163話 姿絵の価値
「あかんよぉ。ちゃんと鍵もかけな」
長い足を部屋の中へ引き入れる。動きにくそうな体を持ち上げて漕さんが床に足を下ろす。その様子を黙って見ながらぐるぐると以前言われたことを思い出していた。
颷さんって漕さんと仲悪いんじゃなかったっけ?
「あ!
鈿くんは漕さんを見つけると駆け寄って膝に抱きついた。途中でカシャンとフェイスガードが勝手に下りた。前が見えているかどうか分からないけど、
「テーン、おじちゃんじゃなくてお兄さんやっていつも言ってるやろー?」
漕さんは鈿くんのフェイスガードを上げて頬をムニムニとつまみ出した。いつの間にか仲良くなっていたみたいだ。水先人や金字塔には独自の繋がりがあるらしい。
「えー? でも
鈿くんは相変わらず口真似が上手い。さっき初めて聞いた
「んー、そうかぁ。でも
漕さんは甲冑の上から鈿くんをくすぐりだした。それは効果があるのか尋ねる前に、鈿くんはケラケラ笑って床の上を転がりだした。金精は甲冑の上からでもくすぐったさを感じるらしい。
「颷もうちも歳はそう変わらへん。うちがおじさんなら颷もおばさんやな」
「あ、あの
漕さんは鈿くんをくすぐることに夢中になっていて、後ろから近づいてくる影に気づかなかった。強めに声をかけて振り向かせたときには、盛大な音が室内に響き渡って漕さんが鈿くんの隣に転がった。
「そ、
頬には綺麗な紅葉の跡が付いている。煙が出ているのは焼かれた痕だろうか。
「ふんっ!
「えー、もっと遊びたいよー」
鈿くんの主張は受け入れられなかった。くすんだ緑の髪を真っ赤に燃え上がらせて、颷さんは巨大な鴬へと姿を変えてしまった。そのまま鈿くんの首根っこを嘴で掴むと自分の足に捕まらせて、開けたままの窓から飛び立ってしまった。
何だかんだ言いつつ漕さんも窓を開けっぱなしだ。窓枠に手を掛けて颷さんの姿を見送ると、またねぇという鈿くんの声がこだましていた。
「イテテテ、相変わらず容赦せんなぁ」
流石にビンタ一回で参ることはないだろうけと、漕さんの頬は手の跡だけではなく腫れ上がっていた。手近な布を氷水で冷やして頬に当てる。
「おおきに。イテテ、あいつ本気でやりよったわ。口の中が切れてもうた」
「口すすぎます?」
そう聞きながら、
「いや、大丈夫や……でも折角やからその水は頂こうか。飲ましてもらうわ」
漕さんは僕から水を受けとると勢いよく嚥下した。喉が鳴るに従って頬の腫れが退いている。当てた布の上からでも良く分かった。
「はい、ごちそーさん。いや、参ったわ。坊っちゃんの様子を見に来たら、まさか颷と鉢合わせするとは」
すくっと立ち上がった漕さんは頭をガリガリと掻いてため息をついた。
「こんなこと聞いたら失礼ですけど、漕さんと颷さんはどうして仲が悪いんですか?」
「別に」
漕さんにしては短い答えが返ってきた。図らずしもさっきの颷さんと同じ言い方だった。
「うちは颷のこと嫌いやあらへんよ。
イテテと言いながら頬の布を避ける。火傷のような跡は綺麗になくなっていたけど、まだ少し痛むようだ。
「何が……」
「それはそうと坊っちゃん! 暇してるやろ思てな。面白いもの持ってきたで!」
漕さんは一際明るい声を上げて、懐に手を入れた。すぐに一枚の紙切れを取り出して、僕の眼前に突き付ける。
「何ですか?」
近すぎて見えない。顔より小さい紙を手探りで紙を受け取って少し離すと、色彩豊かな絵であることが分かった。全身の人物画のようだ。
……なんか見たことあるような、見たくないような。
「水理王付きの侍従長さまの
見なきゃ良かった!
顔や立ち姿は実際の僕よりかなり整って描かれている。けど纏った衣装は僕の正装だ。両胸と腕にある刺繍は服の皺で全ては見えない。でも色と言い、造りと言い、この世にひとつしかない、現木理王さまのお手製だ。見間違うはずがない。
「な、なんでこんなもの買ってきちゃうんですか!?」
元の場所へ返してきてほしい。いや、いっそのこと全部買い取って二度と売らないように頼みたい。
「理王や高位精霊の
「そ、そんな……」
勝手に姿絵を作って取り扱ったら処罰されそうな気がする。しかし残念なことに、何気なくひっくり返した紙の裏には『水理王公認』の判が押されていた。
「勿論、各御上の許可がないと扱われへんよ」
何故、こんなものを許可したのか。淼さまを半日くらい問い詰めたい。
「まぁ、坊っちゃん。こんなに男前なんやから堂々としいや」
漕さんが僕から絵を取り上げる。少し掲げて僕と見比べ始めたので顔を背けた。
本物よりも格好良く描かれている絵を見て、どうやって自信を持てば良いのか。むしろ顔を隠して歩かなければならない気がする。
「でまぁ、それは置いておいて。これを拾ったっていうたやろ? その……闇の
「……そうですね」
もう早くその絵をしまってほしい。やや冷たく端的に答えると漕さんは苦笑しながら絵を懐に戻してくれた。
「
流石に漕さんは情報が早い。淼さまに報告したことは全て漕さんに伝わっていると思って良さそうだ。
「暮さんが行ってたのは土の市と火の市らしいですよ。だいたいは土の方みたいですけど」
潟さんが土の市で出会ったあと、話していたのはそんな内容だったはずだ。
「やっぱりな。坊っちゃん、それはおかしいんよ。ここ数ヵ月で
「でも、
拾ったので真似たのだと暮さんは言っていた。金の市で誰かが買った物を落として、次の日の土の市で拾ったとしてもおかしくない。
「うーん……その可能性もなくはないんやけど、落とすっていうのは考えにくいなぁ」
自然な理由だと思ったんだけど、漕さんはあまり納得していないみたいだ。
「坊っちゃん、さっきの
「えっ……」
そんなこと言われても市での買い物経験は数える程度だ。相場も基準も分からない。
「えっと、いくらだったんですか?」
「うちのお気に入りの珊瑚の腕輪と交換してきたんよ」
そういう漕さんの顔は少しだけ悔しそうに見えた。余程気に入っていた物だったのかもしれない。けどそれなら僕の絵なんかと交換しなければ良かったのに。
「坊っちゃんには金貨で言った方が分かりやすいか? おおむね金貨一枚やな」
……それって高いのかな。
以前、母上や淼さまに贈り物をしたときは二枚半だったし、今回演技とは言え三十枚以上のの金貨を市で並べた。それを考えるとそんなに高くない気がする。
「……坊っちゃんの価値観がおかしくなってるのは御上のせいやな」
何か間違えたらしい。反応に困った僕を見て漕さんが何かを察したらしい。
「坊っちゃん。普通、金貨一枚あったらな、低位精霊十人が半月腹を満たせるで」
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