162話 御役集合

 帰館した次の日、淼さまが理王会議に呼ばれていった。詳しい内容を知る由もないけど、昨日の今日だから暮さんの話であることは予想できる。

 

 淼さまは土理王さまが専決しなかったのを意外だと言っていた。土の市での出来事だから土理王さまに決定権がある。加害の精霊も所属がないから他の理王が口を出すこともないそうだ。

 

 何はともあれ、理王会議はいつ終わるか分からない。前は確か……初めて魄失の存在を確認したときだ。あのときは七日ほど続いたけど、場合によっては一ヶ月続くこともあると先生は言っていた。

 

「さて……」

 

 ひとりになってしまった。

 

 淼さまからは絶対に外へ出ないよう強く言われている。ただ、他の王館には行って良いとも言われた。焱さんのところへ行っても良いし、あらいさんの様子を見に行っても良いなぁとついさっきまで呑気に考えていた。

 

 だけど、二人とも王太子だ。そう易々と遊びに行けるような立場ではない。淼さまが何日で戻るか分からないけど、自分の部屋で大人しく読みかけの本と向き合っていよう。もしかしたら、潟さんか先生の方が早く帰ってくるかもしれない。

 

「あれ?」


 淼さまの執務室を出る前に軽く片付けをしていると、机の引き出しが少しだけ開いているのが目に入った。

 

 いつもきっちりしている淼さまにしては珍しい。急いでいたのかもしれない。正面からでは届かないので内側に回り込む。

 

 引き出しの取っ手に手をかけたところで中の中身が見えてしまった。

 

 ーーこれ、くしろだ。

 

 淼さまの黒い机の隙間から白っぽい腕輪が激しい主張をしていた。今まで色なんて気にならなかったけど、目の前では真珠のような白さが際立って見えた。

 

 その白さに惹かれたのか、気づいたときには引き出しの隙間を広げて、釧を手に取っていた。

 

 僕は一体何をしているのか。勝手に淼さまの引き出しを開けて中身に手をかけるなんて。

 

 邪念を振り払うように頭を軽く揺すって、釧を元の場所へ戻そうとした。すんなり取り出したはずなのに、戻そうとすると釧は机の縁に引っ掛かってしまった。

 

 滑り落ちそうになった釧を受け止めようとして、輪の中に指が掛かる。

 

『大好ーーよ、ーール。ずっーーいっしょにーー』

 

「ーーっ!」

 

 慌てて手を引っ込める。そのせいで釧を床に落としてしまった。幸い机の下に敷かれた絨毯のおかげで釧が傷つくことはなかったけど、冷や汗をかいた。

 

 屈んで恐る恐る釧を拾い上げる。指を入れないように慎重に外側を持って、そっと引き出しの中に戻した。

 

 引き出しを閉めても頭の中に軽やかな声が残っている。今まで聞いたことがない声だった。でもこの声の主を知っている気がする。多分……ひさめさんの声だ。

 

 以前、雨伯の竜宮城でひさめさんの肖像画を見せてもらった。その時、霈さんはこれと同じ釧をしていた。淼さまの腕輪と対になってるって言ってたはずだ。霈さんが淼さまに片方あげたって……。

 

 淼さまの過去を見てしまった。触れてはいけない部分に触れてしまった気がして、逃げるように執務室を後にした。

 

 別に走る必要はないのに走って自分の部屋に駆け込む。息が上がっていた。

 

『大好きーーずっといっしょに』

 

 明るい声が頭の中をぐるぐると回っている。耳元で何度も何度も短い台詞を呟かれているみたいだ。

 

 ダメだ。何かに集中していないと意識を全て持っていかれそうだ。

 

 少し荒っぽく机について読みかけの本を開く。ちょうど暮さんのことも気になっていたし、精霊の元いた世界、水の星のことを知る良い機会だ。時間はたっぷりある。

 

 黙読していると耳に残った声に邪魔されそうなので音読することにした。

 

「えーっと、古代の元世界、水の星ではまず冷たいところが北に集まって……」

 

 不必要に大きい声だとは分かっているけど、幸い自分の声が耳に入ってくるようになった。

 

「海や大地など自然が生まれると共に精霊が生まれた。精霊には物質的な姿はなく、このときの精霊は意思疏通もできなかったと言われている」

 

 言葉がなくても意思疏通は出来る場合もある。群れで生きる魚などは喋らないけど一緒に泳ぐ方向を決めることは出来る。けど、当時の精霊はそうではなかったようだ。

 

「やがて多くの動物が生まれ、それぞれの精霊は自らの性質に近い動物の姿を模倣するようになった。水精が魚や水鳥、火精が鹿や熊などである」

 

 鹿や熊が火の性質に近いって言うのは初耳だ。後で焱さんに聞いてみよう。

 

「やがて言葉を操る動物が誕生した。人間である。ーーあ、暮さんの言ってた人間だ」

 

 やっと出てきた。野菜の仲間じゃなくて動物だったんだ。

 

「精霊は言葉に興味をもち始め、人間に近づいた。一方、人間も精霊を歓迎し、受け入れた。人間は言葉だけでなく、衣服や食事、あるいは音楽や建築といった技術を提供し、精霊は見返りに加護を与えた」

 

 何だ、人間と精霊って仲良いんだ。暮さんの話だとてっきり仲が悪いように聞こえたけど全然そんな風には読み取れない。

 

「加護を与えられた人間は精霊の力を使って様々な術を扱うようになった。それは魔術、魔法、法術、秘術、妖術など呼ばれ方は様々である」

 

 理術っていう言葉は出てこなかった。人間が使うのは精霊の力を借りている術だから理術に似ているか、模倣したもののはずだ。敢えて呼び方を分けているのかもしれない。

 

「加護を受けた人間は仲間内から尊敬の念で見られるようになった。加護を与えた精霊にとってそれは誇らしいものであったと言う」

 

 平和な世界だ。僕も人間という存在に会ってみたくなった。


「いつしかーー……ん?」

「……ぃちゃぁーーん!」

 

 聞き覚えのある声がして顔を上げた。視線の先には窓がある。窓の向こうに米粒……いや小豆大の影があった。それはものすごい勢いで大きくなっていて、眺めている間に拳大になっていた。

 

「お兄ちゃーん、開けてーー!」

テンくん?」

 

 椅子を蹴飛ばして窓を開ける。風を切って大きな金ぴかの塊が飛び込んできた。もう少しで窓を割られていたかもしれない。

 

「鈿くん、どうして窓から……あれ、ひょうさん?」

「着地成功! びっくりした? ね、びっくりした?」

 

 目をキラキラさせて迫ってくる鈿くんが眩しい。きっと被ってる冑のせいだ。着地成功は鈿くんじゃなくて颷さんだなんて言うのは野暮だからやめておこう。

 

「すごいびっくりしたよ。どうしたの急に。鑫さまか金理王さまのお使いかな?」

 

 だとしても颷さんが一緒に来た理由が分からない。颷さんは相変わらず僕を睨みながら部屋の隅で体を縮めていた。鈿くんを運んできたので大きい体のままだったようだ。

 

「お使いじゃないよー。お兄ちゃんがひとりで泣いてるかも知れないと思って、慰めに来たんだよ。寂しかった?」

 

 ここは大人の対応だ。指で涙を拭う仕草も忘れない。

 

「……そうだね、とっても寂しかったよー」

 

 鈿くんが背伸びをして手を伸ばしてきたので少し屈んで顔を寄せる。すると鈿くんは僕の頭をよしよしと撫で始めた。

 

「大丈夫だよ、僕たちが来たからね。ね、お姉さん?」

 

 お姉さんと呼ばれるとは思わなかった。頭を好き勝手にされながら、ちょっとショックを受ける。でも僕の動揺を無視するように鈿くんは颷さんの方を向いていた。

 

「お姉さんもね、お兄ちゃんのこと心配してたんだよ」

 

 ひょうさんは水精嫌いのはずだ。

 

「なっ、し、心配なんかしてないわ!」


 聞いたことのない声にビックリして鈿くんの手を止める。顔を上げると部屋の隅に巨大な鳥……の姿はなく、代わりに知らない女性が立っていた。だけど、くすんだ緑色の髪は間違いない。

 

「颷さん、お久しぶりです。その節はお世話になりました」

 

 颷さんに会うのは貴燈山での事件以来だ。部屋の隅でそっぽを向いてしまった颷さんに当たり障りのない挨拶を送る。

 

「別に」

 

 返ってきた返事は素っ気ない。けれど耳が真っ赤だ。横を向いているせいで良く分かった。もしかして照れてるだけ?

 

「あの、颷さ……」

「勘違いしないでよね。鈿がどうしてもっていうから連れてきただけよ。別に貴方が気になってたわけじゃないわ」

 

 早口にそう告げられてもなぜか説得力がない。

 

「あれぇ、不用心やな。坊っちゃん、しっかり窓閉めなあかんで」

 

 低くて軽い声につられて外を見る。人型の漕さんが窓枠に足をかけて部屋に入ろうとしているところだった。

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