193話 媛ケ浦へ

 福井戸への視察から二日経った。二日で八件という相当早いペースで視察を進めている。

 

 と言うのも福井戸のあと、居留守を使われたり、仮病を使われたりで、ほとんど精霊たちに会えていないからだ。実際に対面できたのは一件だけだった。

 

 訪れる前に必ず先触れを出している。だから留守になることはおかしい。それに体調が悪いなら、保護下の低位精霊を案内役として代理に立てても良いはずだ。

 

 僕に会いたくなくて偽っているのは明らかだった。でも攻撃されたり、陥れられたりするよりましだ。

 

 出てくる気がないなら、勝手に見させてもらう。お陰でサッサと視察を終えることが出来ている。

 

 中には管理不行き届きのところもあった。水源が詰まりかけていたり、浸水していたり、と掃除の仕方を教えてあげたいくらいだ。

 

 ただ、当の精霊がいないので、注意もできない。王館に持ち帰ってベルさまから指示してもらうのが一番だ。

 

「あと一件寄れるかな」

 

 夜までに戻らないとベルさまが心配するから、明るいうちに帰りたい。まだ日は高いから大丈夫だろう。


「えーっと次は……媛ヶ浦ひめがうらか」

 

 順番を考えてきたので、ここから近い。少し西へ向かったところだ。雲ならあっという間だろう。

 

 雲を呼び寄せて飛び乗った。先代木理王さまの桜桃のお陰か、今まで苦労していた雲の操縦が嘘みたいに楽になった。風が木の理力によるものだということを心底実感した。


 先代水理王の故郷ってどんなところなのだろう。やはり豊かな水辺か……でも大地に押されて弱っているという。荒れていないことを望むばかりだ。

 

「あ、あれかな?」

 

 明らかに違和感のある岩が立っている。人工的に造られた石碑のようだ。雲を降ろして近づいてみる。

 

 乾いた土地に足を付ける。ここのどこが浦なのか謎だ。僕が場所を間違えたのかもしれない。石碑には字も絵も何も掘られていなかった。

 

 ベルさまに貰った地図で場所を確認する。この大きな石が目印だと書いてあるから、間違いない。

 

 今日か明日に視察へ行くという連絡はしておいた。誰もいないってことは、他の場所と同じように居留守を使われている可能性もある。

 

 けどそれにしては妙だ。肝心の浦がない。

 

「しっずくちゃーーん!」

「ん?」 

 

 どこからか僕を呼ぶ声がする。ちょっと遠くてどこからか分からない。けど、この野太い声は……。

 

「垚さんですかー?」

「そうよー!」

 

 大声で呼び掛けながら雲に乗る。上空からの方が探しやすい。

 

 雲に勢いをつけすぎて、木にひっかかりそうになった。木に引っ掛かると雲が散ってしまう。ぶつからないように高さを維持する。柑橘系の木のようだ。刺が出ている。

 

「垚さん、どこにいるんですかー?」

 

 少し上昇して視野を広くする。すると左の方からボコボコと巨大な畝が描かれ始めた。まるで土竜もぐらが前進しているようだ。

 

「じゃぁぁぁぁん! こっこでした!」

 

 畝が止まると、土塊を撒き散らしながら垚さんが地下から飛び出してきた。土塊が雲に当たるのを避ける。細かいのは無視した。

 

「垚さん、こんにちは。ここで何してるんですか?」

「ちょっと、私の優雅エレガントな登場の仕方については聞かないわけ?」

 

 思わず優雅の意味を問いただしたくなる。そんな僕に構うことなく、垚さんはマイペースに出てきた穴を埋めている。指をひと振りするだけで勝手に土が戻っていった。流石土精だ。

 

「あたくしも仕事よ」

「へぇ……」

 

 土精の視察の仕方は随分変わっている。地下を荒らしているようにしか見えなかった。

 

 適当に相づちを打ちながら、雲から下りる。頭ひとつ大きい垚さんの隣に立つ。底の高い靴を履いているのもあって、まだ垚さんの身長には追い付けない。

 

「雫ちゃんも視察なのね。いいわ、お兄さんが一緒に行ってあげても良くってよ」

「いえ、大丈夫です」

 

 垚さんは体を捻りながら少し腰を屈めた。目線を僕より下げて上目遣いでしなを作る。垚さんからちょっと離れた。

 

「ちょっと即答なの? 何が不満なのよ」


 垚さんは急に機嫌を悪くしてスッと背筋を正した。威圧感がすごい。

 

「だ、だって、王太子ならひとりで視察しないと……」

 

 ここで垚さんに付き添ってもらったら何を言われるか分からない。別に僕自身は何を言われても平気だけど、そのせいでベルさままで悪く言われたら嫌だ。


「……成長したわねぇ。涙が出ちゃうわ」

 

 垚さんは出てもいない涙を拭っている。その指の隙間から僕の顔をチラチラと窺ってきた。

 

「でも今困ってるんじゃなーい?」

「えぇ……実は、媛ヶ浦に行きたいんですけど、場所を間違えてしまったみたいで」

 

 地図を開いて垚さんに見せようとした。これど垚さんは見ようともせずに、指を左右に振っている。

 

「場所はあってるわ。ここが媛ヶ浦よ」

「え、でも……土に押されてるとは聞いたんですが、水辺すらなくて」

 

 僕がそう言うと垚さんは指を組んで大きく伸びをした。指からパキパキと音が鳴っている。

 

「ちょーっと待ってちょうだい。今抑えるからね」

 

 何を? と尋ねる前に垚さんは伸ばした腕を地面に付いた。膝の後ろでも伸ばすような姿勢だ。腰を痛めそう。

 

「垚の名の下に、後退を命ずる。下がれ」

 

 垚さんの低い声が辺りに響く。反響するものなど何もないのに、繰り返し鳴っているようだ。いつものふざけた様子は一切なかった。

 

「よいしょ。ふー……これやると腰が痛いのよね」

 

 やっぱり腰は痛いらしい。垚さんは腰に手を当てて体を反らしている。

 

「あ、見てみて! 帰ってきたわよ」

「え? あ、み、水が!」

 

 垚さんが眉の上に手を当てて光を遮っている。その視線の向こうから、ザザーッという音を伴いながら、水がやって来た。

 

「帰ってきたわ、『媛ヶ浦』よ」

 

 水が迫ってきて、僕と垚さんの足に絡み付く。ちょうど石碑が濡れるか濡れないかという辺りで水の勢いは止まった。

 

「今回は随分遠くまで押されてたみたいね。色々あって来られなかったら」

 

 垚さんは足が濡れるのが嫌なのか、水が来ないところまで下がって靴を脱いだ。

 

「媛ヶ浦は土に押されてるとは聞いていましたが……土の理力を抑えてくれたんですか」 

 

 良くみるとさっきより少しだけ土地が下がっているのが分かる。

 

「そうよー。でも土が強くなってるんじゃなくて、浦が弱くなってるのよ」

 

 垚さんが靴を持って振り回している。どうやら乾かしたいようだ。指をパチンと弾いて勝手に乾かしてしまう。

 

 一瞬で乾いた靴をみて垚さんは満足そうだった。足の砂を払って片足ずつ履こうとしている。

 

「どうしてこんなことに……」

 

 僕は水に足をつけたままだ。

 とても澄んでいて綺麗な水だ。理力はあまり感じないけど、わずかな金属を含んでいる。これは木や草にとっては良い養分になりそうだ。

 

「んー、靴を乾かしてくれたお礼に教えてあげるわ。ここが先代水理王の故郷だって言うのは知って来てるのよね?」

 

 そういえば『垚さんは責任感の強い知りたがりだ』と潟さんが言っていた。ここの事情にも詳しいのかもしれない。

 

「はい、知ってます。理王を何代か排出しているそうですね」

 

 ぬりぬたから得た情報だ。事前に収集しておいて良かった。垚さんは満足そうに頷いている。

 

「そうよ。よく調べてきたわね。じゃあ、今は誰が治めているか分かる?」

「それなんですけど、調べても名前が分からなくて……」

 

 ベルさまから渡された視察のリストには、場所とそこを管理する精霊の名前があった。

 

 位は書いていなかったけど、少し調べれば分かったのでそれは問題なかった。問題なのは媛ヶ浦は管理者の位はおろか、名前も分からなかったことだ。

 

「雫ちゃん、下を見て。水太子サマをお出迎えよ」

 

 垚さんに言われて足下を見る。そこで初めて僕の周りに魚が集まっていることに気づいた。


 更にその魚を取り巻くように、海老、蟹、烏賊いかタコが集まっている。弱いけど理力を感じる。皆、精霊だ。

 

「名前が分からなくて当然よ。ここには名前のない精霊しかいないんだから」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る