194話 水太子と土太子

「じゃあ、媛ヶ浦に高位精霊はいないんですか?」

 

 高位精霊がいないなんて、そんなこと有り得ない。叔位も季位も管理する本体はある。けど、あくまでも高位精霊の傘下であって、高位精霊に保護されている。

 

 低位精霊が自分の力だけで生きていくのは難しい。花茨はないばら城にいたあらいさんが良い例だ。

 

 主であるかんば伯が休眠状態で、当時の桀さんは低位だった。その身柄をどう扱うか、王太子だった木理王さまが頭を悩ませていた。 

 

「そうね。ここは水理皇上の直轄……は言いすぎだけど、それに近いものはあるわ。低位だけでも何とか生きていけるんでしょうね」

 

 水理王の直轄地……そんなことベルさまは一言も言っていなかった。事前に調べたけど、そんな情報はひとつもない。

 

「だからって……名持ちがいないなんて」


 どうも腑に落ちない。もしかしたら記録に残っていない何かが……僕の知らない何かがあるのかもしれない。

 

「うーん、雫ちゃんも知りたがりね。感心感心。良いわよ、もうこの際だから情報提供してあげるわ」

 

 僕の足をつつく魚たちから逃れる。悪気はないだろうけど、くすぐったい。水から上がって足を乾かした。

 

「この精霊たちは、皆名前を没収されたのよ。水理皇上にね」

 

 名前の没収はかなり重い罰だ。注意や謹慎、降格など罰は色々ある。その中でもっとも重いと言って良いだろう。

 

「一体何をしたんですか? 流没闘争に関係してるんですか?」

 

 僕がそう言うと垚さんは、おや? というように眉を跳ねさせた。

 

「んー? どこまで知ってるのかしら。水理皇上から後で怒られるの、やーよ」

 

 垚さんは本当に困っていそうだ。少し落ち着きがない。耳飾りが不規則に揺れている。


「先代さまが弱かったことに関係してるんですか?」

「ちょちょちょちょちょちょっとやめて! 不遜よ!」

 

 垚さんが両手で僕の口を塞いだ。

 

 しまった。

 霓さんから聞いたことをそのまま口にしてしまった。垚さんが言うように、先代理王に対して不敬な発言だった。

 

 僕が黙ったので垚さんは手を外してくれた。

 

「何てこと言うのよ。心臓に悪いわ」

「すみません。つい……」

 

 水面で魚が一匹跳ねた。怒っているのだろうか。身内への侮辱と捉えられてもおかしくない。

 

「大丈夫。彼らは聞いちゃいないわ。聞いていても何のことか分からないわよ。名前がないから意思をしっかり持てないの」

 

 そういえば昔、テンくんも名前がなくて、元素名のコバルトで呼ばれていた。その頃はぼーっとしているような、のんびりしているような、そんな話し方だった。

 

「まぁ、仕方ないわね。媛ヶ浦に関しては資料は残っていないからね。記録しないようにしてたから」

 

 垚さんはそう言うと僕から離れて岩に手を付いた。

 

「流没闘争の原因になったと言えばそうね。先代水理王はある意味では意思の強い方であり、ある意味では甘い……」

 

 垚さんの手が岩に吸い込まれていく。

 

「外でするような話じゃないわね。後で先々代にでも聞きなさい。先に帰るわね~」

「えっ、ちょっと待っ……」

 

 僕が止めるのも虚しく、垚さんは岩の中へ入っていってしまった。その帰り方は速そうだ。羨ましい。

 

 陸地と水の境界に立つ岩には乾いた苔が付いている。しばらく水に触れていなかった証拠だ。きっとしばらくすれば、また干上がってしまうのだろう。

 

 垚さんの言ったことが引っ掛かる。霓さんの言うように先代が流没闘争の原因の一端と思って間違いないだろう。勿論、それだけが理由ではないだろうけど。

 

「また来ます」

 

 水辺の魚介類に声を掛ける。すると魚たちは岸から離れて深くへ潜っていった。どこまで理解出来ているかは分からないけど、別れは分かったらしい。

 

 雲を呼び寄せて僕も帰館する。随分遠くまで来てしまった。西日が水に反射して眩しくなってきた。早く帰らないと夜になってしまう。

 

 まさか現地で垚さんに会うとは思わなかったけど、結果的に良かった。垚さんに会わなかったら媛ヶ浦が見つからないままだったかもしれない。

 

 無駄足にならずに済んだ。僕は垚さんと違って移動にも時間が掛かる。まだまだ未熟だ。

 

 本当は先生に稽古をつけてもらいたい。けど、理術はもう教えきったと言って、最近は机の上での指導が多かった。

 

 それ以前に登城してくれたかどうか……。

 

 

 

 

 ◇◆◇◆

 


 

「ただいま帰りました」

「おかえり。遅かったから少し心配したよ。何かあった?」

 

 ベルさまはいつも通り執務室で待っていてくれた。固い服を軽く解いただけで、書類と睨みあっていたようだ。謁見から帰って来てそのまま事務作業をしていたらしい。

 

「ベルさま、お着替えは?」

「あぁ、後で良いよ。今日はどこへ行ってきた?」

 

 ベルさまは書類を机に置いてしまった。完全に聞く体勢だ。僕の報告を待っている。

 

「今日は……」

 

 回った順に報告をしていく。会えたのは一件だけだったけど、勝手に見て問題があったところが多かった。

 

 淀んだ水流、溜まったヘドロ、浮いた落ち葉……手入れがされていない管理地の話をする。悪い報告をするのは残念でならない。

 

「うん、分かった。ご苦労様。で、その不届きものはどうした?」

 

 ベルさまは前のめりの姿勢をやめて、背もたれに身を預けた。大袈裟なため息をつきながら苦笑いをしている。

 

「良くない状態で放置はできなかったので、軽く掃除してきました」

 

 訪問を告げても、呼び掛けても全く出てくる様子がなかったのだ。勝手に手を出してしまったけど、仕方ないだろう。

 

「うん、やっぱりね。実はこっちも予定にない謁見が入ってね」


 ベルさまは謁見用の服を軽く引っ張って見せた。今の僕は、ベルさまの予定を全て把握しているわけではない。今日の謁見は急だったらしい。

 

「雫が今日、二番目に行った所だね。『留守の間に、太子が私の水路に入り込み、手を加えていたのです』とかなんとか言って来たよ」

 

 ベルさまは書類をペラペラと振って見せた。

 

 もしかして嵌められた?

 王太子就任早々、大きな問題を起こしたくない。

 

「王太子は、視察には行くけど罰を与えるとき以外、手出しはしないからね」

 

 まずい。調子に乗ってしまったかもしれない。ベルさまに迷惑をかけてしまう。いや、もう謁見と言う仕事を増やしてしまった。すでに迷惑をかけている。

 

「でも、雫が何もしないで帰ってきたら、『新太子は行き詰まった水路を見ても救済しない』と言われる。手を出せば『勝手に弄られた』と文句を付ける。結局、ケチを付けたいだけなんだ。あまり気にするんじゃないよ」

 

 ベルさまは思いの外、陽気だった。むしろ楽しんでいるようにも見える。

 

「気にするなって言われても……僕、どうしたら良いんですか? 行って謝罪でもすれば良いですか」

「それはダメだ。それこそ向こうの思う壺だよ。雫を無視した所は皆、伯位アルの精霊だ」

 

 敢えて位は考えないようにしていた。けど、それは僕だけの話だ。向こうはやはりそうではなかったらしい。

 

 伯位の精霊に舐められないようにしろと、焱さんが言っていた。それを今頃感じるなんて、間抜けだ。

 

 勿論、伯位でもちゃんと相手をしてくれたところもあった。それに仲位ヴェルの中には、歓迎してくれたところもあった。だから余計に油断していたのかもしれない。

 

「こっちでうまく処理するから、雫は視察を続けると良い」

「でも、もし、同じようなことがあったら……」

 

 ベルさまはどう処理するつもりなのか。書類の内容はここからでは見えない。

 

「そのときは、手入れなんてぬるいことはせずに、形が変わるほど手を加えてやると良いよ」

 

 ベルさまには珍しく、口元には品のない笑みが浮かんでいる。ベルさまも何か企んでいそうだ。何故か僕が冷や汗をかいてしまった。

 

「でもここからの割には帰りが遅かったね」

 

 ベルさまがトントンと指で地図を叩いた。僕にくれたのと同じ地図だ。

 

「あ、あの、もう一ヶ所……その、媛ヶ浦に寄って帰ってきました」

「……あぁ、そう。どうだった? 皆、元気だった? 浦はどこまで退いていた?」

 

 ベルさまにしては早口だ。それとやや質問攻めに合っている気がする。

 

「たまたま垚さんに会って、浦を元に戻してもらいました。それと魚介類は元気そうでした」

「そうか。なら結構だ」

 

 今度はそれきり黙ってしまう。ベルさまの理力からは何の感情も読み取れない。けど、ほんの少し……雨粒ひとつ分くらい動揺しているのが分かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る