはない。けど、霖さんも焱さんも瞬時に計画を理解した。ということは、理論上は出来るはずだ。


「そうだ。中庭の池を空にしておいた故、そこで……」

「かしこまりました。焱さま、参りましょう」

 

 ベルさまの話を全て聞かずに、霖さんは出ていってしまった。本来ならかなり失礼な行為だ。僕か焱さんが止めるべきだけど、その焱さんでさえ、急ぎ足で出ていってしまった。

 

「良いよ、別に私は気にしない。霖どのは普段あんなに急勝せっかちではないから……皆、雨伯の不在は不安なんだよ」

「そう、ですね」

 

 僕も不安だ。雨伯がもし再起できなかったらと思うと……背中がゾワゾワする。

 

 先生を失った上、雨伯まで帰ってこなかったら、僕は……どうしたら良いのか。今まで以上にベルさまに頼ってしまうかもしれない。

 

 ベルさまの役に立ちたいのに、ベルさまに迷惑をかけてしまうかもしれない。

 

「ところで雫。潟はどこへ行ったの?」

 

 潟はここにはいない。帰るなり、ボロボロの格好のまま、水流に乗って王館を飛び出していった。

 

「実家に帰るって言ってましたよ」

「この緊急時に?」

「今日中には戻ってくるそうですけど」

 

 何をしに行くのか、までは尋ねなかった。実家と言えば先生の家だ。父親をなくしたばかりの潟に、細かいことを尋ねることは出来なかった。

 

「そうか……なら良い。潟も思うところあるだろう」

 

 ベルさまはそう言うと席を立った。執務室に戻ることを察して、ベルさまの水流に続く。

 

「休みがなくて申し訳ないけど、今度はこっちだ。少し手伝って欲しい」

「勿論です」

 

 僕が不在の間に、机が増えていた。けれど椅子はなく、ただ本や資料を置くためだけに設置されたと思われた。山のように書籍が乗っている。

 

そえるが人間に関する資料を集めたらしい。水の王館にあるのは、これで全部だそうだ」

 

 王館を出る前に、添さんに資料集めを頼んでおいたのだった。それを片っ端から読み込んで、人間への対処法を考えようと思っていた。

 

「人間が免の元へ走ったらしいけど、攻めてこないとも言い切れない。予定通り人間の来訪記録がないかどうか見てみよう」

「そうですね。父上は詳しく教えてくれませんでしたしね」

 

 父上を恨めしく思ってしまう。危機に直面している今でさえ、出てきてはくれない。人間の魄失に会う時は協力してくれたけど、どうして詳しく教えてくれないのか、理解できない。

 

「多分、玄武伯も話してはくれないだろうね」

 

 ベルさまが自分から玄武伯の名を口に出すなんて珍しい。ベルさまも少なからず免の宣戦布告に緊張しているのかもしれない。顔には現れていないし、まして理力からそれを読み取ることもできない。

 

「ベルさま、免の方は何を準備しましょう?」

 

 他の王館は結界を強化したり、臨時の人員を召集したりする予定らしい。十日で準備が間に合うのかどうか。

 

「特に何かをするつもりはないよ」

「え?い、良いんですか?」

 

 ベルさまの手はすでに資料を紐解いている。

 

 強者のベルさまらしいといえば、ベルさまらしい。でもせめて、警備体制を強化するとか、防御壁を作るとか、何か出来ることがありそうな気がする。

 

「だって免の狙いは王館にいる高位精霊なんだろう?水の王館に高位精霊が何人いると思う?」

 

 泥と汢は金の王館に掛かりきりで不在だ。だから、ベルさまと僕。それから潟夫妻。四人だ。片手の指が余ってしまう。

 

「潟たちは免が来る前に塩湖に返しても良い。そうすれば私たちだけだ」

「意地でも帰らないと思いますけどね」

 

 潟たちの安全を考えれば帰した方が良いのは分かっている。でも添さんは兎も角、潟は絶対に戦うと言いそうだ。

 

「そう? 久しぶりに雫と二人だけの王館も悪くないと思ったけどな」

 

 ベルさまと二人……。嬉しいのに恥ずかしい。十年前はそれが当たり前だったのに、自分の気持ちの変化がある意味恐ろしくなった。

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