11話 淡の正体

びょうさま、ありがとうございました。お休みなさいませ」

「あぁお休み」


 パタンと静かな音を立てて雫が執務室から出ていった。シーンと静まり返る部屋に、一人分の気配を感じて視線を送る。


「話があるなら聞こうか」


 言外に出てこいと言う意味を放つと、灯りとりに点けておいた燭台しょくだいの蝋燭からスルッと人型が出てきた。まだソファにいる私の前でわざとらしく片膝をつく。


水理皇上すいりこうじょうにおかれましてはご機嫌麗しゅう」


 形だけは敬う姿勢を取っているので、赤い頭しか見えない。だが、伏せた顔からは口角が上がっている様子が想像できる。


「……面を上げよとか言った方がいいのかな」


 目にかかる前髪がいささか邪魔で、かきあげたところで、立ち上がった人物と目があった。


「一応、俺の方が立場が低いからこうしないと失礼だろ?」

「今忙しいんだ、見れば分かるだろう。話があるなら手短に頼むよ、火の太子」


 机の上の書類を指差すと、釣られたように首だけを向けた。両手を上に向けて肩まで上げる。


「つれないな。せっかく水の王館まで出向いたって言うのに」

「向かいの敷地だ。何なら毎日雫に食事を持ってきてるじゃないか。話がないなら帰ってくれないか、えん。本当に忙しいんだ」


 えんと呼ばれた男は私の向かいに腰かけた。やっと真面目に話をする気になったようだ。


「……外に出すのか?」

「……言い出したのは貴方と聞いたが?」


 焱は手を組んで前屈みになってきた。赤い目と視線がぶつかる。


「そうだ。俺が提案した。先々代さまが実戦訓練するって言ってるそうじゃないか。あいつにはまだ早いぞ。最悪、本体が……」


 そこまで言うとえんは一旦言葉を切った。私をじっと見つめ先を私に言わせようと待っている。


「判ってる。実戦ともなれば属性混戦だろう。あの子は母体が少なすぎて火属性にだって負けるだろうな」

「……分かっててやらせるのか」


 焱は私を少し睨んでいるようだ。きっとこの男も雫を大切に思っているのだろう。


「先々代に一任していることだ。第一あの方は言い出したら絶対に聞かないだろうな」

「訓練でも負けるってことは精霊として終わるってことだ! それを……!」


 焱が立ち上がった。相変わらず熱くなりやすいタイプだ。まぁ、その分、冷ますのは簡単だ。


「だから何か防火対策してくれるんだろう?」


 今度は私が口角を上げる番だった。

 えんは数秒私を見たあと、諦めたようにソファに再び沈みこんだ。


「……全く。お見通しかよ」

「雫のことなら大抵は」


 自慢じゃないが自慢できる。


「あぁ、そういや、一回目に執務室に来たのも分かってたみたいだよな」


 お前こそなぜそれを知っているんだ。ストーカーか? と言ったら、んなわけあるか! と怒られた。


「……王館内で雫がどこにいるかなんてすぐ分かる。ただ雫が執務室に来たときは謁見えっけん中で来られなかったんだ」


 雫の本体である一滴の雫は私が持っている。そのせいで……いや、そのおかげで王館の敷地内なら雫の動きが分かるのだ。ちなみに雫には悪いが言っていない。私の方がストーカーみたいじゃないか。えんには黙っていよう。


「それより外に行くに当たって付いていってくれるそうじゃないか。それまでに防火対策、頼むよ」


 一方的にそう告げて、ソファを立った。机の上の山積みの書類との戦いが私を待っている。


「ああ、そっちは何とか……二週間だっけ?間に合わせるが……その書類は何なんだよ。火理王にはそんなにないぞ」


 席に着くと、書類でえんの姿が見えなくなった。


「未決はもうない。さっき雫が来たとき最後の一件も処理した。残りは流没闘争りゅうぼつとうそうの資料だよ」

「あぁ……動くのか」

「そうだ。そのために十年間あの子を守ってきた。あの子を利用している後ろめたさはあるが」


 雫を気にかけているえんのことだから何かしら文句を言ってくるかと思ったのだが、思いの外黙っている。


「……それが、最終的に雫のためになるなら、仕方ないんじゃないか」


 やっと聞き取れるような小さな声で呟きが聞こえた。


「もちろんだ。利用してはいるが、雫を助けるためでもある」


 動く気配がして、焱の顔が見えた。どうやら立ちあがったらしい。数歩で私の席まで来られるがこっちに来る様子はない。


「……なら、俺は何も言わない。そもそも流没闘争りゅうぼつとうそう絡みのことに一介の火精が口を出すのはルール違反だな。……火理王ならともかく。」


 えんの言葉が含みを持ったのに気づいた。なるほど、外に出すというこの提案は焱の意思とは別か……。


「雫のことに関してはいつも感謝してるよ」

「気にするな。俺もあいつを気に入ってる」


 そうだろうな。見ていれば分かる。入ってからの十年、私と同じように雫を見守って来た数少ない人物の一人だ。愛着がわかない方が不自然だ。


「火精も水精に惹かれるのか」

「俺たちにとっては水精は脅威だ。二〇〇年前の流没闘争りゅうぼつとうそうの時も被害を受けた者が多い。あ、勘違いするなよ、お前を責めてる訳じゃない。だが、あいつは……火にも弱いせいか脅威を感じない。火精にとっては貴重な存在だ」


 冗談を交えて言ってみるが、意外に真面目な声色で返答が来た。雫が火に弱いのは母体が少なすぎるからだ。まともに接触すれば一瞬で消えてしまうだろう。だが、あの子は弱いから威圧しないわけではないだろう。


「あの子の元々の性格だろうな。悪かったな、いつも威圧していて」

「全くだ」


 悪気はないのだ。それこそもって生まれた水の精霊の性質なのだから自分ではどうしようもないのだが。

 ふん、と鼻息を荒くついてえんが私に背を向けた。


「俺が雫を大事に思うのは先を見ているからだ。お前は……まずは過去を精算してからだ」

「分かっている。今度こそ終わらせる。……くどいが、外に出るならあの周辺は気を抜くなよ。火精の貴方に行かせるのは申し訳ないが、雫のことを頼むよ、あわ


「……拝命しました。水理皇上すいりこうじょう


 背を向けたまま、短く返事をするとヒュッと短い音を立てて姿を消した。辺りが焦げ臭い。絨毯カーペットが焦げてなければいいが。



 処理済みの書類をサイドデスクに避けて、資料を読み込む。 私が即位したときから集めさせた流没闘争の記録だ。これをじっくり読むためにかなり先の仕事まで終わらせた。

 

 め事の仲裁は、本来私の仕事ではない。自分で言うのもなんだが役不足なので、今回は他に回した。


他と言っても信頼できて地位の高い者もそんなにいないので、回せる者は必然的に決まってくるのだが……無理矢理空けたスケジュールを有効に使うために、老体にむち打ってもらおう。一息ついてから分厚い資料をめくった。




 流没闘争りゅうぼつとうそう

 水精間の権力あるいは本体の管理権争いの総称。時期によって二つに分類される。


 一、第一次流没闘争


 波や瀬など管理権の境目が曖昧あいまいな水精から始まったと考えられる覇権はけん争い。始まりはおよそ五〇〇年前。徐々に広まりつつあったが、先々代水理王の裁定さいていにより間もなく終息。


以来在位中は小競り合いすら一度もなく、不安定な領水りょうすいも平和が保たれたことから、水精自身の意思ではなかった可能性が推測される。


 しかし、今回の調査で背後にあると思われる影響は特定及び確認できず。

 闘争の起こった場所並びに関わった精霊は別紙記載。


 

 二、第二次流没闘争


 三〇〇年前、先代理王の代に起こった水精間の争い。管理権の明確・非明確に関わらず、一切のルールを無視して自身の覇権を広めようとして起こった争い。きっかけは先代理王にあると言われるが詳細は特定できず。

 

先代理王の自滅並びに当代理王の即位によって二〇〇年ほど前に終息。水精は落ち着きを取り戻すも、一〇〇年間続いたルールの崩壊から立ち直っていない者も多い。


 また、一部の水精は未だに覇権を求めている。水面下では領水拡大、力の誇示、地位上昇を望んでいると見られる。

 闘争場所は広域過ぎて限定できず、関わった水精で確認できた者は別紙記載。



 別紙をめくると一枚ではなかった。まぁ、それはそうだろう。水精全体に広まった争いだ。そう簡単に列挙れっきょしきれないだろう。高位の者から書いてあるので頭の中も整理しやすい。今まで蓄積した情報もあるからそれと合わせれば落とし所は見えてくる。


 ……とは言っても相当量がある。雫が王館にとどまっている内には終わらせたいところだ。


 そもそも私に睡眠は必要ない。寝てもいいのだが理力で調整可能だ。休まずにやるしかないだろうな。別紙の列挙と脳内の情報を照らし合わせていると、外で雫が水球の練習をしている声で日が高くなっていることに気づいた。

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