130話 執務室にて
王館に戻ってきて十日が過ぎようとしていた。最近外出の多かった
十年前の僕が今の僕の姿を見たらどう思うだろうか。もしかしたら別人だと思うかも知れない。もっとひどいと幻覚だと思うかもしれない。
お茶を淹れることひとつとっても大きく変わった。以前なら、あらかじめ水を汲んできておいて、必要な分だけ沸かして、沸いたら茶葉を浸して、蒸らして、その間に茶器を温めて……と色々な過程があった。
それが今では水球を出して後から温度を調整するだけだ。勿論、浸出と蒸らし時間は削れないけど、慣れない簡略化に時間配分を間違えてしまいそうだ。
掃除だって掃き掃除は別としても拭き掃除や磨くものは一瞬で終わってしまう。簡単すぎて時々これで良いのかなと不安になることがあるくらいだ。
空いた時間が増え、その時間で先生から教えを受ける。新しい知識が増え、使える理術ももう、数えきれない程だ。
最近では、
でも充実した毎日の中でどうしても引っかかっていることがある。
「浮かない顔だね」
淼さまが下から顔を覗き込んできた。執務席で書類の処理を手伝っている最中に考え事をしてしまったらしい。僕の手には未決案件の書類が握られたままだった。
淼さまが判子を押すタイミングに合わせて書類を回していたはずなのに、いつまでたっても書類が来ないから僕に声を掛けたんだろう。
「す、すみません」
慌てて淼さまの前に紙を伸ばして置いた。若干シワになっているのは僕が握りしめていたからだろう。淼さまは僕と書類の間で視線を一往復させる。呆れているのかもしれない。
非常に気まずい。僕が内心おろおろしていると淼さまは読むことも判子を押すこともせずに立ち上がった。
「少し休憩したい。あちらへ行こう」
休憩はさっき取ったばかりだ。絶対僕に気を回してくれたに違いない。おかまいなくと言いたかったけど淼さまはすでに執務席を離れ、ソファへと移動している。
「お茶はいらないから雫もおいで」
流石にさっき飲んだばかりだから必要ないんだろうけど、だとしたら僕のせいで手を止めさせてしまったのは尚更申し訳ない。
「私と違って雫は立ちっぱなしだから疲れただろう?」
「い、いえ、そんなことはないです」
淼さまから正面に座るよう促される。これ以上待たせるのも失礼だ。
「形式の整っていない雑な書類は見るのもうんざりだよ。私も目が疲れる」
そう言いながら淼さまは目頭を押さえている。でもその仕草は機敏でとても疲れているようには見えなかった。
「それで? 何か気になることでもあるのかな?」
淼さまは手を目頭から額に移して前髪を払った。足を組んで体を後ろに倒す。完全に僕の話を聞く体勢に入ってしまった。
「
「まぁ……だと思ったよ」
花茨城に残してきた桀さんは今頃どうしているんだろう。あんなに広い荒れた城でたったひとりで……ちゃんとごはん食べてるかな。接した期間は短いし、仲良くなったかと言われてもそこまでではないけど、どうしても気になってしまう。
「このままだと花茨は廃城になる可能性があるね」
潟さんも同じことを言っていた。花茨は城主がいなくなってしまったからその可能性が大いにある。
「
低位は高位精霊に保護される。それは大抵の場合、身内だ。けどいない場合はよく知らない精霊の傘下に入ることになるらしい。ちょっと気まずい。
もしかしたら僕は桀さんにかつての僕の姿を重ねているのかもしれない。行き場をなくした僕を引き取ってくれた淼さま。暖かく迎えてくれた
今、それを失うことになったらと思うとゾッとする。きっと耐えられない。何も手につかなくなってしまう。
自分で恐ろしい想像をしてしまって両腕に鳥肌が立ってしまった。腕を擦っていると淼さまに小さく笑われてしまった。きっと僕の想像なんかお見通しなんだろう。
ちょうど淼さまが笑ったタイミングでコンコンとノックをする音が聞こえた。ここに来るのは先生か
入れと言う淼さまの短い許可を得て、入ってきたのは潟さんだった。広くて浅い四角い盆を抱えている。潟さんは扉を開けながら執務席を見ていたけど、そこに誰もいないと分かるとすぐにこっちに気づいた。
「ご休憩中失礼します、御上。先ほど戻りました。雨伯から書状を預かりましたので後ほどご確認下さい」
竜宮城へ出張していた潟さんが戻ってきたようだ。僕たちは竜宮から花茨へ行ったけど、まっすぐ王館に戻ってきてしまったから、潟さんが僕の代わりに挨拶に行ってくれたのだ。帰りに渡されたんだろう。
「あぁ、今貰おう。こちらへ」
淼さまが潟さんを手招きする。執務席に足を向けた潟さんが途中で引き返してきた。淼さまに封書を渡すと、お茶がないテーブルと僕とを交互に見始めた。
うん。何が言いたいかよく分かる。侍従がお茶も用意せずに一緒に休んじゃ駄目だ。僕もそう思う。けれど潟さんは何も言わずに部屋の奥へ行ってしまった。盆を片付けに行ったんだろう。
「雨伯一族の領域で疫病と小競り合いが発生したらしい」
「え?」
大変だ。雨伯なら小競り合い程度すぐに抑えられるかもしれないけど、疫病となるとそうはいかない。
「どちらも収束したそうだが」
「あ……そうですか」
流石だ。仕事が早い。淼さまに報告する頃には問題が片付いているなんて。
「流石と言うべきか、妙と言うべきか」
淼さまは片手で手紙を持ち、反対の手で口元を押さえている。覗き見るつもりではなかったけど、光に透けて手紙の字が少し見えた。
「妙ですか?」
どこが妙なんだろう。
「一定の地域だけで流行って、もう収束しているとは……
奥から戻ってきた潟さんに淼さまが声をかける。潟さんは僕に近づくとソファには座らず、僕の背後に立った。
「詳しくは聞いておりませんが、疫病は近くの森から水精にも広がった病だったようです」
「あぁ、なるほど木の病か」
淼さまは潟さんの言葉にひとりで頷いていた。
「しかしひとまずは良かった。木の王館は
木偶はいつから
「あ、そういえば末妹が戻ってきたと、
「い、いえそんな僕はあまり」
あまりっていうかほとんど役に立たなかった。雷伯が来てくれなかったら多分ダメだったと思う。たまらず下を向いた。
「あれ?」
「どうした?」
「どうなさいました?」
僕が思わず出した声に淼さまと潟さんが同時に反応した。二人の様子を少し見てから腰に手を当てる。
室内でも
「これ、七個ある……りますよね?」
ひとりごとにしようか悩んで変な言葉になってしまった。今まで六つの実がなっていた
念のため潟さんにも数えてもらったけどやっぱり七つあった。一体いつから……。
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