214話 流れる茘枝

 沾北海から南へ雲を走らせる。南下しているはずなのに、一向に気温が上がらない。

 

 恐らく上空の冷たい空気のせいだろう。手がかじかんでいた。寒いとは思わない。でもこのままでは体が冷えきってしまう。

 

 この辺りで一度休憩を取った方が良さそうだ。

 

 帰る頃には風邪をひいているかもしれない。泥と汢に小言を浴びる自分を想像してしまった。あと、どっちが看病するか言い合っている姿も浮かんできた。

 

 下降すると途端に背中が暖かくなってきた。太陽の光が背に落ちているのだろう。

 

 どこか休めるところはないかと探してみる。ゴロゴロした岩が並んでいる。山の中腹のようだ。

 

 山はほとんど土精の領域だ。平野まで出た方が良いだろう。土精でも別に休憩くらい取らせてもらえるとは思う。けど、ぎょうさんの知らないところで土精と繋がりを持つのは避けたい。

 

 出来れば小川か泉か、水精の場所で休ませてもらいたい。


 徐々に岩が少なくなって、小川が太くなってきた。緩くカーブした所は少し浅くなっているようだ。砂利が見え隠れしていた。

 

 あそこで休ませてもらおう。

 

 雲を下ろして砂利の上に足を乗せた。砂利の隙間を川の水が行ったり来たりしている。

 

「失礼。誰かいるかな?」

 

 川の精霊がいるはずだ。一応、声をかけておこう。

 

 これくらいの川だと、叔位カール季位ディルと言ったところだろう。それに直接視察に来ていないから低位精霊なのは間違いない。

 

「はいはーい! お客さん?」


 水面が泡立って精霊が飛び出してきた。明るく短い金髪が水を弾いている。水精に多い青い目は大きくて宝石みたいだ。


 小柄な体で川の上を走ってきた。女の子って言ったら良いのか。女性って言ったら良いのか微妙な容姿だ。

 

「いらっしゃーい! 何か用?」

 

 満面の笑みを近づけてきた。明るい登場にこちらも笑顔になってしまう。

 

「あ、どうも。お邪魔してます」

 

 つい敬語になってしまった。

 丁寧な話し方が悪いとは思わない。でも威厳がないと焱さんとベルさまから注意されている。

 

「ここで少し休ませてもらっても良いかな?」

「なになに、疲れちゃったの? 勿論、良いよ! 今、お茶入れてくるね!」

 

 そう捲し立てると川の中へ飛び込んでいった。小さな体からは想像できないほど、大きな飛沫を立てていった。

 

 こういう反応をされたのは久しぶりだ。まるで他人を疑わないような純粋な反応だった。

 

 最近、視察で無視されたり、襲われたり、色々あったから、ちょっと癒される。心が洗われるような錯覚に陥った。

 

 でも逆に心配になってきた。僕が悪い精霊だったらどうするんだろう。騙して入り込もうとしたり、水を奪おうとしたり……。

 

「はいはーい! お待たせー、お茶だよー!」


 精霊が飛び魚のように跳ねた。その勢いのまま胸にトンッとお盆を当てられる。

 

 その動きでよくこぼさなかったなと感心してしまう。お茶と言いつつ出てきたのは冷たい果実汁ジュースだった。

 

 朝夕冷え込むこの季節に冷たい果実汁ジュース。しかも氷が入っていてキンキンに冷えている。

 

 体を冷やさないために休憩を取ったのに……。いや、折角の好意だ。ここで受け取らなくては高位精霊の名折れだ。

 

 結露したグラスを手に取った。


「いただきます」

「どうぞー! ねぇ、どっから来たの?」

 

 どうぞと言いながら僕の袖を引っ張る。グラスが揺れて飲めない。

 

沾北海せんぽくかいからだよ」

「それは疲れもするわ! 沾北海なんてずーっと北の方じゃない! ここまで何日かかったの?」


 質問されるのは構わない。でもその度に僕の袖を掴んでグイグイ引っ張るのは止めて欲しい。腕がぶれて今度はグラスに歯をぶつけた。

 

「まだ一日目って言うか……」

「えっ! なになに。何でそんなに速いの? どこかに隠し水路とかあるわけ!?」

「あ、あぁそれは、水路じゃなくて空路を使ったからだよ」

 

 ふーんとどこか納得いかないような顔している。空路と言えば雲なんだけど、通じなかったかもしれない。

 

「でも沾北海って言えば海豹人セルキーの領域だよね? 君、海豹人セルキーなの?」

 

 僕を上から下まで見ながら首をかしげている。悩んでいたのは空路の話ではなくて、そっちだったみたいだ。

 

「いや、僕は海豹人セルキーじゃないよ。海豹人に会いに行ってただけ」

「ふーん? 海豹人に会いに行くなんて変わってるねー」

 

 まぁ、普通はそうだろう。

 普通は海豹人セルキーの領域に入った時点で攻撃される。好き好んで襲われに行く精霊はいない。

 

 僕を見る目が、完全に変な奴を見る目に変わっていた。変人のレッテルを貼られそうだ。 

 

「こ、これ美味しいね。茘枝ライチかな?」

 

 話題を変えるべく、飲みかけのグラスを傾げた。精霊の顔がパッと明るくなる。

 

「でしょでしょ! お客さん来たとき用の特別なヤツなの! 大事に取っておいたんだから!」

 

 表情がコロコロ変わる。嬉しそうにしていたかと思えば、自信満々の顔をしている。こういうのドヤ顔って言うんだっけ……。


「そんな大事なもの飲んじゃって良いの?」

 

 突然訪ねたのにも関わらず、歓迎してもらえるのは嬉しい。でも嬉しいのと同時に大事なものを飲んでしまったという申し訳なさが込み上げる。


「いいの、いいの。滅多にお客さん来ないし」 

「そっか。ありがとう」

 

 ここはそこまで山奥というわけでもない。でも、あまり他人が来ないのか。辺りは草が風になびき、少し涼しさを感じる。

 

「その茘枝ライチね。時々流れてくるの!」

「実が? そんなにたくさん流れてくるの?」

 

 果実汁ジュースにするには量がそれなりに必要だ。勿論、木が近くにあればひとつふたつなら落下することもあるだろう。けど、そんなに大量に流れてくるものだろうか。

 

「一日か、二日おきくらいに一個ずつくらいかな? 上流に木があるんじゃない? そっちは別の水精だから行けないけど」

「ふーん……」

 

 何か気になる。

 ほぼ毎日一個ずつ。誰かが意図的にやっているのか。

 

「あとね。必ず無患子むくろじの葉っぱに包んであるの! 誰かの願掛けかな?」

 

 もっと気になる。

 木精のことだから、あまり首を突っ込むのは良くないけど……。

 

「願掛けなら流してあげた方が良いんじゃないかな」

 

 誰かが願いを込めて流したものを、途中で拾ってしまうのは気が引ける。ちょっと注意する意を込めてみたら、川の精霊は真っ赤な顔をして怒り出した。

 

 本当に表情がコロコロと良く変わる。見ていて飽きない。

 

「そんなこと分かってるよ! だけど、この先は流れが緩くて、しかも細くなるから必ず詰まるの。そこで腐っちゃうから私も困るの!」

 

 水精に関わる問題が出てきた。

 

「困るんだね?」

「え?」

茘枝ライチが詰まって腐るから困るんだよね?」

「え、う、うん。まぁ。だからその前に回収するんだけど……美味しいし」

 

 最後の言葉は聞かなかったことにしよう。いや、実際美味しかったけど。

 

 水精に関わる問題なら僕が関わっても大丈夫だ。この後も他の海豹人の所へ行く予定だったけど、ちょっと変更だ。

 

「ごちそうさま。ちょっと上流を見てくるね」

 

 グラスを返して、腰かけた砂利から立ち上がる。服を叩いて腰についた砂を払った。

 

「え? いや、やめといた方が良いよ? 上流の精霊は叔位カールで、いつも季位ディルの私に突っかかってくるんだから!」

 

 この子は季位ディルだったのか。確かに途中で詰まってしまうほど細い川なら納得だ。

 

「…………へえ。じゃあ、ついでに注意してくるね。休ませてくれてありがとう。君の名前は?」

「注意? 私は福増川ふくましかわあらうよ」

 

 あらうさんか。後でどの高位の傘下に入っているか調べておこう。

 

「僕は涙湧泉るいゆうせんの雫。果実汁ジュースありがとね」

 

 王太子とは言わない方が良いだろう。低位精霊が理王や王太子と関わることはほとんどない。

 

 だから装いだけでは分からないはずだ。実際、今までの一緒に話していた時間で気づいていない。驚かせてしまうなら、その方がいいの。

 

「………………………………雫?」

 

 洗さんはたっぷりゆっくり瞬きを三回した。そして、目を見開いたまま背後から川へ落ちた。

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