16話 二人の理王
「では、行って参ります!」
「あぁ、いってらっしゃい。気をつけて」
私の部屋に挨拶に来た雫に声をかける。気をつけてという言葉以外にかける言葉が浮かばない。元気よくという言葉がふさわしい勢いで執務室から出ていった。
王館から出れば雫の正確な場所は私でも把握できない。もちろん地域までは特定できるし、近いか遠いかとかそんなことまでなら簡単だが……
「行ったのか?」
「お互いさまであろう。そなたの方が風呂や洗い場を使っておるではないか」
スルッと人形が出てきた。つい最近、
「火理王自ら水の王館にご来訪とは何か大きな問題でも?」
火理王は私に近づくとペンを取り上げた。すぐに右手が追いかけるが、今度はその右手を掴まれた。
「……何の真似だ、火理」
「話をしに来たのだ。少し付き合わんか」
ペンをくるくるとしながら、ソファに向かう。右手を掴まれているので引っ張られるのを振りほどいた。引出しを開ければ替えのペンが入っているが、いたちごっこになりそうなので、大人しく話とやらに付き合うことにした。
棚から
「いつも思うのだが、茶くらい誰かを使えばよかろう」
王が茶を入れるなど聞いたことがないわ。とぶつぶつ言っている。なんどもそう言われているが雫以外の者にやってもらうくらいなら自分でいれた方がいい。
「水理王のお手前だ。ありがたく飲むように」
火理王に入れたての茶を差し出した。本当は蒸らす時間が必要だが、まぁいいだろう。
「全く……聞く耳を持たんのだから」
と言いつつ、焼き菓子を持参している。どこから出したのかと思っていたら、今度は
「まだ仕事がある」
大人しく火酒の瓶に栓をすると、蝋燭へ向かって投げつけた。意外とコントロールがいい。蝋燭は火酒を巻き込んで一瞬火を大きくしたが、すぐにおさまった。
「一滴二滴で酔うわけでもあるまい。それも……急ぎの仕事ではないであろう。もっとも、我のところには有りもしない被害報告と救済の依頼しか来ぬがな」
話しながら今度は私のソーサーに勝手に焼き菓子を入れてきた。少し黒い気がするのは気のせいじゃないだろう。
「理王なんてなるもんじゃない気がするよ」
「我も同感だ」
仕方なく焼き菓子を
「かの雫を送り出したのか」
私が飲み込むのを待って再び声をかけてきた。
そうだ、と短く返事をする。喉がチクチクする。
「ふむ。そのように案ずることはない。病床の木理に代わり、
茶器を置いて少し端へ避ける。
「
「案ずるなと言っておろう。焱はあれでも王太子。水精相手と言えどそう簡単には消されまい」
ソファにどかっと寄りかかり、足を組んで完全にリラックス体勢だ。
「まして、そなたが
罪悪感だと? この男、私の知らないところで雫に何かしたのか。軽く睨んでいると、火理王は目線を少し下げた。
「……火精も最近は
証拠がないので厳罰に処するわけにもいかず結果的に野放しの状態だ。
「ゆえに我は、かの雫は『
正直なことだ。確かにその件については怒るところではあるが……私も火理を怒る立場にない。
「私も同じ罪悪感を抱いていると言ったら?」
火理王が再び目線を上げた。青い目は私をまっすぐに見つめてくる。
「
「………」
火理王は黙っている。話をしに来たのは向こうのはずなのだが、私の方が多く話すことになりそうな気がする。
「流没闘争では火精にもかなりの被害があっただろう。それは本当に申し訳ないと思っている。だがまずは決着をつける。ある程度、目星はついている。そのために雫を行かせた」
雫は間違いなく狙われる。本人にも言ったが、水精に恨みを持っている火精は多い。しかし、自分が不利な立場である水精においそれと喧嘩を売ることは出来ないのだ。だから雫が最下位の精霊であること、最弱であることに目をつけないわけがない。
「そもそもは
「実戦訓練をあれだけ反対しておきながら、外で基本を学べだと?」
実戦訓練は確かに要素混合だが、先々代の管轄で行われるものだ。それに比べたら外の方が危険に決まっている。
「……我の命令で間違いない。かの雫が理術をある程度使えるようになったと
火理王は寄りかかっていたソファから背を離し、少し前のめりに体制をかえる。
「先々代もちょうど一旦離れるという。信頼しているであろう焱の薦めなら受け入れると思ったが……そなたにも相談したようだな」
「当然だ。雫は私に黙って勝手に行動するようなことはない」
「大した信頼関係で結構だ」
焼き菓子を齧りながら視線をさまよわせる。私から見ると、目の前にある背の低いテーブルを見ているように感じるが、恐らく見ているのは過去だろう。
「流没闘争の残党である水精と、流没闘争で水精に恨みを持った火精。このどちらからも雫は狙われるだろうな。だが、日毎に状況は悪くなる。……先の闘争を終わらせる前に、新たな闘争を始まらせるわけには行かない」
握った手の平に少し痛みを感じた。思いの外強く握っていたようで手を開くと爪の跡がついていた。
「あれは、そなたのせいではないだろう」
火理王が私のカップに勝手にお茶を注ぐ。苦い焼き菓子を流し込んだせいでほとんど空になっていたが、火理王なりに気を使ってくれたのだろう。
「雫は信頼できる。雫も私を信頼してくれていると思う。私と先代さまに足りなかったのはそういうところだ」
今となっては後悔しても遅いが、王太子時代の私と先代理王は、あまり語り合うことをしなかった。今の私と雫のように一緒に食事をしたり、執務室で理術を練習したり、そんなことはあり得なかった。まぁ、仮に私が望んだとしても先代さまは許可しなかったと思うが……。
「半分は私のせいだ」
先代を知らず知らずの内に追い詰めていたのは恐らく私のせいなのだろう。
「………だからそなたは後継を置かず、侍従も置かず、二百年も一人で王館を取り仕切っておるのか」
「信頼できる者でなければいない方がましだよ」
「では何故かの雫を受け入れたのだ」
「……まぁ、成り行きだね」
即位してからずっと一人だった。
先代から仕えた精霊は流没闘争でほとんどが消えてしまった。残った数名も実家がある者は帰し、ないものは新たに管理権を与えて王館から出した。
誰もいなければ、裏切りも疑いも失望もない。
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