213話 沾北海での名付け
「オー、淼サマネー。ごきげんヨー!」
仔どもを撫で回していると、岩の上から影が射した。
「貴方が
「そーヨー」
ドスンッと巨体が飛び降りてきた。辺りの砂を舞い上がらせる。一瞬、体が浮き上がった気さえする。
地を這う体勢でも僕より大きい。自然と見上げる形になった。
のし掛かられたらたまったものではい。瞳は大きく愛くるしいけど、黒光りした体は対峙した者に威圧感を与えるだろう。
「よぅこそヨー」
片言だけど通じる。会話が成り立つのはありがたい。流石、長だ。他の海豹人は話すことが出来ないみたいだから、意思疏通ができて良かった。
「出迎えありがとう。昨日、贈り物も届いたので、受け取らせてもらったよ」
「イェー、ウチの
ちょっと調子の狂うアクセントが個性的だ。単語だけで話す
「聞きにくいんだけど、この前預けた元・
「………………オー、あれネー。元気ヨー?」
たっぷり間を空けて長は口角を上げた。自然と髭が持ち上がる。にやりという効果音が似合いそうだ。
加工品を含めて皮は全て返した。魄失にされてしまった
でも、仲間を襲った精霊のことを許しはしないだろう。
「げ、元気なんだよね?」
煮ようが蒸そうが構わないけど、
「元気元気ヨー。群れが増える、良いことネー」
一頭でも増えるなら良いってこと?
心が広い。
「貴方たちを襲った奴だけど、その辺りは大丈夫?」
長が前足をサッと上げた。ついで勢いよく鼻から息を吐き出した。どうやら笑っているらしい。前髪が揺らされるのを感じた。
長が前足を上げた。
上げたまま止まっているので、何かを指し示しているようだ。
前足の先を見ると、遠くの浜辺に茶黒の塊が蠢いていた。巨石にも見えるけど、モゾモゾしている。
「
「あぁー……」
新参者は、まずは子どもをたくさん作れ、ということらしい。
「群れが、増えるヨー。
「あぁ、なるほど」
個体数が増えれば領域を守りやすいということか。
浜辺では海豹人の
思わず仔どもの目を塞いだ。どうしたの、と言わんばかりにキューと鳴いている。
どれが元・激なのか、はっきりとは確認はできなかった。まぁ、でもちゃんと生きているなら良い。
彼にとって一夫多妻が罰になるか、もしかしたら幸福なのかは定かではない。でも群れを傷つけた者が、群れの役に立つならそれはそれで構わない。
「それは貴方に任せるよ。くれぐれも殺したり、消したりしないように」
海豹人として寿命を全うせよ、というベルさまの命令だ。途中で死ぬのも、一時的に消えるのも駄目だ。
「お任せヨー」
了承と同時に前足をペシッと持ち上げる。足下で仔どもが真似をしている。
「じゃあ、僕はこの辺で」
足から仔どもを引き離す。一旦両手で抱っこして、長の隣に置いた。
踵を返すとすぐ足に違和感を覚えた。仔どもがまた僕の足下まで戻ってきていた。
うーん、可愛い。……可愛いんだけど。
「駄目だよ。皆の所に戻って」
仔どもを抱えて群れの方を向かせた。
何で? と言わんばかりに首を捻ってこっちを見ている。
「淼サマ、懐いたネー」
長に笑われてしまった。戻ってこようとする仔どもの頭に手を置いて、膝をつく。
「早く大きくなって、群れを守るんだよ。領域が永く続くように」
そう言った瞬間、仔どもの体から淡い光が漏れだした。皮が剥げたのかと思い、慌てていると、光が広がって徐々に輪郭が分からなくなってきた。
「オーッ……?」
長が微妙な声を上げた。周りの海豹人たちも騒ぎ立てている。
「淼サマ、ウチの仔に、名前付けたネー」
「えぇ!? そんなことした覚えはない……んですけど」
ギョロッと大きな大きな目がこっちを向いた。何故か敬語になってしまう。
「人型ヨー」
仔どもが寝そべっていた場所に、子どもが立っていた。茶色の癖っ毛がふわふわとしている。
「淼サマ! 遊ぼう!」
「わっわ」
子どもに腕を引っ張られて、不覚にもバランスを崩す。
「き、君は……?」
「
まさか。さっきの
ーー領域が
あれだけで!?
何かズルくない!?
何に対してズルいのかは不明だ。でもこの腑に落ちない感じはなんだ。
「淼サマー! 沸ちゃんと遊ぼう!」
沸ちゃんのことも覚えているとは更に驚きだ。余程楽しかったのかな。
「ごめんね。僕も沸ちゃんもお仕事があって、遊べないんだ」
やんわりと腕を外す。泣きそうな顔をされた。茶色い大きな瞳がうるうると湿っている。
とてつもなく悪いことをしている気持ちになってきた。
「
長が僕から永を引き離した。
もしかしたら、一族に名前を勝手につけられて怒っているかもしれない。
「あ、あの申し訳ない。意図せず名を付けてしまって」
「問題ないネー。前例あるネー。この子、いずれ
前例があるのか。名前も昇格も必要ないっていう
「次の代は淼サマの配下になるネー。よろしくネー」
「はい? いや、僕はそんなつもりじゃ……」
名前を付けてしまったのも無意識だし、ましてや配下が欲しくてしたわけでもない。
誤解を解こうとすると、他の海豹人たちが騒ぎ始めた。警告とは違う鳴き方だ。長は群れを一瞥しただけで、鳴き声は放置した。
「次の代が来たら、淼サマのために戦うネー」
「ど、どういうこと?」
「
駆けつけると言われ、一瞬、突進してくる海豹の集団を想像してしまった。一帯を埋め尽くす海豹……かなり怖い。
「私じゃないヨー? 次代の話ヨー?」
「良いの? もし、嫌なら名前を取り消して貰えるよう御上に頼んでみるよ?」
名を付けることは出来ても、僕自身で取り消すことはできない。それは理王でなければどうしようもない。
意に沿わないなら申し訳ない。
「
「あ痛っ!」
何しろ前足だけで永の背丈を越えているのだから。
永自身が名を望んだのであれば、今回は取り消さなくて良さそうだ。
海豹人の群れに別れを告げて、その場を後にした。まだ行かなくてはならない所がある。
しかし、こんなにあっさり名前が付けられてしまうとは……。今後、気を付けないと大変なことになりそうだ。
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