141話 土太子『垚』

 林さま改め、木理王さまの戴冠式と立太子の儀から数日経った。木の王館は王太子が倒れたと一時的に大騒ぎになっていた。けどそれはその日の内に収まってお祝いがまだ続いている。一日中管弦が鳴り響き別の意味で騒ぎになっている。


 桀さんが倒れたとき皆不安になってしまったそうだ。木精は代々理王が病弱だったから今度は王太子まで虚弱なのかと思ったらしい。けど林さまが木理王になったことがそうした不安を打ち消した。


 今までの木太子の中には木理王に就任した途端に顔色を悪くした方もいたらしい。それは木理王になった瞬間、木偶パペットと繋がって理力を奪われていたからなんだろうけど、そんなこと当時は誰にも分からない。


 木偶のことが明らかになった今、木理王さまの理力を奪われることはなく、林さまが就任しても何の問題もない。


 林さまは名前を欠いてしまったけどこれは木理王さまに理力を分けたことが原因だった。一代で一回だけ許された理術だから、林さまが理王になることで清算されたらしい。そういえは桀さんに引き継がれたのも『林』ではなく、『森』だった。


 久しぶりに病魔から解放された理王の姿を見て木精は皆歓喜していたらしい。それに比べると水の王館は今日も静かだ。部屋には淼さまが紙をめくる音だけが響いている。


「淼さま。今日の午後は謁見が二件入っております。少し早いですがお食事になさいますか?」

「あぁ、もうそんな時間か。そうだね。そうしようか」


 淼さまが机から顔を上げた。外を見て日の位置を確認したのかもしれない。


「今日の謁見は誰だった?」


 印が乾いた紙を重ねて端に避ける。後でそうさんを呼んでまとめて届けてもらうものだ。自分は伝書魚じゃないと漕さんの嘆く顔が目に浮かぶ。

 

「今日は一件目が南の沼ですね。娘さんが仲位相当に成長したので独立の許可をいただきたいそうです」


 今朝、頭に入れた内容をそのまま吐き出す。


「あれか。あー……今まで大きな問題を起こしたことはなかったが、一度行って娘の理力量を確かめてからだな。まぁ、今日話を聞くから終わったら視察の日程を調整しておいて」

「かしこまりました」


 ちなみに二件目は定期報告だからすぐに終わるだろう。一件目と順番を逆にすれば良かった。謁見の日程を組んだ僕のミスだったかも。


 最近、淼さまは謁見や視察などの予定を全部僕に預けてくれる。日程管理なんてやったことないので出来るはずがない。


 でも淼さまが『今までやらせてないんだから出来なくて当然』とか『うまくいかなくても何とかするから、とりあえずやってみて』と仰ったので担う羽目に……。


 今まで謁見が重なったとか視察の日を間違えたとか、そういうミスはないけど、今みたいな細かいことにはまだまだ気を回せていない。一件目の謁見が長引かないことを祈るしかない。今後の戒めにしよう。


 淼さまに早めのお昼を用意する。相変わらず僕も一緒に頂いてるけど、やっぱり時々不安になってしまう。低位だった頃も恐れ多いと思っていたけど、高位になって侍従長に就いてからは不安の方が勝っている。


「どうした?食が進んでいないね」 

「あ、いえ。そんなことは」


 淼さまに言われて箸が止まっていたことに気づいた。それを誤魔化すように近くの葉物に箸を付ける。


 高位になってから身長の他にも変わったことがある。あまり空腹を感じなくなったことだ。それを実感したのは竜宮で雨伯たちと食事をしてからだ。


 あの時は緊張が原因で空腹感も味も分からないと思っていた。でも王館に戻ってからもお腹が空く前に食事の時間がやってくる。


「食べなくても良いよ? 泉の水が安定して、更に高位精霊になって理力も安定した。食事を摂る必要がなくなったんだろう」


 口に運べばおいしく食べられるし、お腹は満たされる。それなのに何かが違う。


「淼さまは以前、食べても食べなくても良いと仰いましたが、こんな感じなんですね」


 空腹が満たされる幸福がないのだ。


「その内、睡眠も必要なくなるね。焱は燃料として食事を好むし、恐らく桀は睡眠が必要だろう。でも高位の水精はこんなものだよ」


 楽なはずなんだけど何だか寂しい。淼さまはいつもこんな感じだったんだろうか。


「雫が来るまで食事なんて意識したことなかったから、私は席に着いているだけでも楽しいけどね」


 そう言いながら淼さまは大ぶりの海老ひと口大に切り分けた。その内のひと切れを僕の口に押し込んで、残りを自分で食べた。


「さて、少し早いけど行ってくるよ。潟、位置へ」


 口の中の海老を大雑把に噛んで飲みこんだ。でも返事をする間もなく淼さまの姿は水しぶきに飲まれていった。


「お食事はお済ですか?」

「わぁ!!」


 淼さまと入れ替わるように潟さんが現れた。音もなく出て来たので椅子ごと転びそうになってしまった。


「ど。どどどどどこから来たんですか!?」


 桀さんみたいな話し方になってしまった。


「そこに丁度いい花瓶がありましたので。雫さまが毎日水を変えてらっしゃるのでしょう。大変通りやすい道でした」


 そうですか。なんかすごく狭いところを通ってきたみたいだけど通りやすかったなら良かった。


「父とチェスをしていたのですが危うく負けそうになりましたので呼んでいただきちょうど良かったです。御上はお出かけですか?」


 それ、あとで絶対先生に文句言われると思う。


「謁見に向かわれましたよ」

「謁見ですか? それなら私が来なくても問題ない気がしますが」


 潟さんは食器の片づけをさりげなく手伝ってくれた。こういうところはとても気が利くのに時々荒っぽいところがあるから、よく分からない。


「王館内に留まっている間は結界が緩みませんので雫さまおひとりで行動しても問題ないかと思いますが……。あぁ、別に雫さまの伴が嫌なわけではないので誤解のないようにお願いいたします」


 潟さんはずいぶん機嫌が良さそうだ。いつもよりも饒舌な気がする。先生から逃げられたことがそんなに嬉しかったのだろうか。


「ん?」


 潟さんが窓を眺めている。窓と言うよりも外かもしれない。ただでさえ背が高いのに踵を浮かせて外を覗いている。


「漕さん来ました?」


 ちょっと早い気がする。今日は芳伯へお水をあげに行ったはずだ。いくら道が繋がったとは言ってもそんなに早くは帰って来られない。


「いえ……雨、ではないですよね?」

「え?」


 晴れている。窓によって空を眺めてもやっぱり晴れている。浮かぶ雲は空全体の二割ほどで快晴と言っていいだろう。


「降ってないですね」


 潟さんは窓から離れてしまった。空いた場所に立ち窓を開け、鼻から息を吸う。確かに雨が降った匂いがする。でも何故か、外よりも室内の方が強い。


「あら、あたくしの雨香ペトリコールを嗅ぎつけるなんて流石だわ」

「わぁ!!」


 本日二度目の大声を出してしまった。さっきまで誰もいなかったソファに垚さまが掛けていた。黒髪がキラキラと不思議な光を放っている。

 

 今日は以前会った時よりも露出が少ない。上半身は暗い黄色の袖無タンクトップだけど穿いているのは足首まですっぽり覆われた服筒スラックスだった。


「土太子、どこから現れたんです」


 潟さんはあまり驚いていない。登場を予想していたみたいだ。


「やーね、そんなにムキになるんじゃないわよ。ちょっとそこの植木鉢を通ってきただけじゃない」


 潟さんと同じようなことを言っている。

 

「雫ちゃん久しぶり! 雫ちゃんが毎日お水あげてるんでしょ? 土が潤っていて通りやすかったわ」


 潟さんと同じようなことを言っている!

 王館では身近なものを移動手段に使うのが流行ってるのかな。誰か僕にも通り方を教えてほしい。


「主が不在の間に訪れるとはどういうつもりですか?」


 潟さんはシワを直すように服に手を入れながら、ちょっと強い口調で垚さまを責めている。他属性とは言えとても王太子に対する態度とは思えない。


「あら、あたくしはちゃんと水理皇上に伝えたわよ。遊びに行くわよんって」


 垚さまは仕草も口調も完全に女性なのに声が男性特有の低い声で頭が混乱しそうだ。

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