54話 貴燈山へ

「雫ー、大丈夫かー」

 

 大丈夫じゃない。でもそう言う気力もない。背中を擦ってもらいながら呼吸を整える。

 

「ぅえ……」

 

 気持ち悪い。吐き気がする。さっき食べたパンがムカムカに一役買っているけど、大きな原因はそれじゃない。

 

 ひょうさんの背になんとか乗り込み、貴燈山の中腹までやって来たのは良いけど、途中からだんだん気分が悪くなってきた。

 

 焱さん曰く、乗り物酔い。そうさんに乗せてもらったときは激しく揺れても大丈夫だったけど……。波に乗る漕さんよりも風に乗る颷さんの方が揺れは少なく感じるのに、気持ち悪さは悪化していく。

 

「ダメだなこりゃ。颷、降ろしてくれ」

 

 ひょうさんがえんさんの声を聞いて、山の少し平らな場所に着地する。その下降にも体がついていかず、グルグルと目眩のような感覚がある。

 

 焱さんの肩を借りて、というよりもうほとんどおぶさるような状態で颷さんから降りる。颷さんはきっと嫌だったに違いない。でも背中で吐くことにならなくってよかった。余計に嫌われてしまうところだった。

 

 近くの岩を背もたれに足を投げ出して座る。吐き気をやり過ごして、動けるようにしたい。そうしないと結局、焱さんに迷惑をかけてしまう。

 

「颷、ご苦労さん。一旦帰っていいぞ、帰りもまた頼むな」

 

 あ、帰りもあった。絶望感が襲ってくる。でも絶望感と反比例するように、吐き気は少しおさまってきた。寄りかかった岩が温かくて、風で冷えきった体を暖めてくれたようだ。

 

「ん? どうした?」

 

 深呼吸を繰り返していると、颷さんがいなくなっていた。いつの間にいなくなったのかと視線をさ迷わせていると、焱さんの肩に動く物体が……鳥だ。


 ウグイス

 

 声は聞こえないけど、焱さんがそっちを向いて話しているから颷さんが縮んだ姿なんだろう。漕さんも大きさは自在だった。

 

 ただ、さっきまで赤や橙色の燃えるような色をしていて、やっぱり火の精霊だなぁと思っていたのに……今は少しくすんだ緑色をしていた。

 

「……お前が行くって? なん、おいコラ!」

 

 今度こそ颷さんはいなくなってしまった。上に飛んでいったから、元々いく予定だった頂上に行ったのかもしれない。

 

「ったく、聞かねーんだから」

 

 焱さんが頭をガリガリかきながら、上を見上げている。

 

「あいつは火理王の命令で動く。命令がなければ自由に行動することが許されているから、割と気分屋なんだよな。俺の言うことも聞いたり聞かなかったりすんだよなぁ」

 

 また一緒にするなって思われそうだけど、どうしても漕さんと比べてしまう。漕さんはふざけた態度だったけど、僕の強引な頼みもなんだかんだ聞いてくれたし、焱さんの伝言も引き受けてくれた。

 

 一方、颷さんは火太子の焱さんの言うことすら気まぐれにしか聞かないとすると、余程誇りを持って火理王に仕えてるんだろう。

 

「さて、行けるか?」

「うん、なんとか」

 

 気分の悪さは少し残っているけど、吐き気はなくなったし、動けないほどじゃない。温かい岩から背を離して立ち上がり、山を見上げる。

 

 貴燈山きたいさんだ。ほとんどが岩で出来ていて、木も草もまばらに生えているだけだ。この岩山を登って行くのは中々大変そうだ。

 

 今頃は頂上に着いていただろうに、僕が足を引っ張ったせいで危険なクライミングをすることになってしまった。これ以上迷惑かけないように頑張って登ろうと、気合いを入れて岩に手を伸ばす。

 

「雫、こっちに通路あるから」

 

 僕の気合いを返して。

 

 焱さんの指し示す方をみると岩が重なっているように見えるところが、通れるようになっていた。ここから山の中に通じているのだろう。

 

「俺たちが来たのに気づいて、道を開いたんだろう」

 

 そういえば先触れを出すって言って矢文を送ったんだった。来ることは分かっていただろうし、この火山の主なら誰かが入ってくれば分かるはず。

 

 岩にかけた手をそっと外し、焱さんに続いて通路へ足を踏み入れた。何だか探検しているみたいでちょっとワクワクしてきた。

 

 初めのうちは暗くてよく見えなかったけど、だんだん目が慣れてきた。それに奥に進むにつれて両壁に設置された灯りが増えてきて、外と大差ない明るさになっていた。

 

 狭くて長い通路を進むと少し広い場所へ抜けた。明るくて暖かい。火山って言うからもっと暑くて仕方がないと思っていたけど、案外そんなことないみたいだ。

 

「遅くなって失礼」

 

 突然かけられた声にびっくりして、反応できなかった。正面に誰か立っている。いつからいたのか全く気づかなかった。最初からそこにいたかのようだ。

 

 焱さんは気づいていたかもしれないけど、僕は全然気配を感じとることが出来なかった。もっと注意を払うべきだったな。

 

「この度は王太子 焱さまのご来訪、心より嬉しく思っております」

「出迎えご苦労」

 

 近づいてきたのは青年だった。僕よりも、焱さんよりもずっと年上に見える。細身の紳士的な精霊で黒い髪に臙脂色のスーツ。揃いの帽子を手に持って、片膝をつき焱さんを出迎えた。両手とも黒い手袋をはめている。おしゃれだ。

 

「頂上の方へお越しかと。待機しておりましたら、こちらへ着いたという知らせを受けまして、慌ててやって来た次第でございます。どうか怠惰をお許しください」

「楽に」

 

 その予想は合っているけど、焱さんは短くしか答えなかった。僕のせいで途中下車ならぬ途中下鳥したことには触れない。

 

「……そちらは」

「あ、はじめ」

「水理王専属の雫だ。その度、火・水両理王の命によって視察に同行している」

 

 焱さんがいつもより少し早口で僕の言葉を遮った。僕に喋らせたくないみたいだ。

 

「左様で。よくいらした」

「……っとまぁ、堅苦しい挨拶はこの辺にしようぜ」

 

 焱さんの態度が急に変わった。堅苦しい雰囲気を壊して、ちょっとだけ親しみを持った言い方だ。

 

「久しぶりだな、メルト

「あぁ。お前が王太子になってからは初めてだな」

 

 知り合いだったらしい。向こうの火精は帽子を深く被ってしまって、表情は伺えなかった。

 

「まぁ、なんだ。大したもてなしは出来ないが、とりあえず中へ入ってくれ。そちらの水精も」

  

 手で中へ入るよう促され、焱さんがそれに従う。僕もその後に続いた。僕との距離を詰めて、焱さんが小声で話しかけてきた。

 

「あいつは俺の友だちなんだよ」

「友だち?」

「あぁ。火精は寿命が短いって前にも言ったろ? オレは太子になってから加齢が緩やかだが、そうじゃなければ俺もあいつくらいだ」

 

 そうなんだ。見た目の年齢差があると思った。

 

「おい、聞こえてるぞ。誰が年寄りだって?」

 

 メルトさんが振り向かずにふふんっと笑いながら、冗談めかしていう。友だちっていうくらいだから仲は良いんだろう。

 

 でも仲が良いのに、さっき……面倒だって言ってた気が……。

 

 ここに来る前に、焱さんは確かそう呟いたはず。メルトさんの後ろ姿を見ながら、焱さんの言葉の意味を考えていたけど、カツ……カツ……という規則的な音に思考を遮られてしまった。

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