35話 黒幕登場

『ははうえー、その子だぁれ?』

『あなたたちの弟ですよ』

『弟!?』

『僕たちもお兄ちゃんになるの?』

『そうですよ、抱いてみますか?』

 

 一人の女性が抱く子に群がるたくさんの子供たち。

 

『いいの?』

『ずるい! 私もー!』

『僕が先だよ!』

『ははうえ、この子、名前は何て言うの?』

『名を持って生まれなかったので、るいと名付けました』

 

 ひとりは母の膝に手を置き、ひとりは赤ん坊の髪に触れ、またひとりは遠巻きに見て……さまざまな反応を見せる。

 

『るい?』

『ええ、そうですよ。るいは理力が弱いので、皆よりも地位が低い季位ディルになります』

季位ディル叔位カールじゃないのー?』

 

 更に子供が集まってきた。年長な者ほど少し離れたところに立っている。

 

『そうです。そして、叔位カールとは季位ディルを守る者。皆、弱くて小さなるいを守って、仲良くできますね?』

『はーい!』 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「母上は僕を『るい』と名づけた」

 

 母上はゆっくりはっきり口角を上げた。いや、母上じゃない。母上はこんな下品な笑い方はしない。

 

「誰だ」

 

 自分の口調が強くなっていることに気づいた。多分、緊張と恐怖が原因だ。怒りもあるのかもしれない。

 

「ふふふふ、本当に悪い子ですね」


 理力の流れを感じとる。恐らく何かを打ち込んでくる。攻撃に備えて体勢を低くし、足を少しだけ開く。

 

「『波弾泡はだんほう』」

 

 水球かと思ったけど、見たことのない理術だ。たくさんの泡が発生した。泡に電飾が映って、まるで夜空の星の中に母上が立っているかのようだ。

 

 母上の姿をした奴は人差し指を上に向けたあと、その指をまっすぐ僕に向けた。瞬間、無数の泡が僕を目掛けて飛んできた。

 

「っ!」

 

 ほとんど無意識に左に跳んだ。振動を感じて右を見ると、今僕が立っていたところで泡が爆発していた。咄嗟に離したほうきは粉々になっていた。

 

「ぅわ!」

余所見よそみとは余裕ですね」

 

 次の泡が飛んできて、目の前で弾けた。反射的に手を顔の前でクロスする。この泡、弾けたあと水蒸気に変わって視界が悪くなる。次第に当たりにもやが満ちてくる。視界が悪くなると、先生の言葉が甦る。

 

 ーー理力を辿れば、敵の……

 

「考え事ですか?」

 

 ハッとしたときには遅かった。もやの中からいきなり目の前に現れた『敵』に気づかず、思い切り腹部を蹴られた。玉座下の段差まで飛ばされる。

 

「げっ……はっ、ごほっ、はっ」

 

 段差に背中を思い切りぶつけた。息が苦しい。お腹も背中も痛いけど、それより呼吸が難しい。

 

「あらあら、可哀想に」


 可哀想なんてちっとも思っていない声だ。たくさんの泡を引き連れたまま、ゆっくりと僕に近づいてくる。起き上がらなくては。

 

「……あなたでも良いのですよ?」

 

 起き上がれない僕の目の前にしゃがみこみ、口調だけは優しげに話しかけてくる。碧色の髪が床を這っている。

 

「美蛇の昇格に必要なのは、純水一滴分の理力。『一滴の雫』でも充分足りるのですよ」

 

 母上の声で、母上の姿で、びょうさまから貰ったの名を呼ぶな……。苦しさをこらえて詠唱を試みる。

 

「水の塵 命じる」

「おやおや、氷石ロック

 

 声が出ない。 氷石を詰められた。喉に氷が張り付いて、痛いのを通り越して焼けるようだ。

 

「つくづく悪い子ですねぇ。母に逆らうなんて。そんな子に育てた覚えはないのですが……」

 

 お前に育てられてはいない! そう叫びたいが、ただでさえ苦しい息がより苦しくなってしまった。

 

「水の塵……といえばブリザード。上級理術まで扱うのですか」


 青白い手を僕の方に伸ばしてきた。頭に手を乗せられる。

 

「放っておくと、後々のちのち面倒になりそうなので、当初の予定通りあなたの理力を奪うことにしましょう」

 

 気持ち悪いこの手を避けてほしい。効果はないと思うけど、思い切り睨みつけた。鼻で笑われる。

 

「心配いりませんよ、雫。痛みも苦しみもありませんし、御上にはうまく伝えて上げますからね。雫は兄と姉の代わりに、自分を使ってくれるように嘆願して参りました、と」

 

 随分とご都合主義だ。そんな考え良く思いつくものだ。僕は逆に酸欠で頭がくらくらしてよく考えられない。

 

「さぁ、寄越しなさい」

 

 優しげな声でゆっくりと頭を撫でられる。一気に吐き気とだるさが襲ってきた。

 

 が、それは一瞬で終わる。奴が急に僕から飛び退いたのだ。目で追っているとゴロゴロと転がり、五人の兄姉が閉じ込められている氷柱牢獄にぶつかったようだ。

 

「ぉおうお、ぅぐ、き、さま、なに、をぉ」


 母上の顔をした者はみるみる顔を歪めている。苦悶の表情を浮かべている。何が起こったんだ。

 

「『昇華』」

 

 上の方から声が聞こえて、氷柱牢獄がなくなった。僕の喉の詰まりも消えて息ができるようになった。喉はじんじんするし、打った背中と蹴られたお腹もまだ痛むけど、肘を支えにして起き上がる。

 

「無様だね」

 

 近くで声がしたので反射的に飛び上がった。

  

「あ、びょうさ……御上」


 淼さまは僕ではなく、のたうち回る奴を見ていた。氷柱牢獄はなくなっている。淼さまの昇華の一言で一緒に消えたんだろう。


「お、ぉお御上! その者はわたくしの謁見を邪魔いたしました! 何卒お裁きをぉぉ」

  

 氷柱牢獄がなくなったのに中の五人は静かなままだ。と思ったら気絶している。近くであんなに大声で叫ばれても起きる様子はない。

 

「無様だな……ルール違反はお前の方だろう? 叔位カールの分際で、私の謁見に臨むとは良い度胸」

「なっ……私めは仲位ヴェルでございます! 御上に謁見する権利が」

「真に高位精霊なら、先ほど雫から奪った余の一滴に耐えられるはずだが?」

「!!」

 

 僕の呼吸も落ち着いてきた。立ち上がって淼さまの前に立つ。母上の姿の奴は、離れたところでペッと唾を吐き出した。母上の姿でそんな野蛮なことをするなんて。

 

「はっ……ふ、ふぅ危ない。は、御上の理力に飲み込まれるところでした。教えてくださるとは流石にお優しいですね。御上」

 

 話し方が変わった。開き直って、本性を表したのだろうか。足元から渦が起こって母の姿を水柱が飲み込んだ。

 

「蛇が出るか、鬼が出るか」

 

 びょうさまの呟きのあと、すぐに水柱が消える。中から現れたのは、母上と同じ深い碧の髪、青みがかったグレーの瞳、母上より背の高い姿。

 

「……兄上」  

 

 僕が見間違えるはずがない人物。いつも僕に優しかったはずの美蛇の兄。何故……僕を襲うの?

 

「華龍の姿を取るか……華龍を飲んだのか?」

 

 淼さまの静かな声が響く。怒りを孕んでいるのがよく分かる。兄はその質問を無視し、手で大きな円を描くと、宙に水鏡を作った。そこに映るのは……

 

「母上!」

 

 仰向けに横たわる母、それを取り囲む三人の精霊。

 

兄が勝ち誇ったように笑みを深くした。

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