227話 事実確認

「今後っていうと先生のこと?」

 

 潟さんは垂れた前髪を撫で付けた。本格的に調子が戻ってきたようだ。


 塩湖の端ではそえるさんが水棲馬を集めていた。かちわたさんもそこへ合流している。

 

「父のことも気にはなりますが……まぁ、放っておいても大丈夫でしょう。息子の私が言うのもおかしいですが、例え、父を倒そうと狙ったところで、返り討ちにあって終わりです」

 

 ピシッと潟さんが言い放った。ちょっと聞いた限りでは冷たい感じだ。でもそれは父親を信頼しているからこそだ。

 

 先生も潟さんの強さを信頼していたけど、潟さんはそれ以上だ。父と息子で信頼し合えているのはとても羨ましい。

 

 僕では絶対味わえないものだ。

 

「それよりも雫さまのことです」

「僕?」

 

 潟さんの言葉はちょっと予想外だった。自分を指差して聞き返す。

 

「そのお姿、すっかり凛々しくなられ……いえ、以前から素晴らしかったのですが」

 

 先生のことをあれだけ言い切ったのに、僕のことになると突然しどろもどろだ。


「あぁ、この服? 王太子の皆が色々選んでくれたんだ。そうそう、徽章も一回り大きくなったんだよ」

 

 潟さんに徽章を掲げて見せる。

 

 実は、以前の徽章とは少し異なっている。王太子になってから縁取りが上乗せされたのだ。前の徽章に縁を追加で嵌めただけなので、デザインは変わっていない。

 

 だから、違いは分かる精霊ひとにしか分からない。今まで福増川のあらうさんやそこにいるかちわたさんにも見せたけど、元々の大きさは知らないはずだ。知っているのは、王館で関わった精霊たちだけだ。

 

 潟さんもそのひとりだ。でも潟さんは徽章を見せても微妙な顔をしていた。

 

「いえ、装いではなく……その」

 

 潟さんが言葉を選んでいる。僕を傷つけないように色々考えているみたいだ。

 

 でも多分、背が低かったと言いたいのだろう。

 

「背も伸びたし、髪も後ろだけ伸びちゃってさ。切っても切ってもここだけ伸びてくるんだ」

 

 後ろを向いて潟さんに見せる。細い紐で束ねた髪を引っ張ってみた。

 

 心なしか……ここに来る前よりも更に伸びている気がする。王館を出発するときは、もっと簡単にまとめられる長さだった。

 

 今、触ってみたら背中の中程までありそうな気がする。気のせいかな。


「雫さま。覚えていらっしゃいますか? 雫さまが仲位ヴェルに昇格なさったばかりの頃……」

 

 数回瞬きをして、思考を過去に切り替える。昇格したばかりの頃と言えば、侍従に就いた時のことだ。潟さんと会ったのもその頃だった。

 

「理力余剰のため、雫さまのお気持ちひとつど理力が動くと申し上げました」

 

 そういえば、そう言われたこともあった。

 

 潟さんに嫉妬して『昇格なんかしなければ良かった』と思った。……いや、思ってしまった。そのせいでルールへの不軌ふきを感じると言われたのだ。

 

 幸い、その時は不軌ふきには当たらない程度だったけど、ルールへの不軌はルール違反に繋がる。

 

 ルール違反はベルさまへの反逆だ。考えただけでゾッとする。

 

「うん。覚えてるけど、それがどうかした?」

 

 今となっては嫌な思い出だ。でも今の僕への戒めにはなっている。

 

「恐らく、今の雫さまは理力余剰です。放っておけばお体……本体である泉が持ちません。至急、対応を考える必要があります」

「へ?」

 

 潟さんは真剣な顔をしていた。元々冗談を言う精霊ではない。でもニコニコとした穏やかな笑顔は消えている。

 

 再開して早々、こんな深刻な話になるとは思わなかった。

 

「僕、全然なんともないけど……」

 

 体調はすこぶる良好だ。王太子になってすぐよりも今の方が動きやすい。具体的に言えば疲れにくくなってきた。

 

「今はまだ影響はないでしょう。ですが、私の……この塩湖ラグーンが良い例です」

 

 潟さんが塩湖に目を向けた。広々とした塩湖は、湖だと言われなければ海だと勘違いしそうだった。

 

 さっきまで暴れていたのが嘘のようだ。平らな水面は一見すると凍っているみたいだった。


「私の意思を無視して、塩湖が動いたのは……誠に申し訳なく思っておりますが、そえるの暴言から雫さまを守ろうとして、ご自身の理力が自発的に働いたのではありませんか?」

 

 そう言われると言葉に詰まってしまう。潟さんの予想は半分合っていて、半分不正解だ。僕の理力が動いたのではなく、周りにある理力……世界の理力が動いたのだ。

 

 土の王館で起きたことはまだ話していない。それなのに潟さんには何が起こっているのか、ある程度分かってしまったみたいだ。

 

「実は……僕、世界に好かれているらしくて」

 

 自分から好かれていると言うのは相変わらず恥ずかしい。でも潟さんに包み隠さず話した。今、僕に何が起きているか。

 

 視察の間に世界との繋がりが深まって、世界が味方をしてくれるようになった。それが行き過ぎて、土の王館で土精を傷つけそうになったこと。

 

「なるほど。世界の理力が雫さまに味方していると……。昔はそういう精霊がいたと聞いたことはありますが、現実にあるのですね」 

 

 流石、元理王の子だ。理解が早い。

 

 視界の端の方で水棲馬ケルピーたちが、畔の砂をならしていた。後片付けはもう終盤だろう。

 

「それで土理王さまが地獄への紹介状を書いてくれるらしいんだ」

 

 僕がそう言うと潟さんはちょっと困った顔をした。斜め上を見て考える様子を見せている。

潟さんのこういう表情を見るのは珍しい。 


「地獄とは何です? 精霊ですか? それとも地名ですか?」

「へ?」

 

 潟さんでも知らないことがあるのか、とちょっと面食らってしまった。何でも知っている印象があったから、聞き返されたのは意外だった。

  

黄龍おうりゅうの場だって土理王さまは言ってたけど……」

「黄龍? 始祖の精霊である黄龍ですか? 亡くなっているのではないのですか? 墓でもあるのでしょうか?」

 

 潟さんから質問攻めにされる。僕だって分からない。

 

「会えるかどうかは僕次第だって、土理王さまは言ってたよ」

「そうですか。御上なら分かるかもしれませんが」

 

 ベルさまは地獄への紹介状を貰うって伝えたとき、ちょっと不愉快そうだった。あまり良い場所ではないか、すごく遠い場所なのかもしれない。

 

「雫さま。王館に戻りましょう。私もご一緒いたします」

「目は? もう良いの?」


 調子は良さそうだけど、こんな短時間で全快するものなのか。

 

「問題ありません。すぐにでも戦えます」

 

 いや、誰と戦うのか。

 

「また行っちゃうの?」

 

 少し離れたところからそえるさんが声を掛けてきた。とっくに片付けは終わっていたみたいだ。

 

 それでも僕たちの会話に入ってこなかったのは、彼女なりに遠慮していたのかもしれない。

 

「添、私の勤めです。塩湖を……」

「もう、知らないっ! 勝手にすれば良いでしょ!」

 

 添さんは僕たちに背を向けてしまった。

 

 寂しいんだろうなぁ。

 

 近くにいるかちわたさんも、オロオロしている。こういう時どうして良いか分からない。

 

「添さんも一緒に来たらどうかな?」

「「え?」」


 潟さんと添さんの声が見事にハモった。 

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