142話 土太子の警告

「しかも久しぶりだからちゃんとお手紙にしちゃったわ。あたくしって偉いわ」


 手紙? そんなの来てないと思うんだけど。未決書類の方に混ざってたのかな。


 淼さまの机にある未決書類の山を崩す。戻しやすいようにひとつひとつ裏返して重ねながら全部確認したけど手紙なんてない。

 

 潟さんも近寄ってきて手は出さずに僕の様子を見ている。念のため処理済みの書類も見たけど手紙らしきものはなかった。


「本当に出したのですか?」


 潟さんが垚さまに疑いの目を向けている。


「な、何よ。失礼ね。昨日の内に出したわよ! ちゃんと王太子の印まで入れて!」


 昨日の書類ならここにあっていいはずだけどないものはない。木の太子の紋章が入った手紙なんてそんなに目立つもの見落とさないと思うんだけど。


「すみません、見当たらないようです。申し訳ありませんが準備をしていなかったので少しお待ちいただけますか? び……御上は今、謁見に臨んでいるので」


 手紙はなくてもここに垚さまがいるのは事実なんだからそれ相当の対応をしなくてはならない。水理王の侍従はこの程度かなんて思われては淼さまの名誉に関わる。


「いいわよ、別に淼の顔見に来たんじゃないもの」

「何しに来たんです」


 潟さんが垚さまの相手をしている間にお茶の用意をしてしまおう。土精って何が好きなんだろう。今まで関わりがなかったから全く分からない。淼さまがいつも飲んでるのと同じので良いかな。


 少し蒸らして二人の所へ戻ると、険悪とまではいかないけど意味のない言い争いをしていた。


「貴方は昔からそうです。土が最強、土こそ優秀と。いったい何を根拠にそう言っているのか。甚だ理解に苦しみますね」

「うっさいわね! 昔の話を引っ張り出さないでよ。それは反省したって言ってるでしょ!」

「いーえ、所詮は口だけです。態度が変わりましたか? 何一つ改めていないでしょう? この石頭」

「キーッ!! 男女混沌の性質は高位の土精特有なのよ! これは貴方たちには理解できないでしょうよ!」

「性質ではなく、性格を改めろと言っているのですよ。相変わらず話を聞きませんね」

「あのー……」


 何度か声を掛けるのに失敗したけど何とか気づいてもらえた。会話が止まったのを確認して垚さまにお茶を出す。


「御上がお好きなお茶です。垚さまのお口にも合うと良いのですが」


 垚さまは潟さんをひと睨みした後、黙って茶器に口を付けた。八分の熱さにしたからちょうどいいはず。ただ、垚さまは美味しいとも不味いとも言わず、黙って飲んでいるだけだ。この重い空気を何とかしたい。何か気の利いた話でもしないと。


「そ、そういえば垚さま。先ほど仰っていた雨香ペトリコールって何ですか? 僕初めて聞いたんですけど」


 垚さまは少し眉を跳ねさせると茶器を置いて足を組み直した。


雨香ペトリコールっていうのは、雨が降った時に出る香りのことよ。乾いた岩や土壌の表面に植物の油が染みついて、雨が降るとそれが放出されるのよ。それで香りが立つわけ」

 

 へぇ、雨の匂いって植物が元なのかぁ。それが岩や土から出る、と。なるほど勉強になった。木や土から発せられる香りが水の匂いだなんて何か不思議だ。

 

「そんなことも知らないで良く侍従なんてやってるわね」


 しまった。場を和ませたいと思っただけなのに機嫌を損ねてしまったようだ。話題として失敗だったかも。


「す、すみません。勉強不足で」

「勉強不足? じゃあ先々代水理王は何を教えてるのよ?」


 他人事みたいな顔をしていた潟さんがわずかに反応した。


「あの水理王の侍従がこーんなにおバカな子なんて思わなかったわ」

「土太子……言い過ぎです」


 潟さんがいつもより低い声で話しかけるけど垚さまは止まらない。頬にかかる黒髪を指でくるくると弄んでいる。


「自然界の基礎も分からないなんて先々代の苦労する様子が目に浮かぶわ。それとも先生の教え方が悪いのかしら」


 息苦しさを覚えた。最近周りの精霊たちに甘やかされてたからこんなに悪意のある言葉をぶつけられるのは久しぶりだ。

 

 悲しいはずなんだけど………………だんだん悔しくなってきた。何で僕のことで先生まで悪く言われなければいけないんだ。

 

 顔を上げられない。上げたらきっと垚さまを睨んでしまう。


「水理皇上も見る目がないわね」

ゆたか!」


 自分の手がものすごい速さで垚さまに向かっているのが分かった。それなのに何故かとてもゆっくりした動きに見える。まずい! ここで垚さまを殴ってしまったらそれこそ問題だ。淼さまにも先生にも迷惑を掛けてしまう! 


 ガチャンッと激しい音が響く。空になった茶器が皿からずり落ちた。


「っお……茶のお変わりはいかがですか?」


 頭の中が白で埋まる前にギリギリで手の向きを変えた。何とかこぶしを開いて給茶機サーバーを掴んだ。勢いを消しきれず中身が大きく揺れている。


 口角を上げたつもりだけどちゃんと笑顔でお茶を勧められているだろうか。


「……怖っ」


 垚さまがポツリと漏らした。次にかけられる言葉を覚悟する。覚悟しておけばきっと何を言われても平気だ。


「……怖いけどギリギリ合格!」

「ぅぐっ」

 

 思い切り抱きしめられた。急に態度が変わって反応できない。給茶機を持ったままなので零さないよう必死だ。せっかく怒りを抑えたのに熱いお茶を垚さまに掛けてしまったら台無しだ。


「いやー、ほんとに殴られるかと思ったわ!」

ゆたか、図りましたね」


 潟さんが僕を垚さまから引き離す。ついでと言わんばかりに垚さまの腕を捻り上げた。ゆたかっていうのはぎょうさまの真名だろう。二人とも仲が良さそうだ。

 

「ぃ痛い痛い痛い痛いっ! ちょっと土太子に何するのよ!」

「雫さまに手を出した罰です」

「ち、ちょっと手を出したなんて人聞きが悪いわ! あたくしはつつみちゃん一筋……っ痛い痛いホントに痛いって!」


 垚さまは大きく腕を振って潟さんを払った。垚さまの腕の色が一瞬変わったように見えたんだけど気のせいだろうか。

 

 潟さんはひと房の前髪をなびかせて垚さまの腕をかわした。動きが鮮やかだ。垚さまは手首を擦りながら、椅子にドカッと座り直した。

  

「あー痛い。あ、雫ちゃん。試してごめんね」

「た、試す?」

 

 もしかして僕を怒らせようとしてわざとあんなことを言ったのだろうか。

 

「そ。だって、雫ちゃんたら警備の金精殴ってやっつけちゃったんでしょ?」

 

 言葉に詰まる。何ヵ月も前のことだけどそんなに有名な話なのだろうか。金精以外にも伝わっているなんてちょっとショックだ。

 

「いくら自分の主君を悪く言われてもね、いきなり暴力は不味いわよ」

「……す、すみません」

 

 その件は反省している。でも『やってしまった』とは思うけど『やらなきゃ良かった』とは思っていない。どのみち体が勝手に動いてしまっては制御できない。

 

「私たち土精は水精の暴走を止める必要があるわ。だから雫ちゃんが一戦を越えたら容赦なく叩くつもりだったんだけど、良く耐えたわね!」

 

 土剋水どこくすいだ。土は水につ。水を吸収したり、塞き止めたりして水の暴走を抑えることが出来る。

 

「雫ちゃん、いーい? 貴方は……今はまだ侍従だけどこれからもっとたくさんの精霊と接点を持つわ。その中には今みたいに貴方のことを陥れようとして、わざと怒らせるようなことを言う輩もいるわ。その都度、今みたいに沸騰しちゃう?」

 

 血の気が引いた。さっきまでの自分を殴りたい。

 

 もし、あのときの金精がそういう輩だとしたら? 非難されるのは僕よりも淼さまだ。鑫さまのおかげでお咎めなしだったけど、僕もただでは済まなかったはず。

 

「……っちまえば宜しいのに」

「何か言った?」

 

 潟さんがボソッと何か言ったけど聞き取れなかった。垚さまが話を振るとぷいっとそっぽを向いてしまう。

 

「も、もし……もしですけど僕が垚さまに無礼を働いていたら」

「そうね。とりあえず埋めたわ」

 

 埋め……。

 

 と言った瞬間の垚さまの目が尋常ではなく怖い。口調はキツくないけど警告に違いない。

 

「やーね。冗談よ。冗談」

 

 冗談とは思えない。水に対して有利な土なら……ましてや王太子なら僕ひとり始末することなんて簡単だ。

 

 僕の怯える様子を見て垚さまはちょっと満足そうだ。胸を反らせながら息を吐き出し、ちょっと大袈裟に足を組み直した。優雅な仕草で口元に茶器を寄せている。

  

「それで、私の見る目が何だって?」

 

 どこからか淼さまの声が聞こえた。

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