34話 雫と華龍河

「母上……」

 

 声に出してはみたものの、きっと届いていないだろう。

 

 震えが止まらなくて、後ろの壁に寄りかかる。

 

 今、何て言った?

 

叔位カール五名の理力をもって、美蛇江 こう仲位ヴェル昇格をお願いしたく存じます」


 母上の後ろにいる五名を見ると目を見開いてはいるが声を出したり、暴れたりする様子はない。目を凝らしてみると水の輪っかのような物で動けないようにされているみたいだ。きっと声も出せないのだろう。

 

「……なるほど、それで此度の罰に代えようというわけか」

 

 びょうさまは特に驚く様子もなく、頷いている。僕のことをさげすんで、嫌っている兄姉だけど、母上にとっては自分の子供であることに変わりはないはず……。それなのに美蛇みだの兄上のために消そうとするなんて。母上にそんな残酷な面があったなんて、ちょっとショックだ。


「はい。お許しいただけるならば」

「……ふむ」

 

 僕はびょうさまを見上げた。意外なことに淼さまも僕を見ていた。何か言いたそうだけど、僕が話しかけるのは厳禁だ。淼さまも僕に話しかけはしない。謁見に口を出すことはできない。

 

「……許そう」

「ありがとう存じます」 

 

 信じられないという顔をしている五人。首を振って、母上と同じ碧色の髪がサラサラと揺らす。当たり前だけど、拒絶の意を示しているようだ。きっと僕も五人と同じような表情かおをしていると思う。

 

「ただしこの場で、そなた自らが手を下すというならば、な」

 

 びょうさま!?

 淼さまは母上に向かって子供に手を下せと命じたのだ。優しい淼さまがそんなこと言うわけない! 真意の分からない淼さまの言葉で頭がパニックだ。

 

「かしこまりました」


 母上がゆっくりと後ろを振り向く。母上は無表情だった。一瞬、僕の方にも体が向いたが、僕には目もくれなかった。

 

「母上」

 

 小さな声で呼び掛けてみる。母上は反応しない。

 

「御上、この場にて理術を使うことをお許しいただけますか?」

「許す。好きにせよ」

 

 どうしよう、母上は左手を前に出して五人の子供たちに向けている。何かぶつぶつという声が聞こえる。でも何を言っているか分からない。

 

「『氷柱牢獄』」

 

 スガガガッと耳障みみざわりな音とすごい振動がして、五兄弟がドーム型に組まれた氷柱の中に閉じ込められていた。捕縛されていて動けないのに、閉じ込める意味はあるのだろうか。

 

「雫には仕掛けたのはこれでしたね……『氷柱演舞』」

 

 組まれた氷柱の隙間を縫って、無数の氷柱が五人目に突き刺さる。

 

「うぅ」

「……」

「ぐぅっ」


 呻き声らしいものは何人か辛うじて聞こえた。抵抗もできないまま氷柱が刺さった姿は、見ていて気持ちの良いものではない。残酷だ。

 

「次は水球ボールを投げつけたのでしたね? 顔は十点でしたか?」

 

 そういう母上の周りにはすでに水球がたくさん浮かんでいる。

 

「母上!!」

 

 気づけば叫んでいた。流石に大きな声だったので聞こえたのだろう。母上はゆっくりと顔を僕に向けた。

 

「どうしました、雫」

「あ……あの、お止めください」

 

 母上は口角をうっすらと上げ穏やかな様子だが、それが逆に恐ろしい。

 

「雫、謁見に口を挟んではいけませんよ」

 

 淼さまにもそう言われていた。それがルールであると。でも……何だ? 違和感がある。

 

「余は少し席を外す。戻るまでに終わらせるように」


 淼さまが席を立った。謁見用の襟が高い服を着ている。パリッとさせた襟に指を二本入れながら、淼さまは出ていった。

 

「……母上」

「雫、御上おかみが戻る前にこれを処理するのです。雫もよく見ておきなさい」

「母上っ」

「私の可愛い雫をあのような目に遭わせるなど、私の子ではありません」

 

 五兄弟は息も絶え絶えという様子で苦しそうだ。いくらなんでもこれは……。

 

「『水球乱発』」

「っ『水壁』!」

 

 とっさに出した水壁で水球を吸収した。王館内に満ちた理力のお陰で、僕でも詠唱を省略できた。といっても母上の氷柱牢獄の前では僕の水壁なんて貧弱だけど。

 

「……雫、何をするのですか?」

「母上、お止めください。兄上の理力のことならきっと他にも方法があるはずです。こんな」

「御上に許可をいただいたのですよ? それを邪魔するのですか?」

 

 母上の顔にうっすら残っていた笑みが消えた。右手の指をパチンと鳴らすと、氷柱牢獄はそのままに僕の水壁が消えてしまった。


「ところで雫はいつから理術を使えるようになったのです? 私の記憶では泉が涸れてから使えなくなっていたはずですが」

「今、それは関係ありません。あれを解除して上げてください」

 

 母上が首をかしげたことで髪が床を撫でた。首をそのままに僕に向かって一歩踏み込んできた。思わず後ずさるけど、そもそも後ろは壁だった。

 

「ははう」

「悪い子ですね。母の質問にも答えず、兄の昇格の邪魔をし、御上のご采配も無視するとは」

 

 母上が一歩、二歩と近づいてくる。豪華な電飾が母上の髪を白く照らしている。


「雫はいつからそんな子になったのですか? あんなに素直で従順でしたのに」


 母上の元に理力が集まっているのを感じる。

 

「『 氷柱演舞』」

「っ!」

 

 氷柱が僕の服を掠める。後ろの壁に刺さっていた。幸い体には当たらなかったが、鍾乳洞の襲撃を思い出した。へなへなと力が抜けて床に座ってしまう。持っていたバケツがカラカラと音を立てて、転がっていった。

 

「そのまま大人しくしていらっしゃい」

 

 母上は少しだけ近寄ってきて僕を見下ろした。天井の電飾が母上の背後に映る。逆光で母上の表情が分からない。

 

 ……分からない? いや、分かる。母上は……笑っている。顔は見えないはずなのに笑っているのがはっきり分かる。これには見覚えがある。いつ? どこで?

 

 顔を上げると母上はもう近くにはいなかった。子供たちにとどめを刺そうとしているのか、理力の集まり方が尋常じゃない。

 

 僕のところからだとよくは見えないが、五人は抵抗しようとする者、嘆く者、ただ痛みに苦しむ者、バラバラだ。最期のときが迫ってパニックになる者もいる。 


 僕にも最期の時があった。

 

 泉が涸れた時だ。あの日……あの日も逆光が眩しくて、それから……逆光の中で微かに見えたのは。

 

 

「……あなたは誰?」

 

 自然に口から出た疑問だ。母上はピタッと足を止めて再び僕を振り返った。

 

「何を言っているのですか、雫?」

「……あなたは誰ですか?」

 

 僕はほうきを支えにして立ち上がった。母上と向かい合う。

 

「あなたの母ですよ、愛しい雫」

「ちがう」

 

 確信した。さっきから違和感があったけど、今の台詞ではっきり分かった。

 

「母上は、僕を『雫』とは呼ばない」

 

 僕の中から、ピシリッという氷が割れる音が聞こえた。

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