259話 純水の太子
少し経って、
「雫さまが我々に離れの修繕を命じたのはこのためだったのですね」
「先のことまでお考えとは流石です」
離れを修繕させたのは少し前のことだ。少し前のことだ。折角、侍従になったのに、僕が不在で仕事がないと、
私室も余すところなく磨きあげ、執務室もベルさまの邪魔にならない範囲で掃除済み。衣装の汚れも確認し終え、いつ帰ってきても良いように、お茶と菓子も常備している。
それなのに、僕がちょっと帰ってきてはすぐに出掛けてしまう。少しは仕える方の身になってあげたいところだ。
仕事がないのは結構辛い。だからベルさまの許可をもらって、昔使わせてもらった離れの修繕と掃除を命じておいた。
はっきり言って侍従の仕事ではない。でも時間のかかる仕事に二人とも喜んでいたので、良いとした。
決して潟さん夫妻が使うことを想定したわけではない。ただ、いずれ風通しに行こうと思っていたのに、忙しくてなかなか行けなかったから、頼んだだけだ。
「潟さんは何であんなに喜んでたのかな」
「雫さまがお過ごしになった場所に入れる、と盛り上がっていましたよ」
ナニソレ?
下働き時代の僕の部屋に入れることが、どうしてそんなに嬉しいんだろう。どうも最近、潟さんが分からない。
「時々、潟さんが分からなくなるよ……」
つい愚痴っぽくなってしまった。泥・汢と潟さんは広い
扱いに差をつけてはいけないと思うし、何より同僚の文句を言うのはまずい。気まずさに視線を床に向ける。
でも二人からは予想外にクスクスと笑い声が聞こえてきた。
「何?」
「
「それに
「暇を持て余していた日々から、救ってくださったとも言ってましたね」
塩湖謹慎って潟さん、何をやらかしたんだ。
薄々気づいていたけど、僕と出会う前の潟さんは、かなりやんちゃだったらしい。
現役理王の息子だったころは、かなり調子に乗っていたと自分でも話してくれた。そのせいで竜宮城へ出向させられたとも言っていた。
その頃、先代理王を太子から下ろして潟さんを付けようという話もあったらしい。
そういう意味では雨伯のところはうってつけだ。雨伯の下にいれば潟さんは不穏な動きに巻き込まれずに済む。
それにいくら潟さんが強者でも雨伯には及ばない。王館では理王の子という立場でチヤホヤされたとしても、竜宮城では慎む必要がある。
下手をすれば主の雨伯に潰されかねない。僕の立太子の儀が良い例だ。
「潟さんと会ってすぐに、僕が理王になるって分かったって言うんだ。何でだろう」
太子ならともかく、まだ侍従だった頃の話だ。
泥と汢に聞いても分かるはずがない。そう思って呟いただけだったのに、二人はうんうん頷いていた。
「雫さま。ご自身では気が付かれないかもしれませんが、潟の言うことは分かる気がします」
「どういうこと?」
泥と汢が顔をあわせて、またクスリと笑った。相変わらずそっくりだ。
「私たちは
純水だと言うことは認める。母上の大河が地下を通ってくる際に、
そのせいで、かなり頑固だとも言われる。
「雫さまの泉に沈めて欲しい。むしろ沈んで底になりたいと言いますか……」
汢は何故か顔を赤らめて、冷やすように頬に手を当てている。
今のは半分土精ならではの感想だ。木精から飲みたいと言われたことはある。でも沈みたいと言われたのは初めてだ。
「一杯だけでも良いので、その純水で
泥々希望とは……名に泥の字を冠するだけのことはある。
「潟は塩水ですから、純水に対して特に敏感だと思います」
潟さんに二人を紹介したときこそ、ビクビクしていたけど、いつの間にか理解しあえる関係になっていたらしい。
潟さんは
「潟は自分がどんなに望んでも純水は手に入りません。純水であろうとすれば自分が自分ではなくなってしまいますからね」
塩を抜かれたとき、潟さんは視力を失った。本来の状態を維持するには純水では事足りないわけだ。
「でも純水なら誰でも良いんじゃない?」
何だか照れ臭くて、ちょっと不機嫌そうな言い方になってしまった。
「雫さま、この世に純水の精霊がどれほどいると思われますか?」
「どれほどって……水精の半分くらい?」
僕がそう言うと
「お養父上でさえ循環の過程で金属や土が混じると聞きました。先々代も風の影響を受けるので、木の理力が必要なはずです」
確かに。今の例だと強い精霊ほど多属性の影響を受けている気がする。
「潟も塩が入るので土の影響を受けていますよ」
それは分かる。土の王館で塩をもらってきたのは記憶に新しい。
「混合精でなくても、他属性の影響を受けるってことか……」
身近な例で考えてみる。
例えば焱さんは、松が燃えて発生した火から生まれているから、そもそも木精由来だ。
桀さんは土から栄養を吸い上げているから間違いなく、土の理力を受けている。
鑫さんはどうだろう。月代でどういった採掘をするのか知らないけど、川で取れる砂金のようなものだとしたら、土や水の影響を受けるのだろうか。
垚さんは……あれ、垚さんの本体って何だっけ?
「雫さまのように、他の属性の力を借りることなく成り立つ精霊は珍しいのです」
「でも、泉の境界を決める土手や堤はあるよ。やっぱり土の力が必要なんじゃないかな」
その土手がなければ泉は保てない。流れ出してしまえばいくら太子といっても無力だ。
「それは少々違うと思います」
「代わりがきくかどうか、ということだと思います」
「代わり?」
泥の言うことに汢が大きく頷いていた。
「はい。雫さまの泉を形作るものは土でなくても宜しいかと思います。木枠でも鉄板でも……水が漏れなければ何でも良いのです」
当たり前だけど、塩がないと塩湖にならない。だから代わりがきかないってことか。
「だから本当の意味での純水というのは水精にとっては憧れるのだと思います」
泥と汢の笑顔が眩しい。何だか崇められているようでむず痒い。この感じは木の王館で味わう感覚に似ている。
「御上はどうなんだろ?」
誤魔化すように的を切り替えた。ベルさまの本体が何なのか、未だに知らない。
「あの方は分かりませんが、お側に行っても沈みたいとは思いません」
その感想はどうなんだろう。
「近づく度に飲み込まれそうな気がします」
僕はそんなことを感じたことはない。
二人は土の性質もあるから、一般的な水精よりも水に対して耐性が強いと思う。それなのにそう感じるとは……やっぱりベルさまの強さは半端ではないらしい。
「僕は側にいたいけどなぁ」
ポツリと呟くと、泥と汢が控えめにきゃあきゃあ言っていた。
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