257話 初代水理王と水太子

 僕の目の前で水柱が急速に縮んでいく。絞りきった雑巾みたいに細くなってしまった。動く度に鋭さを孕み、不安を煽ってくる。

 

『あーァ……残念』

「どうして残念なんですか?」

 

 父だと認識されるのがそんなに嫌なのか。もしそうだったらショックだ。

 

『理王にナルまで秘密にしタカった。僕たち柱は正体がバレたら、其奴そいつの記憶を消さナイといケナい』


 水柱がプルプルと震えだした。敵意のない攻撃の気配を感じる。嫌な雰囲気だ。圧縮した水柱がジリジリと距離を詰めてくる。

 

『僕ラがそウイうルールにシタ』

「でも……べ、御上はご存じですよね」

 

 僕の立太子の儀の時だ。新太子の着任を初代に報告すると言ってベルさまは下を向いていた。玉座の下にいる初代理王に向けて放った言葉だと、今なら理解できる。

 

『理王は別ダヨ。理王と真名を知ル者は除イて……』

「あ、し、真名知ってます!」


 両手を前面に出すと、水柱はピタッと止まった。戸惑っているのがよく分かった。

 

「僕の真名、知っテルの?」

地獄タルタロスで黄龍のちゆ閣下に聞きました。『きゅう』という名だそうですね」

 

 僕がそう言った途端、パンッという破裂音が鳴り響いた。水柱が弾けて辺り一面水浸しだ。僕自身もずぶ濡れになってしまった。

 

『知ってたのかぁ。なら良かった。がっかりして損したよ』

「え?」

 

 流暢になった話し方に、今度は僕が戸惑う番だった。知らない声なのにどういうわけか親しみと懐かしさを感じる。

 

『こっちこっち』

 

 後ろから声を掛けられる。細身で中背の人型がふらふらしながら立っていた。

 

「……大丈夫ですか?」

 

 そう声は掛けたものの、手は差し出せなかった。横顔が美蛇にそっくりで、支えることを躊躇ってしまった。

 

『大丈夫大丈夫。二本足で立つの久しぶりだから、ちょっとバランスが取れなくてね』

 

 そのうち慣れるよ、と言いながらも顔色は悪い。髪や服まで青白くて、人型でいることが逆に不自然に見えてきた。

 

からだがないからね。こころだけで人型になるのは大変なんだよ』

「父上」

 

 一歩踏み出すと、父上は一歩下がってしまった。拒絶されたみたいで、心がチクリと痛む。

 

『ごめんよ、触らないで。魂が剥き出しだから、下手に触れると王館が崩れてしまう』

「王館が崩れる?」

 

 上げた手を下ろすと、父上は一歩分戻ってきた。目の色も髪の色も分からないけど、泣きそうな目をしている。横を向かなければ、美蛇の面影はあまり感じない。

 

『僕たち初代の仕事は王館を支えることだからね。上は当代理王が守り、下は僕たちが支える。僕か理王か、いずれかが欠ければ王館が崩れてしまう』

  

 王館が崩れるという単語を簡単に口にした。そんなことが頻繁にあるわけないとは思いつつ、崩れたことがあるのかと疑ってしまう。

 

『まぁ、それは置いておくとして……君が僕の正体に辿り着くとは思わなかったよ、雫。ここまで……立派に成長して……本当は抱き締めたいのにっ』

 

 父上がぐすぐす泣き出した。今まで堪えていたのか、激しい嗚咽が混じっている。

 

 名は身を表すとは、まさにこのことだ。父上から時々涙の水滴が飛んでくる。魂だけの体とは言っても涙は出るらしい。

 

「お目にかかれて光栄です、父上」

『雫……』

 

 そう言うと父上は目を細めた。ハンカチを差し出してあげたいところだ。でもまた拒絶されそうだから、止めておく。

 

『雫……か。完全に名前が変わっちゃったんだね』

 

 母上は未だに僕のことをるいと呼ぶ。唯一自分で名付けた子だから、その名を奪われるのが嫌なのだと思っていた。

 

 でも、涙の名は父上の名に繋がる。だから変わるのが嫌だったのかもしれない。

 

 『涙の雫』を通称で使って良いとは言われたけど、侍従長や王太子など役職名を名乗ることが多くて、あまり名乗っていない。


「色々あって……」

『知ってるよ。王館で起こったことは全部知ってる。こんが君にしたことも、君が渾を葬ったことも』

 

 兄弟同士の醜い争いを、どういう気持ちで見ていたんだろう。しかも美蛇の最期は謁見の間だった。

 

 よく考えたら父上がいる場所の真上だ。

 

『僕の直接触れた唯一の子だ。優しく賢い子だったのに、どこで間違えたんだろう』

 

 父上は音にならないため息をついた。目を閉じて悲しみに浸っている。


『渾は僕に似ていたけど、雫はきよらさんに似てるね。清さんは元気? 渾の事件の時、登城していたけど、あれから姿を見ていないな』

 

 ……かと思えば、今度は勢いよく顔を上げた。 感情の変化が忙しい方だ。

 

「お元気ですよ。兄上に奪われていた理力を取り戻してから、すっかり元気になりました」 


 かくいう僕もそんなに頻繁には帰っていない。王太子になって初めての視察でお会いしたくらいだ。

 

『もう僕のことなんか忘れるかもしれないけどね』 

「忘れていません」

 

 即答した。

 父上のことを語る母上は、とても楽しそうだった。父上のことを『あの泣き虫さん』といった母上は、悪戯っ子の顔をしていた。

 

 でも僕がそう言うと、父上はまた泣きそうな顔をした。僕が即答したので、嘘ではないと分かったのだろう。今度は嬉し泣きだ。

 

『孫は生まれたのかな?』

「ま、孫ですか?ぼ、僕はまだ独り身で」

 

 コロコロ話が変わって付いていくのが大変だ。急に孫だなんて言われても……。 

 

『いや、雫じゃなくて……誰か他の子供たちは魂繋した子がいるのかな、と思って』

 

 あ、なんだ、僕じゃないのか。

 

 誰も結婚した話は聞いていない。兄弟姉妹とは交流がないから、僕が知らないだけかもしれないけど。 

 

『やっぱり孫も低位がいいな。孫もいっぱい欲しいし』

 

 父上は、存在しない孫に思いを馳せている。どういう反応をしたら良いのか分からない。


『清さんにもね、子供は皆、低位に生んで欲しいって頼んだんだよ。雫は何故か高位……しかも伯位まで上り詰めたみたいだけど』

「そうですね……何故でしょう」

 

 何故、僕が伯位アルになったのか分からない。

 

「父上の理力が僕のこと、覆ってましたよね。それで世界に好かれて、繋がりが深まったらしくて、それを感じたベルさまに伯位アル昇格って言われて……」

『分かった分かった。それも全部知ってるよ』

 

 父上はさっきまで泣いていたのが嘘のようににこやかだった。今思うと、僕の王館での行動を全部見られていたということだ。恥ずかしくなってきた。

 

『僕が何故、低位に生むよう頼んだか分かる?』

「母上が寂しくないようにって聞きました」

 

 残された父上の理力を薄め、数を増やす。そうすれば父上と離れてしまった母上がひとりにならなくて済むと……それが父上の願いだったと母から聞いた。

 

『それもある……でも、一番の理由は理王になって欲しくないからだよ』


 父上は急に真面目な顔になって、僕の顔を覗き込んできた。 

 

「どうしてですか?」

『理王は世界に縛られる。王館にも縛られる。僕は子供たちにそんなことをして欲しくない。……でも雫は太子になってしまった。理王になったら王館から出られなくなるよ』

「え?」


 そういえばベルさまが以前言っていた。理王が王館を空けると支障が出ると。支障って何だろう。

 

「王館を離れると何が起こるんですか?」

『王館が崩れるよ』

 

 またか!

 

 何で王館はこんなに崩れやすいんだ。

 

「で、でもベルさまは淼兼任だったとき、出掛けてましたよね?」

 

 むしろ頻繁に視察で王館を開けていた気がする。勿論、王館で謁見とか、事務所理とかもしていたけど、いないことも多かった。

 

『アレはずるいよねぇ……』

 

 父上が何故か遠い目をした。その視線は僕を通り抜けてどこを見ているのか分からない。後ろにベルさまがいるのかと思って振り返ってしまった。

  

『当代は異常だよね。いくらユリの子だって言ってもさぁ。王太子の試練で僕のこと倒そうとするんだよ、あの子……』

 

 流石だ、ベルさま。まだ立太子前で初代理王を倒す力があるなんて。初代理王を倒そうとする大精霊の子。始祖の精霊にちなんだ神話か物語でも見ているようだ。


 そうだ、始祖の精霊といえば……。


「父上。始祖の精霊は水の星から来たんですよね?」

『そうだよ。どうしたの、突然』

 

 今回、ここに来たのは父上に会うためだ。純粋に会いたい気持ちが半分、父上だから知っている話を詳しく聞きたいのが半分だ。

 

「人間が攻めてくるらしいんです。どうしたら良いですか?」

 

 単刀直入に尋ねた。

 父上なら人間への対処法を知っているはずだ。

 

『誰がそんなことを……』

地獄タルタロスで」

 

 父上に何があったのか全て話す。王館で起きたことは知っている父上でも、流石に外のことには明るくない。


『そうか。あの三人がそう言うならそうなんだろうな』

「どうしたら良いですか?」

 

 父上は黙ってしまった。顎に手を当てて思案するように目を伏せている。さっきの泣き顔とはずいぶん違う。

 

『五山を守れとしか言えないな。それは当代も分かっているようだけど』


 それはついさっき得た情報だ。そのひとつに先生がいて、更に別の山には免が向かった。


「人間が来たら、僕たちはどう立ち向かえば良いんですか?」

『そのときは……』

 

 父上は、目の前に僕しかいないのに注目を集めるように間を取った。

 

『雫は、もう……僕なしで対応できるはずだよ』

 

 ベルさまの声が頭に響いた。ベルさまが僕を呼んでいる。何かあったのか?

 

『行きなさい。当代が呼んでいるよ』

「でも、父上……」

 

 父上は一瞬にこやかに微笑んで、元の水柱へ戻ってしまった。

 

『君は僕ノ術を自分の力で破ッた。もウ大丈夫』

 

 水柱が近づいてくる。僕の体をすっぽりと飲み込んで、ぎゅっと内部が縮まった。抱き締められているみたいだ。

 

『過去が見たイナら見せテアげる。でモ未来は自分で見ツけるンだ』

「父上……」

 

 下からぐっと押されて体が持ち上がる。天井にぶつかると思ったのに、予想した場所に天井はなく、ただぐんぐんと昇っていく。

 

『大事な精霊ひとは自分デ守るンダよ』

 

 そういわれた瞬間、勢いよく押し出され、体が水柱から飛び出した。床にたたきつけられることを覚悟して身構える。

 

 けれど目を瞑って待っても衝撃は来ない。その代わり、しばらくすると柔らかいものに倒れ込んだ。

 

 目を開けるとそこは謁見の間で、地下から帰ってきたことを知った。それを認識すると同時に、視界の下の方で銀の閃きが映った。

 

 恐る恐る視線を下げる。案の定、ベルさまが僕の体の下敷きになっていた。

 

「おかえり、雫」

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