33話 華龍河の登城

「おや、お帰り」

「ただいま戻りました」

 

 しばらくして兄上が帰ったので、僕もびょうさまの執務室に戻ってきた。僕の戻る場所が執務室っておかしい気がする。

 

「思いの外、早かったね。もう少しゆっくり話してきても良かったのに」

「はい、母に知らせるとかで、兄はあれからすぐに帰りました」

 

 カチャカチャといつもの流れで茶器カップを取り出す。

 

「そう。雫のお客を取ってしまったようで悪かったね」

「いえ、とんでもない! 淼さまとお話できて兄も光栄だったと思います」

 

 僕だってそうだ。同じ部屋にいるのは水理王だ。忘れているわけではないが、時々僕の置かれている立場を確認しないと。

 

 そう思いつつもびょうさまにお茶を差し出す。この行為だって、僕がしていること自体がおかしいんだ。

 

「あの……淼さま」

「ん?」

 

 淼さまは書類からわざわざ顔をあげてくれた。そのついでのように置いたばかりの茶器に手を伸ばす。


「もし……もし、兄が昇格して、側近として王館に上がったら」

「うん」

 

 書類を片手に持ったまま、淼さまが茶器に口をつけた。熱くはないと思う。八分の熱さまで冷ましてある。

 

「僕は出ていって方がいいでしょうか?」

「!?」 

 

 淼さまの服と書類がうっすら染まっている。どうやらお茶を吹き出したらしい。

 

「な……何だって?」

 

 淼さまは手をヒラヒラさせて服と紙を乾かしている。書類はクタッとしてしまっている。


「もし兄上が」

「いや、待て」

 

 手を止めて、僕を手招きした。

 

「どうしてそういう考えになるのかな?」

「だって……」

 

 そう。最初は、兄上が王館に上がったら、相談にのってもらえるかなと思っていた。でも、兄上と二人で話をしているうちに、よく考えたら、兄上が来たら僕は必要ないんじゃないかと思ってしまった。

 

 兄上の方が断然僕より強いし、賢いし。昇格も間近だし。

 

「雫、待ちなさい。美蛇は昇格したら側近にしようとは思っているが、雫は側近じゃないんだから関係ないだろう」

「兄上の方がお役に立てるかと思って……」

 

 びょうさまは額に手を当ててしまった。うーんというかすかな声が聞こえる。

 

「雫、何度も言うようだけど、雫には感謝してる。それに身の回りの世話をしてもらうのに、階級とか地位とかそういうものは必要ない」

 

 淼さまの目を見るといつもの濃く光る色をしていた。


「兄と比べる必要はない。だからそんなこと考えるんじゃない。追い出したりしない」

「でも」

「雫、これ以上言うと怒るよ。前にも言ったけど、もう少し私を信用してほしいな」

 

 淼さまが眉間にシワを寄せている。僕と話していてこういう表情は珍しい。なんだか僕が悪いことをしているようだ。

 

「申し訳ありません。少し不安になって」

「……まぁ、気持ちは分からないでもないけど」

 

 びょうさまが持ったままの書類を離した。パラッと音がする。


「それから、雫はまだ理術を学び終えていない。勉強には終わりはないと言うが、せめて師匠にお墨付きを貰うまでは続けなさい」

 

 またさとされてしまった。そういえば指南書テキストってどれくらいあるんだろう。先生が戻ったら聞いてみよ。

 

「ああ、話は変わるけど」

 

 もう一方の手で持っていた茶器をソーサーに戻す。カチャンと言う音が控えめに聞こえた。

 

「おそらくだけど、例え体調が悪くても華龍どのは登城するだろう」

「……僕もそう思います」

「やはりね、華龍どのには数回会っているが、そういう方だったと記憶している」

 

 体調が良ければという条件付きの命令だけど、母は自分の都合で動くようなことはしないはずだ。

 

「明日か明後日には来ることを想定して、謁見には雫も立ち会うと良い」

「え?」

 

 それって僕が立ち会っても大丈夫なんだろうか? 確かに僕は身内だけど……

 

「まぁ、ほんとは駄目だけどね。当事者以外は発言も出来ない」

 

 ですよね。季位ディルですから。


「雫にはタイミング良く、謁見の間の掃除をしてもらおうかな」

 

 ん?

 

 

 

 

 

 


 

 

 ーー翌々日

 

 

 頭に布、右手にほうき、左手にバケツと雑巾を持って、未だかつて入ったことのない謁見の間に来ていた。

 

 実際に掃除できるわけもなく、邪魔にならないよう壁にくっついている僕。でもあくまでも掃除に来てるんですと言い張らなくては。一体誰に言い張るというのか。

 

 僕から見て右側には少し高い位置の玉座に座る水理王 びょうさま。そして、左側には……


仲位ヴェル 華龍河 きよら 参上いたしました」

 

 深い碧色の髪を床まで垂らし跪く僕の母上。 

 

「大義である。後ろの五名は何だ」

「恐れながら、この度鍾乳洞にて襲撃事件を起こしました我が子らでございます」

 

 と、僕の兄姉。母上に連れてこられたのだろう。捕縛されて口も何かで塞がれている。水理王を前にして大人しい。

 

「連行の命は出していないが?」

「はい、この者たちは本来ならば私めが処分するべきところではございます。しかし、子のことでございます。母としては甘い判断になる恐れがあり、御上のご判断を仰ぎたく、誠に勝手ながら連行いたしました」 

 

 母上、結構厳しいんだ。僕には優しい記憶しかないけど、もしかしたら覚えていないだけで実は厳しかったのかな。

 

「さようか。それはあとにするが良いか?」

「はい」

「まずは楽にされよ。体の調子はいかがか?」

「ありがとうございます。本日は体調も良く問題ございません。お気づかい感謝致します」

 

 母上は頭を上げながら、ちらっと僕に目を向けた。右耳の上に軽く手を添えている。

 

 あ、僕がさしあげた櫛……まだ付けてくれてる。

 

 母の右耳の上には竹で作られた櫛が控えめに乗っていた。ちょっとだけ嬉しい。

 

「さて」

 

 淼さまのちょっとだけ低い声が響く。僕はすることがないので、とりあえず豪華な装飾の天井を眺めていた。

 

叔位カール 美蛇江の昇格については聞いておるな? 率直に聞くが、そなたはどう思う?」

 

 いきなり本題だ。母上の承諾がなければきっと、びょうさまは兄上を昇格させないだろう。

 

「我が子、美蛇の昇格については私が反対することは何もございません。御上のご意思となれば尚のこと。また王館に迎えてくださるとのお言葉も頂きましたそうで、母として嬉しく思っております」

 

 あ、母上も賛成してるみたいだ。やったね、兄上。

 

「ふむ、そうか」

 

 淼さまを見ても表情は全く変わらない。二日前、兄上と三人で話したときもそうだったけど、普段の淼さまとは全く違う印象を受ける。

 

「華龍どのの意思は分かった。ただひとつ問題がある」

「承知しております」

 

 兄上の持つ理力が少し足りない件かな。それより僕は、天井に付いている豪華な電飾が氷で出来てるんじゃないかと気になっている。

 

「美蛇の理力は仲位ヴェルには足りておりません」


 母上の髪が床を撫でた音がする。サラサラと懐かしい音だ。

 

「良く分かっておられる」

「御上、美蛇は今後、御上の役に立つでしょう。私めの川にとどめておくには惜しい存在です」

 

 びょうさまは黙って聞いている。母上の次の言葉を待っているようだ。

 

「ですので、どうか足りない分を補填させていただけないでしょうか?」


 補填? 母上はまっすぐ玉座を見上げている。

 

「というと?」

「恐れながら」

 

 母上が少し脇にずれた。

 

「この五名の魂魄たましいを使っていただけないでしょうか?」

 

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