53話 火付け役

「まだ駄目だったか。でももう少しだな!」


 完全に泉に沈んでしまった僕は何とか泳いで渕まで上がった。さっきは完全には沈まなかったのに、今度は底まで着いてしまったので水面が遠かった。

 

 全身に沁み渡るような感覚もなく、その代わりすべて拒絶されたように服も一切濡れていなかった。

 

「実際に行けば切欠になるかも、って……漣先生が言ってたんだけどな」

 

 焱さんは励ましてくれるけど、泉の水と一体になるのが心地よくて少し調子に乗ったかもしれない。先生に怒られそうだ。

 

「まぁ、でも多少は分かっただろ? 使い方」

「うん、何となくだけど」

 

 また調子に乗らないようにしつつ、今の感覚を忘れないでおこう。先生みたいに自分が持っている理力を使えるようになりたいし。そうしないと、また襲われた時に同じ失敗をするかもしれない。

 

 出来れば襲われたくはないけど、こうして出掛けている以上、危険は付き物だ。焱さんにもなるべく迷惑をかけたくない。

 

 泉を見つめながら、試しに自分の理力を使ってみることにする。

 

「『真水球マイボール』」


 泉の水面が僅かに揺れて、左手に水球が出てきた。普通の水球と見た目は同じだけど、これは僕の泉の水だ。自分の水でちゃんと水球を作ることが出来た。

 

 作った水球をそのまま泉に戻す。昔よりも圧倒的に水量の増えた泉は、少しくらい水球で消費しても影響無さそうだけど、使い道がなかったので戻しておく。

 

 僕がそんなことをしている間に、焱さんが昼食の支度をしていた。こんがり焼けたパンの香りに食欲をそそられる。

 

「焼きたてだぞ」

「焼きすぎだよ」


 焱さんの火力が強くてちょっと黒くなっているけど香ばしさが鼻をくすぐる。焼きすぎたパンの上に煮詰めた果実を乗せて、簡単だけど満たされる食事をとった。

 

 短時間の食事をほぼ終えると、ドスッと焱さんの隣に棒が落ちてきた。地面に突き刺さって小刻みに震えている棒をよく見ると、焱さんの矢だ。

 

「おー、帰ってきたか」

 

 さっき手紙を結びつけた矢だったけど、手紙はなくなっていた。受け取ったってことかな。

 

「よーし、先触れは行ったな。いつでも行って大丈夫だ」


 焱さんが服にたまったパンくずを手で払いながら立ち上がる。ここから南下して火山に向かうんだろう。

 

「どれくらいかかるの?」

 

 氷飲器アイスグラスで泉の水を直に汲む。それを焱さんに渡しながら尋ねてみた。

 

「すぐだと思うぞ?」


 そんな近くにあるのに火山らしき山は見えない。僕が辺りを見回している間に、焱さんはグラスの水を一気に飲んでしまった。ぷはーという声が聞こえそうだ。

 

「……あぁ、満たされる」

「喉渇いてた?言ってくれればすぐに出したのに」

「いや、そうじゃねぇけど。前に言われたろ、涙湧泉は純度が高くて理力が濃いって。火精の俺でも癒される。美蛇が狙うわけだ」

 

 僕も飲んでみたけど、どうということもない。ただ、パンで渇いてた喉が潤されただけで、焱さんが何を言ってるか理解できない。

 

「さてと、そろそろこっちも……来たな」

「?」

 

 焱さんが僕を見たまま人差し指を上に向ける。それとほぼ同時にふと影が射し、それはどんどん大きくなって風も出てきた。焱さんが指差す方を見上げると、巨大な影が真上に迫っていた。

 

「も」

 

 もって何だ。思ったように声が出なくて、驚きすぎると声が出ないということを痛感した。でも焱さんは驚いていないようで、むしろ待っていた様子だ。

 

 これって……鳥だよね


 大きすぎて全体がよく分からないけど、バサバサという音と共に着地した様子を見ると、鳥で間違いないと思う。長身の焱さんでも頭がくちばしにすら届いていない。

 

「こいつは火付役インスティゲーターひょう。俺たちを貴燈山きたいさんまで運んでくれる」

「いんし……げた?」

 

 よく聞き取れなかったし、舌を噛みそうだ。

 

「インスティゲーター。水理王専属水先人パイロットの火理王版だとでも思えばいい」

 

 焱さんがそう言うと、ひょうさんがバサバサと羽を動かした。風が肌を打って顔が痛い。

 

「う、わ」

「分かった分かった。そうと一緒にすんなって言いたいんだろ。悪かったって」

 

 風が巻き上がったことで目にごみが入ったみたいだ。ごろごろする。手で泉の水を掬い、目を洗った。

 

「我慢しろよ、火理王の許可も貰ってんだぞ」


 えんさんがひょうさんのことを宥めている。スッキリした目で改めて見ると、焱さんが腕を伸ばし、颷さんのくちばし付近を撫でている。

 

「あぁ、悪い。こいつ水精苦手なんだよ」


 え。さっき運んでくれるって言ってたけど大丈夫なの、それ。

 

「イテテテッ! 分かったから! 苦手じゃなくて嫌いだっつーんだろ」

 

 もっと駄目じゃん。颷さんは焱さんの頭をつついて、抗議している。絶対痛い。

 

 火の精霊だったら水が苦手でも仕方ないけど、初対面で嫌いって言われるとちょっと切ない。

 

「えーっと……じゃあ、僕は歩いて行くよ?」


 僕がそう言うと、颷さんがギョロリと目玉を動かした。隣に立つ焱さんの頭くらいある目だ。颷さんがまともに僕を見たのは初めてだ。フンッと鼻で笑われた気がした。鼻がどこにあるのか分からないけど。

 

「歩いて行ったら、何ヵ月かかるか……ん、何だよ?」

 

 歩いて行ける距離じゃないのか……。ひょうさん乗せてくれるかな。王館の関係者から敵意を向けられたのは初めてだ。

 

 声は聞こえないけど、焱さんと颷さんが会話をしている。どうやって喋ってるんだろう。

 

「我が儘言うなよ、さっきも言ったけど火理王おかみの許可でもあり命令だぞ」

 

 あぁ、やっぱり僕のこと運ぶの嫌がってるんだ。どうしよう。歩いていくのがダメなら行けるところまで川を遡って……

 

「分かったっつーの。後でぎょうから蚯蚓ミミズの上物、貰っといてやるから」

 

 蚯蚓ミミズが好物らしい。蚯蚓ミミズの上物ってどんなのだろう。糸蚯蚓イトミミズなら僕も用意できるけど、あげたら仲良くなれるかな。

 

「いい加減にしろ!」

 

 焱さんが大きな声を出した。僕の方が驚いてしまう。

 

「そんな貴重な実を用意できるか! 大体、木理皇上はまだ病床だ。只でさえ、森は大変なんだ、そんなもの分けてくれなんて言えるか!」

 

 実って言った? 颷さん雑食? それと木理王は病気って言った? 情報が多くて頭が整理できない。

 

 でも颷さんがプイッと反対を向いてしまったので、会話は終わったようだ。焱さんはため息をついている。

 

「じゃ、行くか」

 

 何か心配だ。途中で振り落とされないだろうか。焱さんは颷さんの閉じた羽を宥めるように撫でている。二人で颷さんの横に回り込んだけど、乗り方が分からない。

 

「羽の付け根を持って、そう。次はここに足をかけ……おい、颷! 雫に何かしてみろ、只じゃおかねぇからな」

 

 小さく身震いした颷さんに、焱さんがちょっと声を低くして威嚇する。先行きが不安だ。

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