二章 水精混沌編

17話 外へ

 王館に上がって早十年。初めて王館の敷地外へ出ることになる。


 いつも中で過ごしている王館を改めて外から見上げる。黒塗りの壁が荘厳そうごんな雰囲気をかもし出している。こんなすごい所にいたのかとおののいてしまう。


「雫、行くぞ。忘れ物……置き忘れたものはないな?」

「あ、うん。昨日から増やしてないよ。……えっと」


 どっちへ行けばいいんだっけ? キョロキョロとあたりを見渡すが出口はどこだろう。美しい中庭には色とりどりの花が咲いているが、今はゆっくり鑑賞している場合ではない。


「こっちだ」


 淡さんから離されないように中庭を抜けていく。池に浮かぶ水連、白い水芭蕉みずばしょう、赤い小蛙花ラナンキュラス……。だめだ、花を目印にしようと思ったけど、もう道がわからない。一人で帰って来られる自信がなくなった。絶対にあわさんから離れないようにしないと!


 僕がそんなことで悩んでいるとは気づかないまま、淡さんは振り向かずに僕に言う。


「王館は全部で五つある。雫が普段過ごしているのは、黒塗りの水の王館だからな、迷ったらとりあえず黒い建物を探せ」


 何だか気が遠くなってきた。今の王館だけだって広くて、掃除とか掃除とか掃除とか大変なのにそれがあと四つだって? 今までうっかり王館から出ようとしなくてよかった。出たら確実に迷ってびょうさまの元へ帰れなくなっていたに違いない。


 急にあわさんが立ち止まったので、慌てて止まって目線を上げると、赤い後頭部があった。少し体を傾けて淡さんの背中から顔を出すと黒い門が見える。2人の門番がいるようだけど、淡さん以外の働き手を見たのは初めてだ。


「これはこれは。水門からお出掛けですか? ごきげんよう、えんさ」


「淡≪あわ≫・雫。水理王並びに火理王の許可を以て通るぞ」


「……はっ。かしこまりました」


 何か門番と話しているようだがよく聞き取れなかった。門番が何か言ったのを淡さんがさえぎったみたいだ。僕も淡さんと話していない方の門番と目があったが、軽く会釈をされたのでお辞儀を返しておく。


「雫行くぞ。今日中に実家に行くなら少し急がないとに夕方になっちまう」


 二人で片側だけ開けられた黒塗りの門をくぐった。


 ところで僕の実家への行き方をあわさんが知っているのが不思議なんだけど、びょうさまに聞いたのだろうか。

 僕の実家と言っても僕の本体はなくなってしまったので、母上の河が僕の実家といえるだろう。このまま一時間ほど歩けば、細い川にでるのであとはその川を辿って行けば、そのうち母上の河に着く。時間は……まぁ、三日も歩けば着くんじゃないだろうか。今回は船で行くから、一日で行けるそうだ。


二、三分歩いたところでふと思った。


「母上にお土産を用意すればよかったなぁ」


 僕が用意できるものなんてタカが知れてるかもしれないけど、ちょっと手土産みたいなものがあったらよかったと出発してから思う。


 すると淡さんが足を止めて僕を振り返った。


「それなら……到着が夜でもいいなら、マーケットに寄っていくか?」


マーケット? 何それ?」


 さっきからあわさんに知らない単語を言われて聞き返してばかり。僕の無知がバレバレだ。

 でも『知らないことを知らないといえる素直な気持ちは大切だ』と以前、びょうさまに言われたので、どんどん尋ねることにしている。


「精霊が集まって、自分の管理する本体で収穫したものなんかを交換し合っているところだ。あまりのんびりは出来ないが、せっかく外に出たんだから見ていくのもいいかもな」

「交換って言われても僕何も持ってきてないよ」

 

 僕の愛用している鍋とか掃除道具とかすべて置いてきてしまった。持ってくれば何かと交換できたかもしれない。ちょっと失敗した。

 あわさんが残念そうな目でこっちを見ているのはなぜだろう。前はよく先生にこういう目で見られてたけど。

 

「物がなければ金でも平気だ。水理皇上すいりこうじょうからいくらか貰ったんじゃないのか?」

「かね? 鐘? 貰ってないよ」

「ちょっとアクセントがちがう気がするから、たぶん間違ってるぞ。こういうの渡されてねぇの?」

 

 淡さんが自分の服のポケットから金属の丸い板を一枚取り出した。あ! それなら!


「それなら何かに使うかも知れないから持っていきなさいって……えーと……ほら!」

 

 腰に結んでいたので、重さで結び目がちょっときつくなってしまったが、なんとか外してあわさんに中身を見せる。淡さんの目がざっと袋の中身を数える。

 

「…………うわ。引くわ。どんだけ持ってんだよ。五十金貨とかないわ。どんだけ親バカなんだ」

「僕の母上はバカじゃないよ」


 ちょっとムッとして答えるが、淡さんは首を振った。

 

「お母上のことじゃねぇよ、気にすんな。そんだけあれば結構いいものと取り替えてくれるぞ」

 

 あわさんの言葉を聞きながら、僕は袋を腰に結び直す。淡さんの言う通りなら、きっとこれは価値があるものだから大事に使おう。

  

「何か心配になってきた……やっぱ俺が預かるわ、貸せ」

 

 あわさんが僕が結びかけの袋を取り上げた。必要なときは言えと言われたけど、何が心配なのだろう。とりあえず大人しく預けておくことにした。

 

 

 

 

「うわぁ!! すごい!!」

 

 市につくと、ものすごい混み方をしていた。遡上そじょうした鮭のようだ。こんなにたくさん集まるなんて、何があるのだろうか。

 

「今日は木行日だから、木精が品を出してるはずだな。道の両側で品を並べているのは皆木精だ」

「市の日が決まってるの?」


 混雑に流されないように淡さんの目立つ赤い髪からはぐれないように気を付ける。淡さんが振り向いて僕の腕をつかんだ。


「はぐれないように気を付けろ。ここで迷ったら市が閉まるまで会えないと思え。日行日じゃなくて良かったな。日行日なら全属性が市を出すからこれの五倍は混んでたぞ」

 

 淡さんの説明によると……

 火行日は火精の市の日で、水行日が水精の市、木と金と土はそれぞれ木精と金精、土精の市で、日行日は全属性の日だそうだ。ちなみに月行日はお休みらしい。

 

「まぁ、いつも同じやつが構えてるとは限らないけどな。さて、何を見るかだな。木精が出しているものというと、花とか果物とか、あとは机とかの家具なんかだけど、鞄に入らないものはやめておけよ」

「う……うん」

 

 なんとなく返事はしたけど見てみないことにはよく分からない。あわさんと何ヶ所か見て回ることにした。

 

 淡さんの言うとおり果物や花を並べている所が多い。母上は色とりどりの花も甘酸っぱい果物も好きなはずだが、せっかくだから何か形に残るものを贈りたい。

 

「いらっしゃいませ~。あなたのかわいい方にお花を贈りませんか?」

「いらっしゃい!! 椀・皿・匙・もろもろ! 漆塗りなら是非こちらへ!」 

「お兄ちゃんたち! ちょっと見ていかないかい!?」

 

 淡さんが両脇からかかる声をうまくかわしてくれる。恰幅かっぷくのいい女性から手が伸びてきたときはちょっと焦った。もうちょっとよく見たい気がするけど怖くなってきたなぁ……。

  

 

 

 

「そちらの火精の坊っちゃん方、寄っていきませんか?」

 

 斜め右の方から静かだけど真っ直ぐに通る声がした。僕らは水精なんだけど、僕たちの方を見ているから間違いなく僕たちに声をかけている。

 あわさんを見るとちょっと嫌そうな顔をしている。火精に間違われたのが嫌だったのかな。

 

 あ、ほうきが置いてある

  

 竹箒たけぼうきを目ざとく見つけてしまった。引かれるようにそちらに近づくと、淡さんも着いてきてくれた。箒は持っていくなよと念を押されたけど……。

 

 茶色の髪に緑の帽子を被った姿勢のいいおじさんがニコニコしながら話しかけてきた。


「ようこそ、火の坊っちゃん方。見ていってください」

「こんに」

「水精だ、間違えるな」


 あ、やっぱり間違われたのが嫌だったんだ。

 僕が挨拶しようとしたのを遮って淡さんが否定の言葉を入れた。

 

「水精……? あ、本当だ。こちらの坊っちゃんは水精ですね。失礼しました。上等の火鼠ひねずみの衣が見えたものですから、てっきり高位火精の坊っちゃんかと……」

「もういい、ここの品は何だ」

 

 あわさん、そんなにぶっきらぼうな言い方しなくても……。火精に間違われたのがそんなに嫌だったのだろうか。淡さんは腕組みをして顎を少し上げている。知らない人だったらちょっと怖い。


 木精のおじさんは淡さんの圧力にめげずにニコニコしたまま品物を見せてきた。

  

「私どもはですね、竹で作った小物を取り扱っております。こちらの竹の皮で作られた紙入れなどは水精の坊っちゃんにお似合いかと思いますが、いかがですか? そちらの火精のお」

「買うのはこいつだけだ、俺に話を振るな」

 

 あわさん、もっとちょっとだけ優しくしてあげて! おじさんが笑顔のまま固まっちゃったよ!

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