188話 先代木理王崩御

「ベルさま。いえ、御上。ただいま戻りました」

 

 竜宮城に一泊して、翌朝王館に戻ってきた。一泊といっても寝室に行くことすらなく、朝を迎えたわけだけど……。

 

「おかえり。まずは報告を聞こうか。初めての視察はどうだった?」

 

 ベルさまがいつも通り執務室で僕を迎えてくれた。ついでに食器棚へ向かおうとする足を止められる。

 

 癖とは恐ろしいものだ。ベルさまにお茶を入れようとしてしまった。どう考えても報告が先だ。

 

「美蛇江は特に問題ありません。ははう……きよらどのが手入れをしているようですので、水量も水流も特に変化はありませんでした」 

 

 報告ってこんな感じで良いんだろうか。焱さん辺りに聞いておけば良かった。

 

 ベルさまは僕の報告を聞きながら、ペンを動かし続けていた。いつか僕があげたペンだ。使い込んで色が少しくすんできた。

 

「そうか。清どのに任せておけば問題ないだろう。竜宮城の様子はどうだった?」

 

 一晩中、酒盛りをしていたことを告げるべきか。

 

「雨伯がみずちの姿を見せてくれました。何でも以前は龍だったと聞きました」

「あぁ、そうだね。長く生きた蛟は龍になる。雨伯も脱皮を繰り返せば龍に戻るだろう」

 

 雨伯から教えて貰ったのと同じ事をベルさまは言う。初めて会ったときの雨伯は、脱皮したはがりで毛皮にくるまれた状態だった。

 

 どのくらいのペースで脱皮するのか聞かなかったけど、あの様子だとまだ当分先だろう。

 

「どうした? 他に何かあったの?」

 

 言おうかどうしようか迷っていることがあった。ベルさまにはバレバレだったようだ。悩んでいるのが顔に出てしまっただろうか。


「……ひさめさんのことを色々お聞きしました」

 

 ピクッとベルさまのペンが止まった。言わない方が良かったかも……。

 

「そうか。何て言ってた?」

「霈さんは皆に愛されてたってげつさんから聞きました。それとちょっと無鉄砲なところがあるって」

 

 僕がそう言うとベルさまは声をあげて笑った。

 

「アハハハッ! 無鉄砲とは言い得て妙だ。家族にもそう思われてるなんて流石だよ」

 

 意外に楽しそうな様子に僕がびっくりしてしまった。今までしんみりした話や雰囲気しか感じなかったのに、ベルさまは心から思い出を楽しんでいるようだった。

 

「あー…………懐かしいな。私が執務室ここにいるとき、ひさめも大体ここにいた。今雫が立っている辺りに勝手に椅子を持ち込んでね。好き勝手やってたよ」

 

 ベルさまから霈さんの話をちゃんと聞いたのは初めてかもしれない。今日はどうしてそんなに語ってくれるんだろう。機嫌が良いのかな。

 

 何にせよ、ベルさまが元気そうで何よりだ。

 

「あぁ、話は変わるけど、訃報があってね。先代木理王が昨日さくじつ身罷みまかった」

「みまか……亡くなったんですか!?」

 

 あまりに急すぎて付いていけない。驚きが体を駆け抜けて、ベルさまの机に手をついてしまった。

 

「そうだ。雫が出発した直後、木理から連絡がきた。寿命を全うし、理力へ還ったということだ」

「そんな……」

 

 先代木理王さまとお話ししたのが随分前のように感じる。方言が強くて、何を言ってるか分からなかったけど、僕と会話が出来るように言の葉を噛んでくれた。

 

 それにまだ火に弱かった僕に七竈ななかまどを提供してくれた。直接的ではないにしろ、僕を守ってくれていた精霊ひとのひとりだ。

 

 接点は多い方じゃない。むしろ一、二度しかない。でももう二度と会えないとなると、急に寂しさが訪れる。

 

「寂しくはあるが良く持った方だと思うよ。木偶坊パペットの呪縛を解いたのが大きいが、雫の水を飲ませたのも一因だと私は思っている」

 

 僕を励まそうとしているのか、机についた僕の手にベルさまの手が重なった。ひんやりとしていて心地よい。


「そうでなければ、いくら当時のりんが理力分けを行ったといっても、王太子教育まで出来るはずがないからね」

 

 ベルさまは淡々としている。

 

 あらいさんも心細いだろう。先代木理王さまは自分の先生だ。僕にとっての漣先生と同じはず。

 

「木理にもしんにも見送られて、安らかな最期だったそうだよ。……で、これは先代から雫へ感謝の印だそうだ」

 

 ベルさまが僕の手をひっくり返して、その上に赤い粒を乗せてきた。

 

「これは……何ですか?」

「『桜桃さくらんぼ』だよ。先代が理力を込めて石化してる。紅石ルビーみたいだね」

 

 石にしか見えない。赤く輝く固い粒は、親指の第一関節くらいまでの大きさだ。ベルさまの言うように宝石に見える。もしヘタを落とした部分がなかったら絶対石と見間違えただろう。

 

「こんな高価そうな……」

「大丈夫。あらいも貰ってるし、雫から貰った水への礼だと言うから受け取っておきなさい」

 

 受け取れないという言葉は言わせてもらえなかった。僕の意を読んだベルさまに先回りされてしまった。

 

「もう返す相手はいない」

 

 そう言うベルさまはやっぱり少し寂しそうだった。

 

ひさめさんはいずれ復活するって聞きましたけど、先代さまは帰ってこないんですか?」

「寿命による『死』だ。霈のように一時的に『消える』のとは違う。もう二度と会うことはないだろう」

 

 大きな桜桃を指先でもてあそぶ。貰ったは良いけど用途が不明だ。

 

「では、これはいただきます。後で桀さんの所へ行ってみます」

 

 落ち込んでないと良いんだけど。それより気絶してないか心配になってきた。

 

「そうすると良い。私から弔文を出すからついでに届けてきて」

 

 ベルさまはそう言うとペンを筆に持ち変えた。新しい紙を出して弔文を書き始める。しばらくかかりそうだ。

 

 ベルさまの執務席から離れて自席に戻る。僕も今のうちに視察の記録を付けておく。真新しい記録紙は手に馴染まず、捲りづらい。

 

 新しいと言えば僕の部屋どうなったかな。ぬりぬた、ちゃんと出来てるかな。

 

「そういえば木乃伊マミーには会った?」

 

 ベルさまが話しかけてきた。喋りながら書いて間違えないだろうか。

 

「会いました。木乃伊マミーくれるさんってあの暮さんですか? 何だか僕のこと知らないっていうんですけど」


 ベルさまがペンを手を止めた。早くも書き終わったらしい。字の列を読み直している。

 

「そうらしいよ。免との繋がりを断つために、真名である『晩』の名を切り離して、『暮』に置き換えたそうだ」

「真名を切り離して?」

 

 ベルさまが判子を下ろした。ドンッという音に肩が跳ねる。見ていても驚いてしまう重い音だった。

 

るいだった雫なら分かるはずだよ」

 

 そう言われてハッとした。

 

 ベルさまから雫という名を賜ったとき、過去のことは曖昧になっていた。僕の場合はベルさまが真名を預かっている状態だったから、完全に忘れてしまったわけではないけど。

 

 母上のことも兄のことも覚えていたのに、掃除の仕方は分からなくなっていた。当時の焱さんにはかなり迷惑をかけたと思う。

 

「出来たよ。もし手が空いたら届けてきて」

「すぐに行って参ります」

 

 記録はまだ途中だけど、ベルさまの用が優先だ。椅子を引いて立とうとするとベルさまに止められた。

 

「明日までに届けば問題ない。せめてそれを仕上げてから行くと良いよ」

 

 ベルさまが手を下ろしてしまった。気を使わせてしまったかもしれない。大急ぎで記録を仕上げにかかった。

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