212話 木精からの贈り物
「雫さま。こちらは御上には届いていないと思いますがどう致しましょう」
「どれ?」
大きな笹の葉だ。
「笹……
「はい、木精の仲位・等どのからです」
等さんなら開けてもいいだろう。汢に笹の包みを解いてもらう。笹の青い香りがふわりと広がる。
「こちらは菓子ですね。それからこれは……なんでしょう? 棒にも見えますが筆記具か、
「それは、
竹製の笄だ。手を伸ばして汢から受けとる。細かい装飾が見事だ。母上に贈った櫛も見事な彫り物だったけど、これはそれの上を行く。
以前、使っていたのは七竈の笄だったけど、あれは借り物だった。あれは火に弱かった僕を守るために、火理王さまと先代木理王さまが作ってくれたものだ。
七竈の笄が僕を守る役目を終えて、今は花茨城の芳伯を守っている。
何故、今、等さんから笄が贈られてくるのか、分からない。
「あ、雫さま。手紙が入ってます。代読いたしましょうか?」
「いや、いいよ。自分で読むから貸して」
手紙という割には紙ではなく、巻き
時節の挨拶と形式ばったご機嫌伺いは飛ばし読みだ。面倒くさい。
「何と書いてあるんですか?」
「前に市で等さんと会ったときに、僕が笄を持っていないのに気づいたみたいだ」
本当によく見ている。普通はそんなに細かいところは見ないだろう。
ベルさまの水晶刀や僕の玉鋼之剣は目を惹く。けど、それに付ける笄まで見ている
「それで王太子就任の祝いとして竹伯に依頼してくれたらしい」
「今頃ですか? 雫さまが王太子の就任なさってから何ヵ月も経っていますが……」
泥が警戒している。まぁ、これだけ胡散臭い贈り物に囲まれたら疑いたくなる気持ちも分かる。
「ここに書いてあるけど、笄はただでさえ作るのに二ヶ月かかるみたいだよ。そこへ
「そうですか。失礼しました」
竹伯は今、木精の重臣になっていたはずだ。そんな精霊に竹細工を作らせている場合ではない。
「どうなさいます? お納めになりますか?」
「そうだね。竹伯の傑作を無駄には出来ないし、等さんは野心のない精霊だから貰っておこうか」
何ヵ月もかけた品を送り返すのは失礼だ。
立て掛けてあった玉鋼之剣に這わせてみる。窪みにぴったり入るのはどうしてだろう。まるで測ったかのような収まり具合だ。
「しかし何故、木精が水太子に贈り物を送ってくるのでしょう」
泥の疑問は正しい。僕も分からない。親しくさせて貰ったと言っても、元は売買から始まった関係だ。
「さぁ……なんでだろうね。
「はい、かしこまりました。ご用件は?」
泥が
一方、汢はもうひとつの笹の包みを開けている。お菓子って書いてあるらしいから、中身を確認しているのだろう。
僕には理解できない範囲で、細かな役割分担が為されているらしい。
「僕から竹伯へ『手間をお掛けした』と伝えて欲しい」
桀さんが知っていれば問題ない。けど、知らないところで木精の重臣と水太子のやり取りがあったら面白くないだろう。
桀さんを通すのは、隠し事はするつもりはない、と意思表示するためでもある。
等さんは低位精霊だから直接王館との関わりはない。だから直接お礼を言っても問題ないだろう。
「承りました。では行って参ります」
泥が出ていくと、汢が菓子の包みを持ってきた。笹の香りが広がっている。開かれた笹の中でプルプルした物体が震えていた。
「雫さま。
……蓮根から離れられないらしい。
◇◆◇◆
「ではベルさま、行って参ります」
「あぁ、いってらっしゃい。本当に
ベルさまが移動を心配してくれる。
「えぇ、恐らく」
今なら
「あの子は元気でしょうか」
そわそわしながらそう言ったのは
本当は
「帰ってきたら近況を伝えるよ」
海豹人の子は王館で数日預かっていた。その間世話をしていたのはこの二人だ。
どの群れの所属か判明して、いざ帰すとなったとき、親子の別れかと思うような場面を見せてくれた。
それだけ二人が大切に扱っていたということだ。海豹人も懐いていたようだけど、多分、余程のことがない限り、会うことはないだろう。
ある意味では今生の別れだったかもしれない。
「顔つきが変わったね。良い傾向だ」
「ベルさま。からかわないでください」
窓枠に足をかけた。ここから出るのが癖になってしまった。
風が壁を伝って上がってくる。髪がくすぐったい。何度短くしても頭の後ろだけ伸びてしまう。切っても次の日には肩まで伸びているのが不思議だ。自分の体なのに理解できない。
細い紐で軽く髪をまとめる。
「ベルさま。二人のこと、お願いします」
「分かってるよ」
ベルさまに泥と汢を託して、窓から飛び降りた。
……はずだったんだけど、一歩踏み出そうとした足を雲が受け止めた。
雲の方から迎えに来てくれたらしい。これは初めてだ。心なしか乗り心地も良いような……流石に気のせいかな。
しかも、雲が全身を包んでいく。前が見えないどころか、すっぽりと覆われてしまった。
「
雲はいきなり高速で発進した。体が後ろに倒れる。耳の奥がキーンと鳴った。
潟さんが昔、雲の匣船を用意してくれたことがあった。それに似ている。外から見れば普通の雲だ。体が剥き出しのときよりは、狙われる確率は低いだろう。
「ぶっ!」
今度は前に倒れた。どうやら雲が止まったようだ。この雲は乗り心地は良いけど、急発進急停止はやめて欲しい。
雲に受け止められるから顔を打っても痛くない。けど、むち打ちになりそうだ。
足に固いものが触れた。
手を払って雲に避けるよう指示する。霧が晴れるように雲が下がると、足下は岩だった。
砂浜の上に斜めに立つ岩。その先端に僕は立っていた。足場の悪い砂の上よりも沈まない石の上を選んで僕を下ろしたようだ。こういうところは優秀だ。
「さてと、
住む場を提供される代わりに、
岩の上に立って海を眺める。
それらしき影は見えない。この時間は浜に上がっているはずなんだけど。
辺りを見回していると鼻に磯臭さが入ってきた。グォーともキューとも表し難い鳴き声が、意外にもすぐ近くで聞こえた。
岩の下を覗き込む。
「おっと、失礼」
岩の下の影で海豹の群れが体を休めていた。警戒するような鳴き声が数回上がる。
「あー……長はどちらに?」
岩の下に降りた。
一番近くの海豹から牙を見せて威嚇してきた。話が通じない。どうしたものか。
しばらく悩んでいると、海豹が一斉に岩の奥を見ていた。ペッタペッタという小さい音が聞こえる。
モゾモゾと群れが動き道が開く。奥から一頭の子どもが這い出てきた。
「あっ! 君は……元気だった?」
王館で預かった子どもの
名前がない者は意思をしっかり持てないから、記憶も曖昧だ。それなのにこの子は僕のことを認識したらしい。
目線を合わせるために屈みこむ。僕の足まですり寄ってきて、大きな目で見上げてきた。
……駄目だ。可愛い。泥と汢が手離したくなかった気持ちが分かる。
その頃には海豹の威嚇は止まっていた。
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