140話 木太子『森』

あらいさーん、大丈夫ですか?」

「雫さまぁあぁらふしたこ」

 

 桀さんの額に乗せた手拭タオルをひっくり返した。少しぬるくなっていたので、小さい氷をいくつか作って内側にくるんでみた。

 

 王太子の部屋……の続き間に運ばれた桀さんは長椅子の上で目を覚ました。気付けに強めのお酒を飲まされたせいでまだ喉を押さえている。駆けつけた薬草の精霊たちから少し休むように言われていた。

 

「ももみむ申し訳ないです……こここんなこと」

「気にしないでください。僕は他の方々と違って王太子じゃないですから」

 

 今頃、焱さんたちは林さまが木理王になるための戴冠式に参加しているはずだ。立太子の儀は代表者が王太子じゃなくても良かったけど、流石に理王の戴冠式となるとそうはいかない。

 

 他属性からは理王か王太子、或いは両方が出席するらしい。だから今度は淼さまが来ているし、僕が代理で出席するわけにはいかない。

 

「僕が付き添えて良かったです。桀さんとも話したかったですし」

  

 先ほど来た薬草の精霊も高位精霊だから全員戴冠式に出席している。桀さんに付き添う者がいないので、僕でちょうど良かったかもしれない。

 

 あらいさんが王館に来てから半年ほど経ったけどその間ふたりでゆっくり話すことはほとんどなかった。特に桀さんが忙しかったからだ。

 

 淼さまがわざわざ木の王館に用事を作って、僕をお使いに出してくれることもあった。けどその頃、桀さんは突貫作業で王太子教育を受けていたから、挨拶が出来れば良い方で会えないことが多かった。

 

「き、急に色々なことが起きすぎて何がなんだか……何故、某ごときが王太子になっているのでしょう」

 

 桀さんが額の手拭タオルを目まで下げて、その上から両手で覆ってしまった。顔が見えなくなる。

  

「桀さんは……あ、桀さんって呼ぶの失礼ですよね。えっとしんさま?」

 

 少し前までは気軽に話せたけど、立太子の儀を終えた桀さんは正式に王太子だ。今までみたいに気安く話しては失礼だ。

 

「おひゃあっ!」

 

 木の王太子名である『しん』の名で呼び掛けたら、桀さんがすごい勢いで飛び起きた。上半身が飛んでいきそうな勢いだったけど、飛んだのは額の手拭タオルだけだった。

 

「おぉろおろりひらまめ」

 

 平豆ひらまめ

 

 飛んで行く手拭タオルの行方を追いきれなかった。けど目を向けるとベタッと壁に張り付いているのが確認できた。

 

「桀さ……じゃなくて森さま、落ち着いてくださ」

「おひゃあぁあぉえあ!」

 

 落ち着くどころかひどくなってしまった。桀さんは虫でも入ってしまったのか全身を掻きむしっている。

 

「し、雫さま。止めてください、と、とと鳥肌が! 今まで通り呼んでください!」

「え、で、でも失礼じゃないですか?」

 

 騒ぎの中でもベチャッと湿った音が聞こえて。多分、手拭タオルが壁から剥がれ落ちたんだろう。

 

「ど、そ、そんなことは、あぁありません。どうかそのままで」

「じゃあ、せめて『桀さま』って」

 

 また奇声をあげながら首の後ろを掻き出した。そろそろ止めないと皮膚がなくなってしまいそうだ。

 

「し、雫さま。冗談はお止めください。火の太子のことは『焱さん』と呼んでいましたよね!? 何故某だけ『桀さま』なのです!?」

 

 掻くのを止めようとして上げた右手を掴まれた。ギリギリとすごい力で絞められて痛い。

 

「いや、あの、焱さんは長い付き合いで『さま』付けは止めろって言われたからで、鑫さまとか垚さまとかは普通に…」

「でしたら某もそのまま呼んでください!」

 

 く、苦しい。手を放してくれたと思ったら、今度は胸元を掴まれている。前後に揺さぶられて舌を噛みそうだ。

 

「あ、あらいさん、わわわ分かりました。分かりましたから!」

 

 桀さんがピタッと止まって服を解放してくれた。両胸に縫われた紋章が原型を保っていない。

 

「あ、すすすすみません」


 クラクラする頭を押さえながら服のシワを伸ばす。何とか顔を上げると、桀さんの首には何本か赤みを帯びた筋が入っていた。掻きむしってしまった跡だ。

 

「でもあらいさんが僕のこと雫さまって言うのもおかしいですよ」

「え、そ……それは」

 

 属性が違うとはいえ王太子が侍従のことを『さま』で呼んだらおかしい。それは分かってると思うんだけど桀さんはちょっと抵抗がありそうだ。それでも僕が王太子名で呼ぶって言ったら渋々納得はしてくれた。

 

 桀さんが元気になってきたので部屋の隅に向かう。拾った白い手拭タオルに絨毯の繊維が何本か付いていた。

 

「そうだ、桀さん。ずっと聞いてなかったんですけど、王館に来て王太子になった日のことって聞いても良いですか?」

 

 手拭タオルを手に長椅子に戻る。引っくり返せば桀さんの首を冷やすくらいは出来るだろう。そう思ったのに、桀さんは被っていた薄い布団を蹴飛ばして飛び出して来た。

 

「き、聞いてください! 雫さ………………ん」

 

 濡れた手拭タオルごと僕の手を思いきり握る。中に包んだ氷が溶けて絞っていない雑巾みたいな感触だ。

 

「某も何が何やら。目が覚めたら林さまがいて、『かんば伯のことを守れる男になりたくないか?』 と聞かれたので勿論だと答えたのです。そうしたらあれよあれよと……気づいたら王太子の任命書が手元に」

 

 その『あれよあれよ』の内容が知りたいんだけどな。大事なところが聞けなかった。けど芳伯を守りたいかっていう質問はちょっとずるい。ずるいけど良い質問の仕方だと思う。

 

 最高位の伯位アルを次位の仲位ヴェルが守れるかというとちょっと難しい。伯位を守護するとしたら王太子か理王か。

 

 伯位を守りたいかと聞かれて是と答えれば王太子になることを承認したと捉えられる。けどかなり強引な理屈だ。騙したとまでは言えなくてもそれに近い。ただ、切羽詰まった木精の事情を考えれば仕方ないかもしれない。

 

「こんなことになるなんて……某に王太子なんて勤まるわけありません」

 

 桀さんの手から雫が落ちている。力を入れすぎてタオルが搾られているようだ。手拭タオルを引っ張ると桀さんがハッとしながら手を外してくれた。

 

「でも『王太子の試練』を終えることが出来たんですよね。だから桀さんは素質があるんですよ!」

 

 任命後に行われるという王太子の試練。それを無事に終えないと立太子の儀には臨めない。

 

「し、しかし。某は……つい先日まで身寄りのない低位で」 

「桀さん」

 

 先ほど桀さんが放した手を今度は僕が包んだ。桀さんの手はまだ濡れている。

 

「偉そうなことは言えないですけど、僕も王館に来たばかりの頃は何も出来なくて、淼さまや焱さんに助けてもらってばかりでした」

 

 今だってそうだ。高位になったからと言って何も変わっていない。泉が戻っても、背が伸びてもたくさんの精霊ひとに支えられている事実は変わらない。

 

 淼さま、焱さん、漣先生、せきさん。それにそうさんや鑫さま、林さま。

 

 王館にはいないけどわかちゃんやたぎるさんも協力してくれるし、母上はいつでも僕の帰りを待っていてくれる。雨伯を含めた養家族かぞくも皆、暖かく迎えてくれた。

 

 何も分かっていなかった頃よりも、むしろ今の方がたくさんの精霊に助けてもらっているかもしれない。今度は僕が誰かの力にならないといけない。

 

「だから僕で出来ることなら力になります。いつでも相談してください」 

 

 桀さんは眉を下げながら僕の手を握り返し、ゆっくりと頷いてくれた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る