36話 vs美蛇江
水鏡に映る三人は母の河で僕を襲ってきた三人だ。
「母の河を飲むなど恐れ多い……私は母の意思をお伝えするために、その姿を借りて参上したまでのこと」
兄は
「ご覧の通り、我が母は間もなく死に至るでしょう」
淡々と告げる。何の感情もなく……いや、自信が顔に表れている。母上が危篤なのに何故こんなに嬉しそうなんだ。
「精霊として魂の死です。よって、その本体の理力を受け継ぎ、私の
兄が立ち止まる。口元には品のない笑みが浮かんだままだ。隣に付いてきた水鏡には相変わらずぐったりした母上が映っている。
「母も私にその理力を使われるなら本望と申しておりました」
「……母上に何かしたのですか?」
何故かは分からないが、兄の言葉が瞬時に嘘だと分かった。僕と目も合わせずにいた兄だが、淼さまが答えないので、僕の相手をする気になったようだ。
「
兄上はそれだけ言うと、顎を上げて僕のことを蔑むような目付きをした。他の兄弟と同じ目だ。
「なるほど……言い分は分かった。華龍はあくまでも自然に失われると言うわけだな? そして、美蛇はその理力を受け継ぐのにふさわしいと、そういうことか?」
驚いて淼(びょう)さまを振り返る。淼さまは腕組みをしたまま玉座に戻っていった。
「はっ、左様でございます」
兄は満面の笑みで玉座の正面に跪いた。淼さまは兄を昇格させるつもりなのだろうか。母の姿を騙り、五人の兄弟を消そうとし、僕の理力を奪おうとしたこの兄を……。
「
破裂した泡で謁見の間はあちこちボロボロになっていた。
「だが、そなたが
刹那、ズシンッと体が重くなる。立っていられなくて、両膝をついてしまった。腰から下に重りをつけられたような、あるいは、床から何かに引っ張られているような。
両手の指先で床に触れる。大丈夫だ、動ける。顔をあげると、兄が床に這いつくばっていた。
「どうした?
「くっ……ぅ、なん」
「
あ、確かに。僕より兄の方が辛そうだ。
「無様だな」
さっきも聞いた台詞だ。強くて、凛々しくて、優しい兄はどこにいってしまったのだろう。兄弟に蔑まれる僕を、いつも守ってくれたのに。
そこまで考えて疑問を感じた。守ってくれたことなんてあったか、と。
先ほど
何故、そんな回りくどいことを……
「く……っそ。『水球乱発』」
兄がこの期に及んで水球をたくさん生み出した。でもおかしい。周りの理力が流れた感じがしない。どんなに簡単な理術でも多少の理力の変化はあるはず……。だとすると、あれは兄の本体、
「散れ!」
水球がパッと弾けると、水球ひとつひとつから薄紫色の不定形物体が出てきた。何だろう、これ。ひとつひとつはとても小さいけど、一ヶ所に集まって、大きなひとつの塊になった。僕の寝床くらいあるんじゃないだろうか。
「はっ、いくら水理王と言えど
「……」
兄は這いつくばったままだったが、よくしゃべる。紫色の大きな物体が玉座に向けて飛びかかった。
「淼さま!」
「どうしました、御上。この威圧を解除し、私を
紫の物体は淼さまに辿り着く直前に消えてしまった。僕が見ている前で何の音も立てずに。
「……水理王を喰えるわけないだろう」
「くっ……なら」
「!」
兄は僕に水球を投げてきた。顔の前で弾ける。
「はっ、どうです、御上? 雫の命が惜しければ私を昇格させることです!」
またさっきの紫の色のぐにゃぐにゃがいるんだろうか、見えなかったけど。前髪から滴る雫を手で払う。
「……御上! 雫が脱け殻になっても良いのですか?」
淼さまは黙っているし、兄が床にくっついて言う姿は迫力がない。それより僕は今何をされたのだろう?
「……おい、なぜ平気なんだ」
「え?」
「もう、そろそろおかしくなっても良いだろう!?」
何言ってるんだろう、この
「無駄だ。雫に
「! っくそ! だから前も……」
「余の番か?」
淼さまが玉座に座ったまま指をパチンとならした。次の瞬間、床にいる兄から爆発音が聞こえた。もくもくと
兄はどこにいったのか。
「さて、観念して裁きを受けるか?」
「諦めろ。水理王を
視界が晴れてきた。兄は……いない。と思ったら少し離れた兄弟の元へ向かっていた。ボロボロの服に、剥き出しになった腕、足を引きずりながら進む姿は、かなり怖い。
「寄越せ……」
五人の理力を奪う気だ。五人は気絶していて気づいていない。どうしたら良いのかわからないけど、右足を踏み出していた。
「雫、動くんじゃない」
「でも」
「いずれも罪がある。罪人同士の争いに理王である私が手を出すことは出来ない」
「で……でも」
「いいからあれに任せておきなさい」
あれに?
「『
兄が氷柱のドームに閉じ込められた。中の様子はよく分からないが、兄の手が中から氷柱を掴んでいるのが見える。この声は!
「情けないのぅ。たかが
聞き覚えのある声だ。キョロキョロ見渡しても姿は見えない。
「っくしょう!……っそ、お前らやれ! さっさと華龍を殺せ!!」
兄が氷柱牢獄の中から、まだ浮いている水鏡に向かって叫んでいる。母に付き添っている三人に向けて言っているみたいだ。まずい! 母上が危ない!
「『お前ら』とは……
玉座の正面にある入り口から先生が現れた。右手でひとりの襟首を掴み、左手でもうひとりの喉元を押さえながら引き摺っている。あとひとりは足でゴロゴロ転がしている。
「全く……
すごい……。お年寄りとは一体……。先生はポイポイッと軽々二人を投げると、最後のひとりを大きく蹴り飛ばした。弧を描いて兄の氷柱牢獄の上に落ちる。大きな音を立てながら氷柱が粉々になった。
「……ぅうっ」
氷と弟たちに潰された兄は呻き声をあげているようだ。先生は少しだけ兄との距離を詰めた。
「観念せよ、美蛇江
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