192話 三理王の福井戸
「かような
好好爺という単語が似合いそうな精霊が僕を出迎えてくれた。
白くて長い髭を蓄えており、同じような白い髪を背中に流している。一部は結ってあるようで、頭の上に髪の塊が乗っている。
「出迎えありがとう。早速ですが井戸を見せてもらえますか?」
今日やって来たのは福井戸という場所だ。ここは自然界の精霊には珍しく人工的に造られた場所だ。
何件か視察に赴いたけど、今まで大きな問題もなく、スムーズに進んでいる。
初対面なので僕がどんな人物か、様子を見るような所もあった。当たり障りのない話だけで早く帰って欲しい感が丸出しの所もあった。
でも中には歓迎してくれて、母上並みに帰してくれないところもあった。これはこれで困ったけど、振り払うわけにもいかず、適当に理由をつけて切り上げてきた。
「こちらでございます。足元にお気をつけください」
老人に案内され付いていくと、早速足が固いものにぶつかった。ゴロゴロした石が乾いた草の影に隠れている。つまずいて転びでもしたら恥ずかしい。
ここはかつて水精がいなかった土地だそうだ。水のない場所で生まれた木精は育つことが難しく、幼い内に次々と枯れていったという。
見かねた土精が土理王に木精保護を嘆願した。その内容は、この土地に水精を着任させてもらえるよう水理王に依頼して欲しいということだ。
土理王は願いを聞き届けて水理王に水精着任を依頼した。水理王はそれを受け、直ちに王太子を派遣し、それによって急場は凌げたという。
そして当時、地下水を治めていた精霊に水流の一部を地上に分けるよう指示。土精と協力して井戸を作るに至ったそうだ。
この時の『協力』というのは
「これにございます。私の本体はこの中にある井戸水でして、五日に一度撒くように心掛けております」
魂繋をした土精と水精の間に生まれたのが、この福井戸の精霊だ。位は
事前調査でそれを知ったとき、初めは
他にも何名か
「良い水質ですね。次の水撒きはいつですか?」
積まれた石に手をかけて、一握りの井戸水を呼び寄せる。透明度が高い。僅かに感じる
「三日後でございます。何か問題がありましたでしょうか」
僕よりも年齢は上だ。その分経験も豊富だし、仲位歴も長い。だけど丁寧に尋ねてくる。
これは王太子に対する態度だ。僕自身が偉くなったと勘違いしてはいけない。相手は王太子という地位に敬意を払っているだけだ。
「少し土が乾いているように感じました。恐らくここ数日、湿度が低いからだとは思います。しばらくの間、三日に一度撒いていただいた方が宜しいかもしれません」
「……仰る通りでございます。ご指摘いただくまで気づかないとは、私も耄碌致しました。お若い方の観察力には敵いません。
うわっ、怒ってる!
人の良さそうな笑みを浮かべているのに、言葉の端々にポツリポツリと怒りを感じる。『耄碌』や『若い』という辺りを強調してきた。
自分のやり方にくちだしをされたのが面白くないんだろう。でも初対面で悪い印象を持たれたくない。
「とんでもない。福井戸どのはしっかり治められています」
言葉を選ぶのが大変だ。この一言だけでは機嫌は治らないだろう。別に機嫌とりに来たわけではないし、それこそ僕の方が立場は上のはずなんだけど、このまま帰りたくない。
「この透明な井戸水を見れば丁寧に手入れなさっているのが良く分かります。恥ずかしながら、私は自身の泉に関して管理不行き届きな面がありまして、福井戸どのを見習うべきかと先程から感心していたのですよ」
泉の管理は母上に任せっきりだ。この件に関しては本当のことだ。
僕がそう言うと、福井戸は表情を変えないまま、少し柔らかい口調で話を返してきた。
「淼さまはこの爺と違い、お忙しい身でいらっしゃいます。ご自身のことに手が回らなくとも仕方のないことでございます。何卒ご自愛くださいませ」
まだ完全ではないけど、少し機嫌が直ったみたいだ。もうひと押し。
「福井戸どの。もし、私が貴方の管理体制を責めたとお思いなら、それは誤解です」
「……と言いますと?」
白い眉を僅かに跳ねさせて福井戸が相づちを打ってきた。話に乗ってきたので、ご機嫌取りも程々にしないといけない。
「福井戸どのは土理王、木理王、水理王の三人の理王の意思によって誕生しました。この上なく誉れ高い精霊です」
福井戸が驚いた顔を見せた。福井戸が生まれた経緯を僕が知っているとは思っていなかったみたいだ。その辺りはちゃんと学習してから来た。
「その誉れ高き福井戸どのが、御上の意図を汲み、積極的に行動なさるのなら、いずれその功績は御上の耳にも入りましょう」
単純作業を繰り返しているだけなら、高位精霊でなくても出来る。こなすだけではなく、自ら問題を見つけ、改善していく必要がある。
「御上は水精だけでなく、この世の安寧を望んでいます。福井戸どのの手腕に大層期待しておいでですよ」
前半は本当だけど…… 後半は方便だ。こういう方法はあまり使いたくない。
「……淼さまは弁が立ちますな。あいや、失礼。お見事でございました」
福井戸から好好爺の雰囲気が消えた。これまでの雰囲気から一変して、漣先生を思わせる厳しい顔つきになってしまった。
「上がりたての
白い眉がキリッと持ち上がる。さっきより何十年か若そうな印象になった。
「ご理解いただけましたか?」
福井戸が口を大きく開けてカラカラと笑いだした。口内が丸見えだ。歯がほとんどない。
「無論でございます。この地の乾きをどう捉えるか、淼さまを少々試したまでのこと。この罰は
福井戸は両手を顔の前で組んで、僕に謝意を示してきた。
どうやら僕は試されていたらしい。垚さんからも忍耐力を試されたことはあったけど、今、試されたのは何だろう。
知識か、それとも切り返しか。
「罰するつもりはありません。どうぞ楽に」
福井戸が組んだ手を下ろすと、井戸水が飛び出してきた。大きなうねりを作って、地を這い、椅子の形を作る。
僕に座ることを勧めているらしいので、遠慮なくかけてみる。井戸水で出来た椅子は異常な冷たさだった。
「新たな太子さまが、かように聡明な方でいらっしゃるとは驚きました。噂は当てになりませんな」
「噂とは?」
福井戸は首を振りながら、自分も椅子にかけた。あまり良い話ではないことは想像できる。
「お耳を汚すようですが、巷では……新太子は『一滴太子』であると」
一滴太子か。
そもそも一滴という語に侮蔑の意味はない。でも……。
「それは仕方ないですね。私がかつて一滴しかなかったのは事実ですから」
「それを利用してのことです。
知識や技術はまだまだだけど、理力はかなり増えたと思う。特に侍従長になったとき一気に増えた。
王太子になってから更に増えたけど、今のところは自分で
「恥ずかしながら、私も淼さまに実際お会いするまで噂を信じておりました。噂には出所があるはず。淼さま、お気をつけなさいませ」
福井戸はまっすぐに僕を見つめてくる。その間に感じる理力をこっそり読み取る。僕を騙そうとか脅かそうとか、そういう気持ちは読み取れなかった。
「ご助言ありがとう。では私はこれで」
「お見送りを」
雲を呼び寄せて飛び乗り、福井戸に別れを告げる。少し長居をしてしまった。
でも良い意見を聞かせてもらった。ここの視察を最後の方にしなかったのは良かったかもしれない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます