09話 理術を理解

「水のちり 命じる者は 雫の名 形を作らず 吹雪ふぶいて走れ 氷雪風乱射ブリザード!」


 周りが吹雪になった。周りと言っても半径五メートルくらいだけど。


 理術を学びはじめて三ヶ月ほど経った。指南書もかなり進んで、使える理術が随分増えてきた。


 今、僕は王館の外にいる。王館の演習場……演習場があったことも知らなかったのだが、そこで好きなだけ暴れていいと先生に言われた。住んでいる僕より先生の方が王館に詳しい。


「ほっほっほっ。上級理術も使えるようになったとは流石に御上が見込んだだけのことはあるのぅ」


 一週間に一度か二度のペースで先生はやってくる。最初は王館に泊まり込むつもりだったらしいが、不安定な波を管理するのが難しいとかなんとかで、通って来ることにしたそうだ。


 予告なしで来ることもあるので、突然目の前に現れたときはビックリして、作っていた水球ボールを投げつけてしまった。先生には勿論当たらなかったが……


「ブリザードは敵から身を守るのにも攻撃するにも有効な手段のひとつじゃが、今の状態だと攻撃にも防御にも中途半端な状態じゃ。防御のためなら自身を中心とする同心円どうしんえん上に波が広がるイメージじゃな。まずは中心に集めてみよ」

「はい!」


 理力の流れが分かるようになって疲れも感じにくくなってきた。でもまだ探り探りなので指南書に書いてあるだけでは理解しきれないことがある。そういう時は必ず先生がアドバイスをくれて修正や追加をしてくれる。今回もようやく覚えた上級理術をまだ使いこなせていない。


「そうじゃ。そこから一気に広げてみよ」

「はいっ!」


 僕の周りの集まっていた氷の粒が一気に散って高速で円を描いている。


「ふむ。上出来じゃな。前後左右の攻撃は防げるだろう。それを上方に引き伸ばせば上空から敵が来ても攻撃は防げるが、この術のデメリットは自分の視界も悪くなることじゃ」

「確かに。ほとんど前が見えませんね」

「よって見ることに頼らぬことじゃ。理力を辿れば、目ではない部分で敵の姿を見ることができる」


 もう止めていいといわれたので、ブリザードを空に離す。ある程度まで上がったところで弾けて消えた。


 先生は『出したらしまう』ことが出来るそうだが、僕は出すだけでしまえないので、離してしまう。決定的な経験値の差だ。まだ修行が足りない。


「ところで先生」


 手についた水滴をパンパンと軽く払う。手が濡れているのを服で拭いてしまう。


「なんじゃ?」

「前から気になっていたんですけど、『敵』って誰ですか?」


 先程もそうだが、外で練習するようになったころから、先生は『敵に襲われたときは』とか『敵から身を守るには』とか度々『敵』という言葉を使えようになった。

 僕はびょうさまに理術を学ぶように言われたけど、戦う敵がいるのだろうか。何か怖いな。


「……いずれ知るときが来るじゃろう。ただ、今までは良くも悪くもそなたにとっては敵と感じる者がいなかっただけじゃ」


 少し離れたところから僕の様子を見ていた先生はその目線を僕から外す。


「さて、それはそうと今回の課題じゃが、色々出来るようになったじゃろうから、そろそろ一旦振り返って学んだ理術を一通りやってみることじゃな」


 次回までの課題も必ず出される。指南書テキストの予習だったり演習だったり……。予習でも指定されたところは不思議と読めるようになるのが謎だ。


「わかりました」


 ひとつずつ出来るようになっていくのは楽しい。次は何を学べるのかとワクワクしてくる。


でも今まで学んだことで一番衝撃が大きかったのは、理術が家事をするためのものではないと言うことだ。本来は精霊がルールを守るために使うものであると……それを知ったときの恥ずかしさと言ったら……。やめよう。思い出しても恥ずかしい。


「それと、次回じゃがの。わしはしばらく来られんのじゃ」

「えっ?」


 指南書テキストも今3冊目にようやく入ろうとするところだ。まだ習っていないことがたくさんある。


「しばらくといいますと、どれくらいですか?」

「はっきりとは分からぬ。おおむね一ヶ月、長くて二ヶ月といったところかの」

「そう……なんですか」


 先生に指導を受けるようになってからそんなに間が空いたことがないので、少し寂しい。


「そんなにショボくれるでない。今生の別れでもあるまいし。体を見回ってくるだけじゃ」


 先生は手を後ろに組んで、僕の目の前に移動してきた。少し日陰になって涼しさを感じる。


「母体と仰いますと小波さざなみですか?」


 それなら毎日帰っているんじゃないだろうか? 何が問題でもあったのだろうか。


「いや、まぁそうなんじゃがのぅ」


 先生がらしくない動きで頭をカリカリかきはじめた。この三ヶ月でこんな姿を見るのは初めてだ。


「そなたの指南役に付いたことで御上が報酬を寄越よこしてきてのぅ。『渦』の管理権を押し付けてき……いや頂戴したのだ」


 なんか嫌そう。すごく嫌そう。報酬と言う割には面倒くさそうだ。先生は弁明するように少し早口で続けた。


「引退したつもりだったからの。静かに余生を送るつもりだった者にとっては、管理権や理力が増えても嬉しいとは限らぬ。まぁ、今回は御上の考えも分かるから引き受けるがの。という訳で、今回は時間が多めにあるでな、ゆっくり復習せよ。残り九ヶ月の内の一、二ヶ月は貴重じゃ。わしが戻ったら実戦訓練をするぞ」

「はい。わかり……実戦?」


 不穏な単語が聞こえた気がする。太陽を背にした先生を見上げると逆光だったが、ニヤッとしているのが分かった。


 あれ……この表情、どこかで見たような気が……


「楽しみにしておるぞ、雫」


 何かを思い出しかけたが、不安な気持ちで消されてしまった。





「で、実際の所どこまで出来るようになったんだ?」

「えーと二冊目が終わるところ」

「んなこと言われてもわかんねーよ」


 僕は今自室で早めの夕飯をとっている。ただし向かいに座っているのは淼さまではない。淼さまはお出掛けなので、お食事はいらないと言っていた。ここの所外出が多い気がするけど、ちゃんと休んでいるんだろうか。


「そんなこと言われても、あわさんが聞いてきたのに」

「あぁ、悪い悪い。俺の聞き方が悪かったな」


 あわさんはここには住んでいないが、王館で働く仲間だ。きっと先生みたいに自分の管理する本体から通ってきているんだろう。


「今、何が出来るようになったんだ?」


 口調は乱暴だが根は優しいので、王館に上がった頃からちょくちょく僕の面倒を見てくれたり、アドバイスをくれたりする。


「えーっと……『水球ボール』と『氷結』と『水球乱発』と『氷壁防御』と『冰氷投擲アイスショット』と『氷柱演舞アイシクルダンス』と」

「待て待て待て待て待てー! ストーップ!! 周りを見ろー!」


 指を折りながら、使えるようになった理術を数え上げていったら、目の前の淡さんが椅子から腰を上げて叫びだした。言われるまま周りを見る。


「何これー!?」

「ナニコレーじゃないわ! またかよ!」


 天井から氷柱つらら、窓に水壁、空間に水球がぽよんぽよんと三十個くらい浮かんでいる。ちなみに床からは串刺しにされそうな逆氷柱さかさつららが二本クロスしている。


「ッチ。ちょっと油断するとこれかよ。雫、理術を学ぶのはいいと思うけどよ、実戦訓練なんてやって大丈夫かよ?」


 僕も同感だ。理術を覚えられるのは嬉しいし、楽しいが、実戦なんて怖くて出来ない気がする。ましてや上級理術も二つほどしか出来ていない。


「出来ないことは出来ないって言った方がいいぞ? 怪我してからじゃ遅い。直接言えないなら、水理皇上すいりこうじょうに言ってもらえばいいだろ?」


 そう言いながらあわさんは床から生えている逆氷柱さかさつららに触れる。冷たっ! と文句を言いながら氷柱を溶かしてくれた。


 僕が片付けるとなると地道に砕いて廃棄するしかなかったからすごく助かる。


 ちなみにこの三ヶ月間、ずっと僕の食事を用意してくれたのもあわさんだということが、しばらく経ってから分かった。淡さん料理できたんですか? と聞いてしまったときは軽く拳骨げんこつをもらった。暴力反対です!


 淡さんは焼いたり炒めたり炙ったりする料理が得意で、汁物の得意な僕とはちょっとジャンルがちがう。あとで教えて下さいと言ったら、少し赤くなりながら拳骨げんこつの跡地を撫でられた。

 これは……世に言うツンデレという現象だろうか。

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