八章 深々覚醒編

211話 水太子と侍従たち

 暖かい。


 ポカポカという表現が似合う部屋だ。以前の僕だったら眠くなっていただろう。こういうときは睡眠を欲しないことは実に都合が良い。


 一方、温室のような私室の陽気と比べて、外では冷たそうな風が吹いている。役目を終えた木の葉が数枚飛んでいくのが見えた。


 ガタガタと窓が少し震えている。決して立てつけが悪いわけではない。風が強すぎるのだ。


「風向きが変わりましたね。少しずつ寒くなるでしょう」


 ぬりが僕に温かいお茶を出してきた。外は寒そうなんだけど、僕としては出来れば冷たいものが良かった。


 でも僕を気遣っていることには違いない。我慢して温かいお茶を手に取った。


 二人がここに来て三ヶ月ほど経った。普段の掃除や僕の支度など全く問題ない。格段に仕事の速度も上がっている。


 二人には教えてくれる先輩がいない。僕が教えても良いのだけど、同じ立場ではないからなかなかそうもいかない。

 

 だから二人ともよくやっていると思う。


「雫さま。宜しければお召し上がりください」

「ありがとう」


 ぬたが茶菓子を持ってきた。


 二人が下がったのを確認して、こっそりお茶を冷やす。最初は氷を入れようかと思ったけど、音でバレてしまう。二人を傷つけそうだから止めておいた。


 ぬたが持ってきた菓子に手を伸ばす。揚げた蓮根に砂糖を振ってあるようだ。


「あれ、ぬた?」

「はい、ただいま」


 奥から汢が走ってきた。そんなに慌てなくても良いのに。


「この蓮根ってあらいさんが送ってくれた物と違うよね?」


 花茨はないばら地方では蓮根が良く取れるそうだ。城の近くの沼には蓮根の精が多く住んでいると言う。


 先日、城の様子を見に行ったら、蓮根の精たちから大量の蓮根を持たされたそうだ。


 肩が潰れるかと思ったと桀さんが言っていた。力持ちの桀さんをして重いと言わしめるってどんな量だったのか、想像もつかない。


「あ、はい! よくお気づきになられましたね!」

「うん、何か味が違う気がする」


 どっちも美味しいけど、微妙に異なる。味付けがどうのと言う以前に、蓮根そのものの味が違うようだ。


「先日、木太子から頂いた蓮根は使いきりまして、これは私の故郷、徳乃島とくのしまから取り寄せたのです。雫さまが蓮根をお好きそうでしたので」


 桀さんから貰った蓮根を消費するためにせっせと食べていただけで、特別好きと言うわけではない。それを勘違いしたのだろう。


 いや、別に嫌いではないし、好きかと聞かれたら好きなんだけど……うん、その、何だ。


「……うん、ありがとう」


 飽きたとは言えない。


 幸い汢が色々な菓子に加工して出してくれる。もう少し蓮根祭りが続きそうだ。


「はい! たくさんあるのでお好きなだけ召し上がってくださいね!」


 食事をしないから消費量自体は大したことないんだけど……もうこれは二人に任せよう。一旦、蓮根のことを忘れたい。


「いや、悪いけど。僕、明日から出掛けるから二人で食べて」

「えっ!?」


 いや、そんなこの世の終わりみたいな顔しないで。僕が悪いことしているみたいな気分になる。


「北の海へ行ってくるよ。その後、続けて海豹人セルキーの領域を回ってくるからちょっと忙しくなるよ」

「あ……そうでした。申し訳ありません」


 汢がしゅんと項垂れてしまった。明確な日付ではなく、近々としか言っていなかったかもしれない。そんなに落ち込まなくても責めてるつもりはないんだけど、言い方がキツかったかな。


「視察が一巡なさったと聞いたので、てっきりしばらくは王館にいらっしゃるかと……」

「まぁね。視察は終わったけど、そんなにのんびりは出来ないよ」

 

 水精の皆が安心して暮らせるように気を配らなくてはならない。それに水精が穏やかに暮らしていれば、ベルさまの負担が減る。


 ぬりが奥から出てきた。相棒がなかなか戻ってこないから心配して出てきたのかもしれない。


 そう思ってふと泥を見たら、大量の箱を抱えていた。天井まで届きそうだ。

 

「雫さま。また献上品が届きましたがどう致しましょう」

 

 泥の細身の体から意外な怪力が出てきたことが不思議だった。


「今度は誰から?」


 激の事件以来、急に贈り物が届くようになった。これが何を意味するのか、経験の浅い僕でも分かる。


「えーっと……」

「御上には届いてる?」


 泥の言葉を遮って矢継ぎ早に尋ねる。全部聞いていたら昼になりそうだ。


沾北海せんぽくかいからは届いておりました。他は……申し訳ありませんが、存じあげません。いくつはあったと思いますが」


 僕の侍従だからベルさまのことを把握していないのは当然だ。


 ベルさまからも気を付けるように言われている。品を受けとるということは忠誠心を受けとるということに繋がる。


 本当に忠誠心を持っているなら良い。けど、僕に守ってもらおうとか、目をかけてもらおうとか、はたまた侍従にしてもらおうとか、下心がある場合は最悪だ。


 ベルさまに贈られていなくて、僕だけに贈ってきたというだけで下心が丸見えだった。


「沾北海の分は受け取るよ。あの海豹人セルキーの子の出身地だからね。明日、見に行く予定だったから」

「あぁ、では賄賂ではなく礼品ですね」


 そう言ったのはぬただ。さっきの落ち込みから立ち直っている。賄賂と言い捨てたのは見事だ。


「他はどう致しましょう? 御上の方も確認致しますか?」

「そうだね。でも御上に届いていたとしても、激絡みの物は絶対受け取らないようにして」

「心得ております」


 激は火理王さまから厳重注意の警告を受けた上で、ベルさまに回された。


 火理王さまがベルさまに遠慮した結果だ。警告なんてあってないような処分だ。だからベルさまの好きにして良いという意味だった。


 それを受けて、ベルさまは予定通りはげしから九代湖を没収し、激の遠縁で野心のなさそうな者を選んで引き継がせた。流石に元理王の管理地をそっくり廃してしまうのは歴史的に汚点になると判断したようだ。


 ベルさまは更に激の名を取り上げ、海豹人セルキーの皮を下賜した。激が奪った皮ではなく、王館で保管されていたものだ。


 ベルさまは激が海豹人の皮を被って化けたことを承知だ。それを踏まえて名もない海豹人セルキーとして残りの寿命を全うしろと言うことらしい。


 勿論、激は苦々しそうだったけど、名を奪われれば記憶もなくなってしまう。最初から自分が海豹人だったとしか思わないだろう。

 

 皮が取れてしまうと魄失になってしまうので、うっかり剥がれないように死ぬまで皮を脱げないという制限もつけられた。 


 面白いって言ったら不謹慎だけど、海豹人を襲っていた激が海豹人にされるとは思っていなかっただろう。


 ちなみに海豹人の群れで受け入れてもらえるかどうかは…………僕の知ったことではない。

 

 焱さんにそう言ったら、驚きと不機嫌が混ざったような顔をされた。その上で、水理皇上に似てきたな、と非常に嬉しい一言をくれた。

 

 焱さんからは誉めてねぇと言われた。でもベルさまに似ているなんて言われたら嬉しくて小躍りしそうだ。 


ぬた、激関連の者のリストを取ってくれる?」


 泥がすでに筆記具と紙を手に取っている。送り主のメモを取るつもりなんだろう。


 泥と汢が仲良く品定めを始めた。


 多分、ほとんどが激の関係者からの物だろう。でも、今手川や福井戸から訪問の礼という名目で献上品が届いたこともある。

 

 福井戸からは黒曜石の装飾品が、今手川は魚がそれぞれ届いた。今手川は娘の無礼を詫びる手紙も入っていた。

 

 あの後、やはり激は今手川に乗り込んだらしい。娘が質にとられたと言っても耳を貸さず、海豹人セルキーの皮を被せられそうになったそうだ。

 

 そこへ漕さんがすみさんを送っていったものだから、皆、捨て台詞を置いて今手川に近づかなくなったらしい。

 

 ただ、娘も水太子を好いているので質になれば僕の目に止まるかも、と僅かな思惑もあったと書いてあった。正直なのは良いけど少し正直すぎる。


 それから、雨伯や母上からは新しい服が届いた。寒くなるからと気を使って送ってくれたのだろう。母上からは里帰りをチクリチクリと促す手紙が添えてあった。

 

 なるべく早い内に一旦帰ろう。

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