226話 主従ふたり
器用に四本の足で蹴ったり、鼻先で転がしたりしている。塩の塊を塩湖に戻したり、一ヶ所に集めたり、結構個性が出ていた。
はっきり言って添さんと馮さんは邪魔だ。
でも相手をするのは面倒だ。放っておこう。
「ところで
「……元気、とは?」
潟さんの視線が飛んできた。目頭を押さえていた手が宙に浮いている。
「父は登城していないのですか?」
潟さんの手は不自然な形で固まってしまった。必要以上に瞬きを繰り返している。
「登城して……ないよ。腰を痛めて、海に帰るって言って、それから潟さんだって看病に行ったでしょ?」
桀さんが木太子になった時のことだ。桀さんの就任に箔をつけるため、先々代水理王である先生の出番になった。でも水やりで張り切りすぎて、先生は腰を痛めてしまった。
先生は海に帰って、数日で戻ると言っていた。なのに七日経っても戻ってこなかったのだ。完治に半月ほどかかるというので、潟さんも付き添うために王館から離れて行った。
それから垚さんと市へ行って、
潟さんに話したいことがたくさんある。
でも今はその話をしている場合ではない。
「父は予定通り、半月で回復致しました。まとまった休息を取れたことで、寧ろ以前より元気でしたよ?」
どういうことだ?
「父が回復したので一緒に王館へ戻ろうとしたのです。しかし、父から塩湖周辺を見てから帰るように言われました。その際、父は先に王館へ戻ると申しておりましたが……登城していないとは」
先生はあれから一度も来ていない。僕が王太子になって、すでに三ヶ月あまり経過している。先生がいなくなったのは更にその前だ。
「まさか……反王太子派に襲われた、とか?」
嫌な汗が背中を流れていく。
先生に限ってそんなことはないと思う。僕でも倒せたのだから、先生の相手ではないはず。
「それはないでしょう。父は
なるほど。先生の強さの一因はそれもあるのか。全盛期よりは力が劣るとは言っても、自分の本体に他の要素も絡んでいる。
木精との関わりは詳しく分からないけど、それなら簡単に倒されることはないだろう。並みの
「じゃあ、どうして……」
「またサボり癖が出たのでしょうか」
最近は油を売ることはほとんどなかった。思い出せるのは、先代木理王さまが少し回復した頃、札遊びに行ってしまった時くらいだ。
でもあれは、寿命が近い先代木理王さまの気を紛らわせるためだった、と今なら思う。
「サボり……ではないと思う」
「雫さま?」
先生のことで潟さんの予想を否定したのは初めてかもしれない。
「御上が言ってたんだ。僕の立太子の儀を楽しみにしてたって」
自分で言うのは
「そうですか。立太子の儀まで欠席するとは……余程のことがあったのか、それとも何か思惑があるのかも知れません」
「思惑って?」
僕がそう聞いたとき、
「雫さまを陥れようという動きは前々からあったのです。父はそれを未然に防ごうとしていました」
僕の知らないところで、不穏な動きがあったらしい。恨みを買うのは分かる。低位の時から王館に上がっているというだけで、十分不満は溜まるはずだ。
「しかし御上は、抑えつけたところで、次の反発が起きるから無意味だと仰せでした。小さな不満を燻らせるよりも、一度爆発させた方がその後が収まるというお考えだったようです。雫さまなら自分で対処できる、と」
ベルさまのからの信頼が大きい。
恥ずかしいような、嬉しいようなムズムズがする。
馬の
「雫さま。私は父に言われた通り少しだけ見回って、すぐに帰館するつもりでした。しかし……」
「反王太子派に襲われたんですね?」
潟さんと視線がぶつかった。もしかしたら少しずつ見えてきているのかも知れない。
濁りが薄くなった瞳は何故か小刻みに揺れていた。
「襲われた……というのは
それは平和的な話し合いだと理解して良いのだろうか。何だか物騒な単語が聞こえた。
僕の疑惑の視線に気づいた潟さんが、慌てたように手を横に振った。
「
「塩を持っていかれたってこと?」
潟さんは黙って頷いた。
ベルさまの読み通り、海豹人を助けに行っていたらしい。でも成功したとはいえ、潟さんほどの実力者に奇襲を仕掛けるのは無謀だと思う。
「水を抜かれたり、
潟さんがキョロキョロし始めた。ゆっくり瞬きを繰り返して感覚を確かめている。
「戦いの最中、気づいときには視界が狭まっており、不利な状況に立たされました。
馮さんは
それにしても戦闘中に目が見えなくなるのは、かなりの恐怖だ。しかも相手は一人ではないだろう。
いつもの潟さんなら
「僕のせいで潟さんまで、こんな目に会わせて、ホントにごめん」
僕はただベルさまの役に立ちたかっただけだ。そのために王太子なんて不相応な地位にいる。
でもそのせいで親しい精霊を傷つけることになるなんて思っていなかった。
「雫さまのせいではありません。身の程を弁えない外道のせいです。お気遣いは感謝しますが、これ以上の謝罪は私への愚弄ですよ。私は自分の意思で雫さまに従うと決めたのです」
潟さんがめずらしくキツい口調になった。何だか怒られているみたいだ。
「……潟さんはどうして僕に付いてくれたの?」
僕は当時、侍従になったばかりの仲位だった。かたや、潟さんは生まれながらの
初めて会った日、潟さんはいきなり僕に忠誠を誓うと言ってきた。その言葉に偽りはないだろうけど、理由が分からない。
「雫さまが理王になる方だと分かったからです。そしていずれ父や御上を超えるかもしれないと」
潟さんが目を細めた。完全に僕の姿を捕らえている。瞳に濁りはなく、澄みきった青い色が見えた。
「そんな買い被りすぎです。大袈裟ですよ」
お世辞が過ぎる。
僕がベルさまを超えることなんて有り得ない。
あんなに強くて、格好良くて、賢くて、優しくて、綺麗な
「雫さまの護衛の話を頂いたとき、正直乗り気ではありませんでした。
潟さんと添さんは新婚さんだったのか。何だか申し訳ないことをしてしまった。添さんが怒るのも当然だ。
その添さんは一頭の
「『断っても良い。会ってから決めよ』と言う父の言葉を受けて、雫さまにお会いし、即座に従おうと決めました」
「どうして……?」
自分の喉から出た声は思ったよりも掠れていた。潟さんはそれには答えず、ただ笑っただけだった。
「雫さま。目がかなり回復しました。今後の話をしても宜しいですか?」
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