263話 滾と水太子

「でも先に貴燈へ行かないと……金理王さまからの伝言を預かってるし」

 

 潟さんは扉を中途半端に開けたまま、動きを止めてしまった。

 

「すぐに済むのでしたら問題ありませんが……」

「一瞬で帰ってくるよ。先に行ってて」

 

 移動が一瞬で可能な今ならすぐに行って帰ってこられるはずだ。僕が長話をしなければ……。

 

「いえ、私もお供します」


 案の定、潟さんは付いてこようとする。気持ちは嬉しい。でも今回はひとりで行きたい。

 

「いや、潟さんは先に土の王館に行って。帰りの目印になって欲しいから」

「……かしこまりました。そういうことでしたら」

 

 もっともらしい理由をつけると、潟さんはあっさり引いてくれた。

 

 実際、金の王館で出現場所に困った。潟さんがいれば、他の王館でも目標地点がはっきり分かる。

 

「頼りにしてるね」

 

 潟さんの腕をポンポンと叩き、場所を貴燈へ移動する。目標はたぎるさんの愛下温泉だ。

 

 流石に王館からたぎるさんの気配は追うことが出来ない。わかちゃんも同じだ。

 

 でも行くと連絡は入れてある。温泉に出れば、その場に滾さんがいなくても、僕が来たことに気づいてくれるはずだ。

 

 いつも通り、すぐに水流から出られた。でもいつものように視界が晴れない。その上、体が温かいものに包まれた。

 

 温泉の中に出てしまったらしい。鼻と目にツンとした軽い痛みが走った。

 

 底に足が着いたのを利用して蹴り上げ、深い温泉から飛び出す。息苦しさは特にない。頭痛も吐き気もしない。鉱毒の影響は残っていないようだ。

 

 手をひと振りして、濡れた服を乾かした。洞窟内は湿度が高い。でも以前来たときよりも理力が高くなったせいか、難なく乾いた。

 

 でも残念ながら服のシワは残ってしまう。シワを撫でながら伸ばしていると、温泉の端の方に滾さんが立っていることに気づいた。


「ギルさん、久しぶり!」

「ひさし……お、おヒサシぶり……です」

 

 たぎるさんは片手を上げかけて、すぐに下ろしてしまった。もともと恥ずかしがり屋ではあったけど、僕には慣れてくれたと思っていた。

 

「ご来訪……まこ、マコトに有難う……ございます」

「ギルさん、どうしたの?」

 

 人見知りというよりも、極度に緊張しているようだ。月代で一緒に戦った仲なのに、そんなに他人行儀にされるのは嫌だ。

 

「ギルさん。僕たち、友達だよね?」

「めっ……滅相もない」

 

 滾さんの巨体がガタガタ揺れている。恐怖が読み取れた。僕が怖くて震えているらしい。

 

 王太子になってから滾さんに会うのは初めてだ。何だか拒絶されたみたいでショックだ。


「僕は友達だよね?だから今まで通り接してくれると嬉しいんだけど、ダメかな?」

「…………良いのか……ですか?」

 

 滾さんの口がぎこちなく動いた。少しだけ恐怖が和らいだのが分かった。

 

わかちゃんにもそう言ってあるから、安心して」

 

 沸ちゃんも同じだと聞いて安心したのか、滾さんの肩から力が抜けた。


「良かった。俺、怒られると思った」

「何で?」

 

 更にはへなへなと座り込んでしまった。心なしか洞窟内の湿度が下がった気がする。

 

アルと付き合ってる……黙ってた」

「何で僕が怒るの?」

 

 滾さんが誰を好きになろうと自由だ。

 

 それに低位の混合精が高位の精霊と交際してはいけない、なんてふざけたルールがあるわけでもない。

 

「雫、怒らない?」

「怒らないよ。いつからそう言う関係だったのかは気になるけど」

「……実は……」

 

 滾さんの話によると、水銀の事件のあと、ベルさまからご褒美として沸騰石をもらったそうだ。

 

 たぎるさんはあの時、月代で結構な怪我をした。でもそのお陰で温泉の効果が高くなり、怪我も早く治ったらしい。

 

アルのこと、気になって……まぬがから庇ったとき、すごく細かった」


 まぬがから攻撃を受けたとき、滾さんは僕と鐐さんをまとめて抱え込んでくれた。そのせいで滾さんは大怪我をしてしまったけど、あのとき鐐さんが応急処置で金属片を取り除いていた。

 

「まさか……それが切っ掛け?」

 

 滾さんは顔を真っ赤にして頷いた。

 

アルのとこに何回か行って、仲良くなって……」 

 

 複雑な気持ちだ。二人が結ばれることに反対はしないし、祝福したい。でも二人を結びつけたのが免だというのは、受け入れがたい。


「俺、魂繋……したい」

 

 滾さんは耳まで真っ赤だ。

 

 話が早い。鐐さんはどう思っているのか分からない。でも鑫さんに現状を報告してきたくらいだから、多分、鐐さんも本気なのだろう。

 

「そのことなんだけど、金理王さまから伝言があって……ちょちょちょちょギルさんっ」

 

 金理王という語を聞いた瞬間、滾さんはものすごい勢いで退いた。

 

 温泉に落ちそうになっている。自分の温泉に落ちたところで問題ないだろうけど、驚き方が尋常ではない。

 

 慌てて腕を引いたけど、巨体を支えきれるはずはなく、結局二人で温泉に落ちた。


「し、死罪?」


 滾さんを押し上げて、先に温泉から出した。上がるなり、まだ温泉に浸っている僕にそう聞いてきた。

 

 金精と交際したら死罪って……極端すぎる。それに水太子の僕が金理王の命令を遂行しに来るはずがない。

 

「『望むなら魂繋を許す』だって」

「……え」

 

 滾さんに続いて温泉から上がろうとしたら、お湯の中から潟さんの呼ぶ声が聞こえた。

 

 もう皆集まっているらしい。潟さんが痺れを切らしている。早く戻らないとここまで迎えに来られそうだ。

 

「魂繋したら教えてね。じゃ!」

「あ、し、雫」

 

 滾さんが止める声が聞こえたけど、待てなかった。半身を温泉に浸けたまま、王館へ向けて水流を作った。ちょっとお湯を拝借したけど、水を混ぜてしまうより良いだろう。

 

 また今度、時間ができたら来よう。そのときは沸ちゃんにも会いたい。

 

 潟さんの気配を感じて辿ると、ぐっと水流の向きが変わった。次の瞬間、水は散って目前に潟さんが立っていた。


「良かった、お戻りになられましたか」

「ただいま。そんなに遅かった?」

 

 辺りを見ると、確かに土の王館だ。でも皆が集まっていると言っていたのに、潟さんの他には一人しかいない。知らない精霊だ。

 

「皆さまは先に中庭へ移動なさいました」

 

 まずい。

 

 僕だけ遅かったようだ。そんなに長居はしなかったつもりだけど……。

 

「ごめん、待たせて。僕たちもすぐ行こう。……えーっとそちらの方は?」

 

 潟さんの顔を見ながら、後ろにいる精霊に声をかけた。知らない精霊だけど何だか見たことがあるような気がする。

 

 木精に多い緑色の頭に、茶色と白の髪がひと房ずつ紛れ込んでいる。深い茶色の瞳は意思が強そうで、雨伯に似ている。

 

「初めまして、淼さま。僕は竹富山たけとみやまやしき。いつも弟がお世話になってるね!」

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