15話 出発前夜

「ぼ……くに?」

 

 びょうさまがまっすぐに僕を見つめてくる。元々冗談を言う方じゃないけど、その顔は真剣そのものだった。

 淼さまは先程から左手に持っている氷の瓶を目の高さまで引き上げる。

 

「これは雫だ」


 見ると瓶の中に少し動いている水滴があるようだ。そうですね、と返すが淼さまは黙って首を振った。

 

「これは、雫の体、だよ」

 

 僕の……体。思わず手を伸ばすが、パチンッと何かに軽く弾かれた。

 

「あぁ、結界を張ってあるから本人でも触れないだろう」

 

 悪いけど見せるだけ、と言って僕の目の前で瓶を振ってくれた。

 これが残った僕の体。本当に一滴なんだなぁ。最後に残った泉の水、こんなに少なかったんだ。

 

「最後に残った水はもう少しあったが、泥や草が多くて、本来の泉の水とは程遠かった。泉の水だけを取り出したら本当に一滴しか残らなかった」


 放っておけば蒸発してしまうような水滴だ。氷の瓶で守られていなければ、僕は生きていないのだろう。

 

「このわずかな水では、火精から火属性の攻撃を受ければ消えてしまうかもしれない」


 びょうさまが瓶を下ろしながら僕に言った。

 それはそうだろうなぁ。こんなに少ないんだから。泉が消えた日のことを思い出してみる。完全には消滅しなかったけど、きっと消えるってあんな感じなんだろうな。

 

「つまり、水精に恨みを持つ火精が、火精でも勝てそうな僕を狙ってくるということですか?」 

「物分かりがいいね。そしてその確率は高い」


 淼さまが再び左手を返して瓶をどこかにしまった。今度は右手を袖の中に入れて何かを取り出した。短い棒のように見える。

 

「だから外へ行くときは必ずこれを付けていくように」


 棒を差し出されたので、受けとる。木で出来ているようだ。片側がやや鋭くなっている。何だろう、これ。

 

七竈ナナカマドで出来たこうがいだよ」

「コウガイ?」

 

 始めて聞く単語だ。郊外。口外。校外。あ、公害? 水質汚濁!?

 

「……雫帰っておいで。多分思っていることは間違っている」


 吹きそうになった。お茶を飲んでいるときだったら間違いなく……止めよう。


「それはこうがいという。元々は髪を整えるものだが、まぁ、今は装飾具だと思っていいよ」

「装飾ですか」


 僕に必要だろうか。どこを飾ればいいのだろう。

 

「装飾といっても武器の装飾だけど。雫にとってはこれはお守りだよ」


 ひっくり返したり、立ててみたりしてこうがいを見ていたが使い方が分からない。

 

「特にどう使うというのはないよ。それは七回までなら火の攻撃を防ぐことが出来る」


 なるほど。火の攻撃から身を守ってくれるからまさしくお守り。持っているだけでいいのかな。

 

「材料は木理王もくりおうから提供してもらった七竈ナナカマド。さらに火理王かりおうの炎で強度を最大まであげる加工をしてもらい、水理王すいりおうである私が仕上げに火耐性を付けて完成した」

 

……びょうさまは今、サラッと恐ろしいことを言わなかっただろうか。木理王に、火理王に、水理王だって?

 ついこの間まで理王が何人いるかも知らなかった僕が、5人中3人の理王の合作?


「おぉおぉおおぉおおろおろろおそ」

「雫…………いい子だから、帰っておいで」


 恐れ多いと言いたかったのだが、上手くしゃべれなかった。出来ることならお返ししたい。

 

「これで雫には三人の理王の守りが付いた。簡単に消えることは許されないね」

 

 おぅわーーーーーーーーーーーーーーーーっ!


 何てこった! これだけ守られていて、うっかり消えるわけにはいかない!


「二週間……たった二週間と思うかもしれないが、日々、無事に過ごすこと。そして無事に私の元へ帰ってくること。絶対に消えてはならない。これが雫への初めての命令だ」

 

 命令という言葉をきくと体が勝手に動いた。

 戸惑うまもなく自分が片膝をついているのに気づいた。そう言えば今までの仕事は、やっておくように「頼まれて」いた。命令されたのは初めてだ。おそらく水精としての本能が水理王の命令に従おうとしているのだ。

 

「は……拝命いたします」

 

 口が自然に動いた。びょうさまの王としてと力を初めて味わった。



 

「では、失礼します。また明日まいります」

 

 執務室を後にする。今日の午後は支度と休息を取るように言われた。あわさんが夕飯を一緒にとりたいと言っていたそうなので早めに支度を済ませておきたい。


淡さんは先日一緒に昼食を取ったきり、会っていない。ずっと食事を届けてくれているようなのだが、僕が一日中演習場にいるせいで、顔を会わせることがなかったのかもしれない。


 以前にあわさん本人も言っていたし、びょうさまからも聞いた話だが、淡さんは明日からの二週間、僕と一緒に行ってくれるらしいのだ。里帰りだけならまだしも、さっきの淼さまの話を聞いたあとだと、尚更心強い存在だ。


 前に聞いたことがあるがあわさんは高位精霊だそうだ。高位といえるのは最上位の伯位アルかその下の仲位ヴェルのどちらかだろうけど、そこまでは聞かなかった。理王にお仕えできるのなんてそのどちらかしかいないはずだから。


 ………といってもここで王館であわさん以外の精霊が働いているのを見たことがないのだけど、きっと持ち場が違うのだろう。きっと僕のような下位が関わることのない高度な仕事があるんだろうな。


 支度したくといっても持ち物はほとんどびょうさまが用意してくれた。


 使うかもしれないと言って渡されたピカピカ光る金属の丸い板がいっぱい入った袋。理術の練習が目的だから、あまり使わないことを祈ると言って渡された刀。七竈ナナカマドこうがいはこれに付けるように言われた。


 それから外套がいとう。これは借り物だ。汚しても破れても構わないけど、外では必ずこれを着ているように言われた。明日、着るように外套がいとうはしまわずに掛けておく。


 あとはタオルとか着替えとか……そんなところだろうか。鍋も持っていった方がいいのかな。時間はあっという間にすぎていった。




「………で、何だこれは」


 夜、僕の部屋にやって来たあわさんは開口一番そう言った。うん、僕もそう思う。


 大荷物になってしまった。おかしいな。バッグひとつの予定だったんだけどな。何で四つになっちゃったかな。

 

「ひとつにしろよ。何でこんなことになってんだよ」


 ごもっともだ。あわさんが僕のバッグをひとつ開けた。バラバラバラッと鍋、お玉、椀などが転がり出た。

 

「……おい、何だこれは」


 淡さんがお玉を拾った。すごく似合わない。

 

「いや、使うかなと思って~……あはは」


 淡さんが頭に手を当てた。

 

「何に使うんだよ。食器と調理器具は使わない。置いていけ」


 食事は作らなくても良いのだろうか。

 

「現地にはそれ相応の場所があるから何とかなる。あとこれ!」


 淡さんが二つ目のバッグの中身を覗きこむ。

 

「なんで、洗濯桶と板が入ってんだよ!」

「いや、使うかなと思って~」


 さっきも言った気がする台詞だ。

 

「洗濯するのか? 完全清潔クリーンアップをマスターしたんじゃないのか?」


 あ、そうだった。初級理術の完全清潔クリーンアップも練習したんだった。汚れた服も体も一瞬で綺麗になるという便利理術だ。すっかり忘れていた。


 あわさんが呆れながらもどんどん荷物を減らしてくれたので結果的に荷物はひとつにまとまった。


 早めに夕食を取りながら、明日の打ち合わせをする。なんだか今更ながらドキドキしてきた。今日、眠れるかな。明日、晴れるかな。

 

「ちゃんと寝ろよ」


 あと、荷物は絶対に増やすなよと念を押してあわさんは帰っていった。

 淡さんはまだ仕事が残っているらしい。明日からの仕事を引き継がなくてはならないそうだ。僕はここ最近理術の練習ばかりだったから仕事らしい仕事はしていないが、淡さんはちゃんと仕事してるだろうから、そうもいかないのだろう。


 正直言ってあわさんがどこの持ち場で働いているのか詳しくは知らない。


 僕と同じような仕事だって言ってたんだけどなぁ。ご飯は作ってくれるけど、淡さんが掃除とか洗濯とかしている姿を想像できない。


 何はともあれ、明日から淡さんと一緒だ。頼もしい仲間がいて心強い。なるべく丁寧に歯を磨きながら、そんなことを考えていた。

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