92話 沈黙の貴燈山

 光沢のある靴紐をきつく絞め直す。脛の中程まである紐を結ぶのに時間がかかってしまう。マリさんは僕の支度を待ちながら、肩をぐるぐる回している。

 

「雫さまのお話ですと辰砂しんしゃがあるのですね」


 今度は屈伸をし始めた。斧を両肩に跨がせて膝の曲げ伸ばしをしている。その度にギシギシという音がする。

 

「辰砂は別名 賢者の石です。『石』と言うくらいですから土の要素が強いですが……」

 

 王館で教わってきたことだ。鎮静作用があって薬にもなるらしい。それを木理王さまに届けようとして焱さんたちは事故に遭ったんだ。

 

「金属あるいは金属元素があればそこに出口を繋げます。辰砂に含まれる金属が水銀というのが癪ですが……」


 確かに水銀を倒すのに水銀を利用するというのも何だかモヤモヤする。けどそんなことは言っていられない。

 

「相手の裏をかいてやったと思いましょう」

 

 ようやく両足の靴紐を直し終えた。踵と爪先をそれぞれ軽く地面に叩きつけて履き心地を確める。

 

 ついでに腰に下げた淼さまの水晶刀もきつめに固定する。落としでもしたら償いきれないし、謝っても謝りきれない。たとえ淼さまが許してくれたとしても僕は一生悔いるだろう。

 

「もうご準備はよろしいのですか?」

 

 これから走って、登って、逃げて、戦って……うまくいくと良いんだけど。

 

「私に水銀の合金化は効きません。ですからここを出たら雫さまが狙われるでしょう」

 

 鋺さんは斧の柄を足の甲に乗せて僕を見下ろしてくる。僕もそれに合わせるように目の穴がある辺りを見上げた。

 

「水精が水銀に入り込まれますと金精とは状態が異なります。雫さまの場合、泉が水銀の毒に犯され発狂なさるでしょう」

 

 喉がごくりとなった。無意識に唾を飲み込んだらしい。くれぐれも慎重に、水銀と直接接触しないように、と念を押される。

 

 鋺さんはすでに斧を斜めに構えている。脇構えは金精の得意な構え方らしいけど、斧でやるのはマリさんくらいだそうだ。長い刃に周囲の赤い色が反射して、本来の色がよく分からない。

 

 腰の刀から手を離して深く息を吸った。半分くらい吐き出して鋺さんに頷きを返す。


「では参ります。手筈通りに」

「はい!」

 

 鋺さんが斧を右から左へ流した。横一線に切れ目が出来る。まだ鋺さんが振りきらない内に隙間へ体を潜り込ませる。

 

 すぐに水銀が追ってくるはず。その前に!

 

 景色が赤から黒に変わる。見覚えのある広い空間だ。周りの景色が岩壁だと認識した瞬間、体が下へ引っ張られる。

 

「っうそ!?」

 

 落ちている。みるみる近くなる地面に対して意外と冷静な自分に驚きだ。

 

 前回は噴火が怖くて落ちた。同じ失敗を繰り返すわけにはいかない!

 

「渦巻く気 命じる者は 雫の……」

「間欠泉っ起きて!!」

 

 落下の衝撃を軽減するために下へ向けて噴水を発射しようとした。けど噴水の理術を使う前に大量のお湯に飲み込まれる。お湯が肌に当たる瞬間は結構痛かった。

 

「……だっ!」

 

 突然お湯がなくなって結局地面に引っ張られた。でもそんなに高い位置からじゃないから痛いだけで多分怪我はない。……痛いだけで。


「雫! 久しぶりっ!」

 

 近くで元気な声がする。探す手間が省けた。そんなに期間をあけずに会ったのにすでに懐かしい気がする。再会を喜びたいところだけどそんな暇はない。

 

「会いに来てく」  

わかちゃん、マグマ貸して!」

 

 沸ちゃんは一瞬何を言われてるか分からないようでぽかーんとしている。けど僕の切羽詰まった様子を見て何かを感じ取ったらしい。何故か沸ちゃんまでオロオロし始めた。

   

「お願い、噴火して!」 

「ふ、噴火は出来ないわ。叔父さまが眠ってるから」

 

 しまった、貴燈山は休火山になったんだった。休火山は噴火もお休みだ。メルトさん起きないかな。

 

「でもマグマならこの下で管理を代行してるけど」

「それ貸して!」

「雫さま!!」

 

 鋺さんの声が降ってくる。見上げる前に咄嗟に体が動いた。沸ちゃんに半ば体当たりでその場から飛び退く。ぎゅえっという声は聞かなかったことにしてあげよう。


 沸ちゃんから離れると今まで立っていたところが溝状にえぐられていた。遅れて細かい石が降ってくる。

 

「何なのよ!?」

「あとで説明するからっ、早く!」

 

 こんなに騒いでたら煬さんが起きるんじゃないかってちょっと期待してしまう。でもそれはそれで怒られそうだ。 

 

「噴火口の真下よ。小さい方の平盤ひらばんをめくるの」

 

 噴火口の真下……多分、前に乗せてもらった一枚岩のあたりだ。走り出した沸ちゃんの後を追う。


「雫さま、後ろ!」

 

 鋺さんの声が再び響いて振り向こうとしたけど、体が勝手にしゃがみこんだ。走っていて急にしゃがんだので足がもつれそうになる。その瞬間、頭の上で風を感じた。

 

 地面に手をついて転ぶのを回避し、更に反動をつけて起き上がる。顔を上げると走っていく沸ちゃんの背中と、ヒラヒラと揺れる銀の煌めきが映る。

 

 金魚?

 

 滑らかな銀色の小魚だ。そうさんよりもひと回り小さいだろうか。体の大きさに対して尾ひれが長く、伸びたり縮んだり不定形だ。


 一歩遅れて鋺さんが飛び降りてきた。水銀の魚と僕の間に立つ。沸ちゃんが見えなくなった。


「ご無事ですか?」

「大丈夫です。触ってません」

 

 触るだけで危険って結構厄介だ。死角に気を付けないと命取りになる。


「雫ー! マグマはここよー!」  

 

 離れたところから沸ちゃんが大声を上げている。鋺さん越しに覗くと、屈んだ体勢から大きく手を振っている。その声を聞いて金魚がゆっくり向きを変えた。

 

 今度は沸ちゃんが狙われている。まずい、沸ちゃんだって混合精ハイブリッドだけど水精だ。

 

 鏡のように灯りを反射しつつ、沸ちゃんに向けて宙を泳ぎだした。

 

「っ『氷柱演舞アイシクルダンス』!」

 

 大量の氷柱つららを無作為に生み出し、水銀に攻撃を仕掛ける。その間に鋺さんが駆け出して距離を詰めていく。

 

 以前よりも氷柱の本数が格段に増えている。数百本はありそうだ。理術の精度が上がったんだろうか。一本くらい当たることを期待しても良いかもしれない。


 そんな僕の期待を裏切るように氷柱に囲まれた水銀は一瞬で消えてしまった。当たったかどうかも定かではない。


 水銀はどこへ……?

 

 溶岩壁に囲まれていても噴火口から差し込む光で場所によってはとても明るい。その光を反射するように銀色の粒がいくつも煌めいている。まるで水滴のようだ。

 

 その粒は一ヶ所に集まってひと塊になるとさっきの金魚と同じくらいの大きさになった。ただ違うのは銀色がドリルのように尖っていて先がこちらを向いていることだ。

 

 逃げる……いやだめだ! ここで逃げたら沸ちゃんが狙われてしまう。

 

守護鎧壁デファンドール!!」

 

 僕の前に小さな金属の板が表れた。どんどん伸びて広がって板というよりもはや壁だ。確か月代で見た鋺さんの理術だ。

 

 手を伸ばしてみる。触れた瞬間、正面からドンッと何かに押されたような感覚があった。少し下を見ると壁にヒビが入っている。

 

 恐る恐る更に目線を下げる。

 

 僕の腹部に鋭利な銀色が刺さっていた。

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